耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

12月15日〈スリル・ミー〉感想

以下の文章はネタバレへの配慮なく、物語の核心に触れる言及を行っております。未見の方が読まれた場合、今後この作品をご覧になる際の「初見ならではの楽しみ」が阻害される恐れがありますので、避けていただくことをおすすめいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


男女の愛憎を描くのなら、「なぜ、男女なのか」というのは語られなくて済むのに、同性の愛憎ならそれが問題となるのはフェアではない気がする。とはいえこの作品に関しては、同性愛を扱ったものであるということが、わたしにとっては物語の意義の出発点のように思えた。つまり、相手の欲望を利用して相手の人生を奪うというエゴについて。それは男女のあいだの関係でならあまりにも日常的に、恒常的に、慣習的に存在しているから、かえって見えづらくなっていた。いちばん大きくて身近な例は結婚という形であるけど、もちろんカップルによって千差万別なかたちであるものではないだろうか。同性間の関係性であろうとそれが恋愛感情によって繋がっているのなら、同じことが言える。

この演目はめちゃくちゃリピーターが多いということを噂には聞いていたのだけど、わたしは今回初めてで、観る前にはネタバレは可能な限り避けていた*1。初見の者としては最初に状況把握をするところから始めるから、福士誠治さんの「彼」が一方的に奪い、与える側なのだと思うし、優位性は常に彼にあると感じる。成河さん演じるレイが、ほんとうに彼を求めているのか、それとも性欲の奴隷になっているのか、恋心がすり減ってただの執着心に成り果てているのか、それとももっと別の自分の孤独を埋めるために彼を求めているのか……、というのは初めのうち、よくわからない。

ただ、成河さんのレイからは「彼」に対する無意識下の敵愾心というか、復讐心というか、福士誠治が相手じゃなかったらもしかしたら優位に立ってたのは自分だったかもしれない、といったような思いを燻らせている印象は受けた。彼ほど頭が良ければ恋慕と紙一重の対抗心に自分でも気づいていそうなものの、相手が「彼」だからこそ、屈服せざるをえないほど惹かれてしまっているのもまた事実で、自分で自分に嘘をついているのかもしれない。

血で契約書にサインするシーンで「彼」が、「前にもやったことがある」と言うのを聞いた成河さんの顔は、最初見たときは嫉妬かと思いつつ、どこか違和感があって、後から考えればもしかすると「前にもやったことがある」という発言自体が「彼」の虚栄心からくる嘘なのかもしれないと思う。というのは福士さんの「彼」は自分の色気を意識的に、レイを支配するためのカードとして切っている気がするから。ふれあいを簡単に与えないのも、期待してないときほど与えようとするのも。そしてレイはもしかして、それが嘘だと気づいていた、というのが単純にあれを嫉妬と見ることができなかった理由かもしれない。

「彼」は虚勢からくる気取りの強い人なのだけど、レイはどこまでそれを承知して愛しているのだろうか。個人的な話で恐縮だけれど、わたしは十代のときに自己愛の強そうな男の人に片思いをしていたことがあって、そのナルシストを愛するとき、その人の人間的魅力そのものに惹かれる部分のほかに、それだけの魅力を裏支えしている自信と努力、それでも世の中に受容されるかはわからない不安感と、その不安を払いのけた勇気あるいは虚勢、そういったものを愛おしく思う部分というのがあったと思う。何もかも完璧な「彼」のような人の、唯一人間的な部分が、そうした気取りの見え隠れしてしまうところのように思ったので、それをレイはどこまで認識しているのかな?と、「前にもやったことがある」の一件からは思った。結局は、それがレイの「彼」への思いを愛と呼べるのかどうかという疑問に変わっていくのだけれど。

殺人をやった後の上機嫌な「彼」のようすを見ていると、あくまで彼が克服したかったのは父親で、それを共にやり遂げた同胞としてレイのことを捉えていた。ただその後、例の眼鏡の件であっさりとレイを見捨てた事実を思えば、「彼」が本当に求めていたのは何かという謎が生まれる。それにレイのすべての目的を知った後、不思議なほど動揺してないように見えて不思議だった。恐怖でもないし憤りでもない、かといって諦めでもなく……なんというか、そこでようやく腑に落ちたみたいな感じに見えたかもしれない。なんだ、そういうことだったのか、というような。

それで思い出したのはその後、「彼」が「お前を認める」と言っておきながら「お前はこれからずっと孤独のままだ」というようなことを言ったのが引っかかって。99年共に生きることを一度受け入れたように見えていたのに、この期に及んでまだ精神的に突き放すことが言えるのか?という引っかかり。

これは仮説だけど、「彼」の方ももしかすると肉体だけでなくレイが自分を求めてくれることを望んでいたのかもしれない。……そう思うと「彼」の言動のすべてがレイを試しているものだったような気がしてくる。わたしは福士誠治の美しさと官能性に幻惑されて、最初レイが「彼」から離れられないのは性的欲望からくる執着心という可能性も考えていたけど、もしかすると「彼」の方も精神的なつながりをより強く望んでいたのかもしれない(あるいはいつかの時点から望むようになった)。だとすると「お前はずっと孤独」という宣言は、おれを本当に愛してるなら自分を犠牲にしてでもおれの人生の成功のために行動してくれるはずだったろうにそうしなかった、つまりお前の愛は単なるエゴにすぎないんだ、だからおれとお前はたとえ肉体が一緒にいようとも、これから99年ずっと孤独のままなんだ、という話だったのか…?え、「彼」の愛の理想、ピュアすぎない…?というのはわたしが終演後、興奮さめやらぬ夜中に勝手に考えていただけのことだ。

真実は赤と青の闇の中に消えた。

 

*1:唯一のネタバレは2017年8月のNHK-FMのミュージカル特集で田代万里生さんが選曲して流れた「僕の眼鏡」