耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2022年9~10月に読んだ本

最近のようす

今までだいたい月次で読んだ本の報告をまとめて書いていたのだが、以前読んだことのある本を読み返すことが多くて、書きたいことがたくさんあるので一冊一記事に書いてみている。

そうしようと思ってそうしているというよりは、本棚を移動したことで本を気軽に手に取れるようになり、そのまま読んでしまうことが増えたからだ。

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読んだことのある本を読むのは新しい本を読むよりはエネルギーが少なくて済む。それになんだか心が落ち着く。好きだとわかっている本を読むのは自分を確認するような、取り戻すような感覚があり幸福だ。

「ああ、あの本は好きだった"気がする"のにどんな内容か忘れた、こんな自分の記憶力のなさが悲しい」

「読み返したいような気がするが、新しく読みたい本すら読めていないのに、読み返す時間がない」

なんて気持ちが頭のどこかでリソースを食っている気がしていた。だけど実際には「読み返す時間がない」のではなく、物置部屋の奥へ分け入って落ち着かない場所で本棚から本を選び取ることの心理的障壁が高かっただけだったのだ。今となっては仕事の休憩時間にちょっと隣に手を伸ばし、ぱらぱらとページをめくるだけで、気持ちが落ち着く。物理的な本ならではのありがたみだなあと思う。

 

再読本

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サマセット・モーム『人間の絆』金原瑞人訳(新潮文庫

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人間の絆、読みたい読みたいと思いつつ積んでいたのだけど一度「ノリ」みたいなものを捉えたらこれ以上ないくらいに読みやすかった。光文社古典新訳文庫の訳も読み比べたい、いつか………。

 

今村夏子『木になった亜沙』

当たりがやわらかいのにどう見たって奇妙で、只者では思いつかなかったような不思議な引力のある設定で続きを読ませる。そうしてつい、するすると気軽に読み終えてしまうのだけれど、幕引きはどこか不穏。今村夏子作品を何冊か読んで作風がつかめてきた気がする。
社会的には「はみだし者」となる存在が自分なりの居場所みたいなものを見つけられるというのがフィクションの醍醐味なのだった。彼らなりに見つけた闇の出口みたいなものがたとえ他人からみてハッピーじゃなくても、なんなら世の中に溶け込むようなものでなくたって、それが本人にとっては救いであることってあるものだよね、と感じられる終わり方が好みだ。

 

三宅香帆『それを読むたび思い出す』

SNSでフォローしている若手の書評家さん。ご自身の来し方を振り返ったエッセイで、物腰がやわらかくありつつも考え方の芯がある人柄をうかがわせる文章だった。世代が近いこともあり、自然と自分自身のことも振り返ってみたくなる。まさに読んでいるわたしが「これを読むと思い出す」状態に。ブックオフ、わたしも暇さえあればよく行ってたし、小中学生のときに自分の部屋で本に没頭して、「ずっとこのままでいいのに」と思ったこともあったなぁ。

一方で、自分とは違うところも。著者は自分の内面と世の中をしっかりと見据えて進むべき道を地道に進んで来た人なんだなと思った。それから高校時代のこと。まだ自分の輪郭がはっきりと見えていなかったとき、自分よりもわたしのことをよく見えていた友だちと、もっと話をしてみればよかったな、なんて。ひとつひとつのエピソードを自分のことにも引き寄せつつ読んだ。

アラサーになった今だからこそ、自分とは別の人生を歩んでいる誰か、という目線で同世代のエッセイに尊敬できるところを見つけたり、興味深く感じたりできるのが楽しい。今まで読んだことがなかった村上春樹の『アンダーグラウンド』を読まなきゃなと思った。

 

pepper『わたしのジュエリー365日』
わたしのジュエリー365日

わたしのジュエリー365日

  • 作者:pepper
  • CCCメディアハウス
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インスタグラムでジュエリー好きの人のアカウントをたくさんフォローしているということを前にもブログでちらっと書いたのだけど、何を隠そうきっかけとなったのがこのpepperさんという方。インスタなのに写真のほとんどない本が出てしまうほど文章が充実したアカウントなのである。(個人的にはこの方の美しく風合いのある写真あってこそ文章のユーモアのセンスが光ると思うので、もっと画像を入れてほしかったのだが。まあ、価格と紙の兼ね合いで大人の事情だろうけれど…)

SNSにしろブログにしろオンラインショップのレビューにしろ、「これを買った、ここが良かった」という話は世の中に溢れているものの、ジュエリーは買い物として少々特殊。そもそも生きるのには必要のないもの、何かの役に立つわけではないものだ。それでありながら…というよりそうであるからこそ、その選択には本人の趣味嗜好や価値観や生活スタイルまでもが顕著に表れてしまう。だからわたしはどこの誰とも知らない人がそのジュエリーを選んで買った理由を読むのが、偏執的なまでに好きなんだと思った。

とりわけこの著者の方は自分なりのファッションの核を持ってらっしゃるし、自分のコンプレックスをチャーミングなユーモアある言葉で表現しつつ、それをカバーする視点で装飾品を選んでいらっしゃるのがお洒落で。一方で、色石ジュエリーのように「自分主体」で自分の目を楽しませるための遊び心も忘れないのも素敵。talkativeやエツコソノベのアートピースのような色石リングがいつか欲しいという気持ちは、全てpepperさんのインスタから学んだ…。

ただ、実際には購入されていないジュエリーに関して検討した話が出てくるのにそれらの画像がない、という点に関してもまた大人の事情を察した。例えば「タサキのバランス プラスとバランス ネオ」とさらっと書かれてどちらもパッと頭にイメージが思い浮かぶ程度には、自分もジュエリーについて調べている人でないと読み進めるのが難しい。そういう点で読者を選ぶ本になってしまっているのがちょっと惜しいなと。いやわたしはそういう話が読めてうれしいんですけど。ネットなら画像やリンクをいくらでも引っ張ってこれるけど、それをそのまま書籍にするってなかなか難しいのだろうな。

 

篠田哲生『教養としての腕時計選び』

SNSでジュエリーアカウントを毎日見ていたらどんな気持ちになるかおわかりですか?そう、答えは「自分でも欲しくなる」ですね。

以前指輪を買ったわたしが次に欲しいなと思ったのは腕時計。せわしない日常にも相棒のように寄り添ってくれるだろうし、時計というものが持つ「時間を刻む」という役割にもロマンを感じる。この本はまさにそういう点を捉え、「そもそも時を計るということは…」みたいな時を計ることの歴史の話から始めてくれるのが読みものとして楽しかった。ブランド解説のラインナップを見ると男性ものにフォーカスした本なのだろうなと思うけど(そもそも女性ものの時計選びはロマンよりは実用性やファッション性の比重も高いだろうし)。時計ってオタクの多いジャンルゆえにネットを調べても情報が膨大だから困ってしまうのだが、そもそも時計好きな人が何を見ているのか?、専門用語のわかりやすい説明から「それの何が良いのか?」という疑問までくまなく解説してくれているのは初心者には大変ありがたかった。

そしてその結果、時計の機構にときめいて所有するにはお金がいくらあっても足りないとわかったのだった……。たとえば真太陽時=1日24時間ではなく実際の太陽の昇降で1日を計る、イクエーション・タイムという機構を載せた時計があるらしく、なにそれめちゃくちゃかっこいい!!と思ったらそのような腕時計なんて数千万するという…。で、ですよね。