耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル〈マリー・アントワネット〉1月14日昼公演公演 感想

これだけ何度も同じ内容の劇を観に行っていると感動して泣くこともなくなってくるのかな……と思いきや、千秋楽の前公演になってもわたしは泣いていた。しかも舞台からはるか遠く3階席の端っこで。おまけに舞台の半分は見切れているというのに。

 

f:id:sanasanagi:20190202120243j:image

 

 

なんだか今日の話だとやっぱり、マリーとマルグリットは分かり合えていなかった。「憎しみの瞳」はどちらも一歩たりとも折れる気がないという気概。目を剥くようにして王妃を睨みつけるマルグリットはめちゃくちゃこわかったし、王妃は王妃で背後に青い炎が燃えてるかのような静かな憤り。前回のこの組合せで見たときは、か弱げに見えた王妃が、今は静かな気品と気迫を兼ね備えている。

 

ツヴァイクの伝記小説をようやく読了した。裁判の前のアントワネットが、生きる希望を手放してただ、後世が決める自らの生の価値のためにいくら気高く死ねるかに全ての精力を注いでいる女だと思って見る。一人の人間の尋常でない誇り高さに思いを馳せるとシンプルな感動が湧き上がる。彼女から最後に感謝の念を伝えられたマルグリットの、裁判に出て来たときの頰がぐしゃぐしゃに濡れているところが可哀想でたまらなかった。自分は許されるべきでないのに、この王妃は自分を許した、という事実と、そのことにはもう二度と取り返しがつかない、という彼女の嘆き。マルグリットがこれから生きていかなくてはいけない地獄の連鎖のような世界で、この女の人間としての真の価値を知る者が自分以外に誰もいないことが耐えられない。オルレアンとエベールを告発したのはそのためなのではないかな、と思う。昆夏美さんのマルグリットでは「それは生き延びるためにやったことだった」というふうに見えたけど、やっぱりソニンさんのマルグリットは自分の正義のために行動している……。自分が信じてやった行為が、長い目で見て正しいのかどうなのか、たぶんそのさなかにいる彼女には分からないでいるのだ。王妃が歴史上どのような評価を下されるかなど、同じ時代の人間には関係がないように。 

今日のマルグリットは子守唄のシーンの後でフェルセンと話すときにもまだ王妃への憎しみを捨てきれずにいる。それで「この手紙!これさえあればあの女を陥れられる!」って露悪的な高笑いをしていたのに「…同じ子守唄を知ってたの」という台詞でほんとうは憎しみが揺らいでいるのだと知る。「あんたの同情なんていらない」と言いながら、このマルグリットはもしかすると今までだれからもかけてもらえなかった同情を、一番憎かった相手に貰って、そのとき初めて生まれた感情に戸惑っているのじゃないかと思った。盗んだパンも、オルレアンの城でくすねてきたケーキも、鞄が空になるまで自分以外の他人にやってしまう少女。周りの民衆の誰もが不幸すぎて、英雄のように強い彼女に情けをかけてやる暇などなかった。そしてマルグリットがいちばん飢えていたのは、他人がそうしてやさしく手を握ってくれることだったのでは。怒りによる連帯ではなく、慈母のようなあわれみで。

エベールの「ディシェンヌ親父」はフェイクニュースの跋扈する現代とも重なる大衆の醜悪な暗部だけど、どうして人は正義と思えば嘘を受け入れてしまうのかということを考えていた。たぶん答えはいくつかあるのだろうと漠然と思うけれど、マルグリットを見たときに感じるのは孤立感と嫉妬心。憎悪でしか他人と繋がれない現実。マルグリットが王妃を憎んだのはストラスブールで虐待される子ども時代を過ごしたからで、幼いマルグリットを殴った誰かもまた他の誰かに肉体的にあるいは精神的に殴られるような経験をしたのかもしれない。そういう憎しみはつながっていくのにアントワネット自身は憎しみを返すあてもなく、全て許して呑み込んで死んでいった。袋小路にいるだれかに行き着くまで、わたしたちは止まれないのだろうか。自分がしていることがなんなのかを知ることが賢さだというのなら、天を仰ぎ無力を嘆かずにはいられないけれど、ただそう感じられる物語が世界に浸透していけばいいなと思う。

 

久々に原田優一さんを見られたので、ルイの話も。佐藤さんのルイは何度きいても歌うますぎだったし声も美しくて聴いているだけで「われらの王よ…」という気持ちがじんわりと湧き上がってくる人だったけれど、原田さんのルイは、対人関係は不器用ながらインテリで心優しい、人間らしい部分も垣間見える演技が好きだったなあと思っている。ヴァレンヌ逃亡でフェルセンに別れを告げるときも、佐藤ルイは寛大な王らしいおおらかさのためというかんじなのだけど、原田ルイは最初いっしゅんフェルセンの目をまともに見ないので、フェルセンへ良からぬ感情を持っているニュアンスを感じ取れるのだ。一幕の「蛇を殺して」のシーンでもオルレアンの手紙を見つけたマリーに「彼は嫉妬しているのだ…私にも。フェルセン伯爵にも。」と言葉をかけるという台詞が確かあったと思うのだけど、オルレアンがというよりルイ自身がフェルセンに嫉妬しているから、思わずその言葉が出てしまったのでは?と邪推する。「あしたはしあわせ」を子どもたちといっしょに歌うシーンでは、ただおもちゃを渡すだけの仕草なのに「よろこんでもらえるかな」という不安と、「子どもたちの笑顔が私のよろこびなのだ」といった平凡ながらあたたかな親心が見えて、原田さんの回ではいつも泣いてしまっていた。

 

さて、今回でマリー・アントワネットも見納めだった。日本初演版もドイツ語版もCDを買って毎日通勤のときに聴いているわたしだが*1、今回追加された「憎しみの瞳」をはじめ「孤独のドレス」「遠い稲妻」はしばらく聴くことができないと思うと悲しくてならない。帝劇では持ち合わせが足りずに予約できなかったDVDもやっと予約してきたので、春の発売を首を長くして待つことにする。

気になるのは特典映像がどうなるかだ。「エリザベート」のときは花總さんとダブルキャストでDVD本編未収録だった蘭乃さん版の楽曲が3曲だった。今回も同じ勢いで3曲分キャスト違いで収録してくれるのか?その場合、今回はバージョン違いで全キャストの歌がDVD収録されているはずなので、独唱曲は候補から外れ、本編収録とは異なる組み合わせのデュエットが入ることを期待しても良いのかな……。

もしそうだったら、「憎しみの瞳」はたぶん入ると思う。入るだろう。入るはずだ。なぜならわたしが好きなだけでなく、ソニンさんのInstagramにもカンパニー女性陣からの評判が良い旨述べられていたから。どうか何卒。あとはマリー&フェルセンで「私たちは泣かない」か「あなたへ続く道」かなと思う。曲としては「あなたを愛したことだけが」も代表的なデュエットだけど、組合せたときの映像のうまみがあまりないからDVDの特典映像としてはどうだろう。こんなことばかり毎日考えて暮らしている。早く雪どけの季節にならないかなあ。

 

おまけ

観劇の記念に、毎回1つずつ買っていたシークレットチャーム。愛が足りないのか、マリーとマルグリットが全然出なかった……。

f:id:sanasanagi:20190202121834j:image

 

 過去の感想記事

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

sanasanagi.hatenablog.jp

 

 

*1:職場の雰囲気が悪いときは、「金が決め手」「恐怖政治」を聴いていると力が湧いてくる。