耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル〈マリー・アントワネット〉11月17日昼公演 感想

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花總さんのマリー・アントワネットソニンさんのマルグリット・アルノーの関係は、花總さんと昆さんの組み合わせのときよりももっと微妙で、こわれやすい。マリーとマルグリットの人間性が異質なのだ。そこにいるだけでその場がパッと華やぐような笑みをうかべ、優雅なふるまいに上品な口調が板につききったアントワネット。対してマルグリットは、髪を振り乱してパンを求め街中を駆けずり回り、低い声の早口で、ぼそぼそとひねくれた言葉ばかりを吐き、たまに浮かべる笑顔はといえば歪んだ暗い笑みばかり。痩せて頰はこけ、唇に色がなく、眼がぎらぎらと光っている。しかしその身体のどこに、と思うほどにパワフルな歌声が民衆のうねりを作り出し、場を呑み込むかのように歌い上げるさまは圧巻の一言。王妃の部屋へパリの女たちが行進してきたとき、ふたりが顔を合わせてにらみ合うのだけど、暴力で権利を奪回することを正義と信じて疑わないマルグリットの眼に正義への狂信を感じ、いっぽう相対するアントワネットの表情に怯えが走ったのをわたしは見た。

このあたりから「憎しみの瞳」まではソニンさんの目が本当に強くて、直線で相手を刺している。それなのに、何度でも自分と向き合ってくれるフェルセンとの出会いをきっかけに、「もし鍛冶屋ならば」〜「明日はしあわせ」のくだりから、国王一家のべつの姿が彼女の眼に映り始めたことがわかる。この日の場合、それはじつは血の繋がりがあったからとか、王妃の愛がマルグリットに通じたとかいうよりも、フェルセンが彼女の眼に、王妃の愛人としてではなく自分の真摯に向き合ってくれる相手として映り始めたことが理由に思えた。フェルセンの誠実さに触れ、王妃のこともまた人間として見るようになったのだ。

それはオルレアンやエベールとの出会いでは得られなかった体験だった。エベールは初めてマルグリットを見たときからセクシャルな関係を匂わせ、ことあるごとに彼女を「所有」しようとする。夜の舞踏会のシーンで、王妃に変装したマルグリットのマントのボタンをかけてやろうとしてマルグリットにはたかれるエベールはいじらしく、観客のわたしにとっては憎めないのだけれど、マルグリットからすれば心を許すことはできない相手だ。それはおそらく、かれとの関係性が「利用する・される」だけのものでしかないと初めから分かっていたからだろう。

 

この日の花總さんのアントワネットは、前にみたときよりもほんのすこしだけ、フェルセン以外の人間にたいして冷淡で、そして高慢に見えた。あくまで上品で、人に不快感を与えるものではないままにそれを感じさせるのが花總さんの好きなところなのだけど。そんなマリーとマルグリットは、哀しいまでにすれちがっていた。心が通じ合っていないふたりの"MA"の物語はまるで別のもの。同じ子守歌を知っていても、母としてのアントワネットの姿がマルグリットの心に感銘を与えたとしても、手紙を手にしたマルグリットの心はずっとゆらゆらと揺らいでいる。目の前にいるのはこの世の悪の権化だった人間。だけど盗んできたパンもケーキもすべて他人にやってしまうマルグリットは、目の前で大切な人をひとりずつ奪われていってなお自らの権利のため戦い続ける人間を見て、手を差し伸べないではいられない。たとえ王妃の権利が自分たちの考える人権と両立しないとわかっていても、自分がいちど疑いを抱いた正義をいつまでも信じ続けることはできないのだ。タンプル塔の部屋で、マルグリットが文字通り貪るように読んでいた本には何が書かれていたのだろう。そしてマリーも、ルイの死によってすべてが変わってしまった。夫の死を知り真っ白な髪をして嘆く朝、「人を信じすぎた」マリー・アントワネットはもういない。

それでも、フェルセンがいなければマルグリットは手紙を裁判所に提出していたかもしれない。彼はマルグリットが自分でも知らないうちに求めてやまなかったものを、いとも簡単に与えることができる人だ。「わたしは君を嫌ってなどいないよ」……彼女はフェルセンという個を愛したというより、単にじぶんを肯定してくれるだれかの存在を欲していたのかもしれなかった。「なぜ彼女、わたしじゃない…」という呟きも、フェルセンがというより、孤独がゆえに零れ出たことばのようで。

だから、最後の合唱、マルグリットがマリーの声が振ってきた瞬間に天を仰ぐように涙している光景には救われた。現世でのマルグリットはアントワネットの「恨むことのないように」という遺言にもかかわらず復讐に走り、マリーを失ったことでよりいっそう深い恨みと憎しみにまみれて生きていくのでは……と憂いを誘うばかりだったから。あの天から降ってくるようなマリーの声のおかげで、マルグリットは自分を取り戻すことができた。マリーはそんな復讐を望んでいなかったかもしれないけど、マルグリットは少なくとも自分で自分のことは肯定できるようになったのではないかと思う。断頭台へ向かう直前に、助け起こしてくれたマルグリットに向けた大きな笑顔は、すでに彼女が見た幻視だったのだとすら思う。その後の彼女の人生を思う時、自責の念で苦しみながら死んでいくのか、あるいは未来を変えるために自分の正しいと思う行いができるのか……。自分の意志というより大きなものに突き動かされている印象の強いソニンさんのマルグリットだからこそ、そのラストに信仰心のようなものを感じてしまうのだ。

 

 

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