耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2024年1月に読んだ本とか

最近のようす

お正月休みが終わって仕事が始まったとたん読書がはかどらなくなり、風邪をひいた。身体に悪い労働。でも休み中うじうじ悩んでいたことがスッキリしたので「やることがある」ということそのものは、わたしにとってはいいのかもしれない。

1月中旬ごろ、突然ゲームがやりたくなり、夜な夜なポケモンバイオレットの2周目をやってる。1回目にはほとんど飛ばしていた草原の探索やひたすらモンスターボールを投げてポケモンずかんを埋める作業に、微弱な快楽が得られている。

わたしはポケモンSVに出てくるとあるジムリーダーが好きで数年ぶりに二次創作を読みあさるようになったほどハマっているんですが、再会してジム戦をしてしまうとクリアするまでまたしばらく会えなくなるのが怖くて、逆にその人のいるジムの門が叩けなくなっているほどです。ときメモみたいに出会う直前のセーブデータを残せるようになってほしい。

 

 

読んだ本

『自転しながら公転する』山本文緒

面白くて…というか身につまされすぎて年越しの夜に一気読みした。もう若くて何でもできるって年齢ではないなと思う、それなのに今まで生きてきた年数よりずっと長い時間が目の前に伸びている。そういうことに突然気づいて途方に暮れたような気持ちを抱いたことのある人に読んでほしい。

主人公の都は、同年代の友人と比べても少し幼いというか、箱入り娘っぽいふわふわしたキャラに描かれている。そういう個性がひとりのキャラとして面白がられていた学生時代と違って、社会に出て働き始めると突然評価の対象になる、という疲れ。ダイレクトに給与にまで反映されないにしても、同僚の態度には出てくるものだし。これを読む直前、わたしもたまたま職場の忘年会に参加していて、仕事外のコミュニケーションをしながらも「人を評価し、評価される空間」であることにものすごく辟易したので、余計に傷口にしみる思い。

20代のうちはそういうことが、自分ではどうしようもなかったり、上手くコントロールできなかったりして苦しかったなと思う。逆に、いちど踏ん張ってそういう壁みたいなのを超えてみると見える世界が変わる…というか、自力で少しでも変えられる何かがあるということに気づけたりもする。いくらでもしんどいことあるよね、と思わされるのと同時に、そういうことにもう覚悟を決めて、腹を据えて生き抜いた人間の存在に勇気づけられる小説。文庫解説によると終章には賛否両論あったらしいのだけど、わたしはある方がいいと思ってます。

 

『断絶』リン・マー

パンデミック小説という帯がついていて、何となく今こういうのなら読めそうかな…みたいな気持ちで手に取ったのだが、終末を迎える世界を生き延びるスリリングな面白さ以上に、根底には資本主義社会へのシニカルな眼差しとそれでいてそこから逃れられない苛立ちみたいなものを感じる小説だった。もちろんパンデミック社会を描くリアリティもすごく、「日常を中断するには自然の力が必要になる」という一文にははっとさせられる。これを2018年に書けていた小説家の想像力ってすごいですよね…。

たまたま同じタイミングで読んだからというのもあるけど、『自転しながら公転する』と似てるなあと途中から感じるようになった。社会の中で「定量的な価値」のために自分を消費する、つまり金で得られる自由とか喜びをニンジンにして目の前にぶら下げて自分をすりへらさなきゃやってられないことの疲れ。あと、そういうもの全部から自由そうに見えていたのに、実際にはお金を稼ぐゲームからドロップアウトしてるせいでどこにもいけない、資本主義の埒外にいるみたいな男性との恋愛。

都市生活とは、資本主義のシステムに日常生活を組み込むということは、ひとつの宗教みたいなものであって、そういうものがなければ我々は正気を保って(あるいは正気だと思い込んで)生きてはいけない。

そして世界の終わりの後でさえ人と人と組織みたいなものを作って一緒にうまくやっていかなきゃならないことも怖いが、世界に他に誰もいなくなるまでオフィスに出勤し続けてるのもなかなかの恐怖だ。でもそうしている自分に気づかなければ、彼女は自分ではカネ=自由という逆説的な呪縛から逃れられなかった、ということなのだろう。

あと結構この話、デビュー作というのもあるのかもしれないが、テーマをが結構いろいろ詰め込まれてる。もうちょっと絞ってもいいんじゃないと思うくらいに。だけどきっとどれも作者にとって切実なものなんだろう。中国からの移民2世として米国社会を生活するときの、薄っすらとした疎外感が終末後の世界であらわになるところとか。あと母と娘の話。働きたかったが夫のサブ的な立場として一生を終え自分の自由を生きられなかった母、彼女の願望を背負って未来へ進む娘の私、という話もしたかったのかな…と後半にいくにつれて思わされ、こういうとこが儒教文化圏で育った女が書く小説っぽい。著者のバックグラウンドを感じさせる。

 

『唾がたまる』キム・エラン

表紙の美しさに目が留まり、ぱらぱらとめくっていたらそのまま持って帰らずにいられなかった短編集。そういえば同じくキム・エラン氏の『外は夏』も手に取ったらそのまま買って帰らずにいられなかった本だった。

『包丁の跡』、いくつもの唾がたまるような食べ物に残る包丁の跡が身体の中をめぐっていくイメージが斬新。「母娘の物語」として思い浮かぶどろっとしたもののイメージをスパッと断ち切ってくれるようで。「切る」ものがつなぐもの、巡るものとして書かれていることも。じっとりした恨みや憎しみをぶつける対象としてではなくて、「うちのガキ」を大きくするためのさっぱりとした手段として見ているから好ましいんだろうな。エモーショナルなのに粘着質がないのが好きなんだと思う。

読み終わってから改めて装丁を見ると、この作品のラストのイメージをもってきていることがわかる。表題作ではなくてそっちの「唾がたまる」のイメージなんだあ…と思えたのもよかった。本の制作にかかわった人たちの愛も感じる。

『フライデータレコーダ』もよかった。シンプルで美しくて、ちょっとした「欠け」のある世界を描いていて、でも生きるってことは捨てたもんじゃないねと思える話だ。

 

『パッキパキ北京』綿矢りさ

パッキパキの綿矢りさ。社会に適応できなくて生きづらいとかではなく、適応がなんじゃい!わしはここにおるんや!とベンチに空いた狭いスペースにお尻をねじこんでいくような強引さにて人生を駆け抜ける。特に設定が明記はされてないがこの主人公は絶対関西人。たとえそうでなくてそこここに滲む関西イズムがある。しらんけど。

いやわかってるんですよ、ここに書かれてるのは作者本人の考えではなくて作者を重ねて読むことも想定され巧みに創作された小説だってことは。でも読者が小説のヒロインに作者を重ねることを否応なしに経験しつづけてきた著者だからこそ書ける小説でもあるんじゃないかなーという気がした。

 

『アーダの空間』シャロン・ドデュア・オトゥ

レイシズムやセクシズムのような現実に根差した問題を直接的に扱った小説がファンタジーとも取れる設定を取るのが意外な気もしたけれど、歴史が何度も繰り返す、何度も何度も似た過ち繰り返しながら人びとが同じ営みを繰り返してきたこと、それを思うと読み進めるうちに腑に落ちてくる。ちょっと手塚治虫の『火の鳥』みたいかもしれない。でも転生ものにしてはロマンティックさはない。むしろ中には受け止めるのがあまりにも重く辛いくらいの内容もいくつもあったのだが、設定と構成ゆえに語られることとの間に距離感がうまれ、時間や空間を超越して人間なるものを見つめたときのユーモアや諦念が差しはさまれることがこの設定と構成の効果なのではなかろうか。

 

舞台

ミュージカル「赤と黒」

開演前に舞台上に用意されてる舞台美術をぼーっとみるのが好きで、演出はクラシカルな雰囲気なのかしらと思っていたら始まった瞬間あっ、こういうかんじなんですね!とわからせる東山ジェロニモの佇まいにちょっと笑いそうになってしまった。王政復古時代フランスのきざな上流階級を体現しつつも「これはロックな勢いほとばしるショーなのよ」と一瞬で解らせる身振り手振り台詞回し。

というかストーリーは青春っぽいというか終始青年の話なのにおじさん役者の層がやたら厚い。そんな中でも大好きな川口竜也さんが相変わらず歌うますぎて圧倒されました。。2幕からのみ登場でしかもソロあの一曲だけってもったいなくない??

あと駒田さんはアク強くて腹に一物あるわりにはなーんか憎めないおっちゃんの役やらせたらダントツに上手いな!と思ってみてました。 今回のヴァルノ役に関して、舞台で描かれてる限りにおいては情状酌量の余地なく終始悪役なんだけど、駒田さんがやると邪悪さが全くなくて「ほんましゃあないなーこのおっちゃんは」になるんですよね。

メインストーリーにかんしては原作を読んでいなかったので「あ〜なんかめっちゃカットされてるんだろうな〜」という匂いをかぎとった。原作を読んでいる前提のお客さんに向けたショーと割り切っていたのかな。純粋にストーリーを追っていて、ルイーズそんなこじらせた手紙をかいちゃうほどずっとジュリアンのこと想ってたんだ…というのが意外に感じた(原作だとこのあたりの葛藤がしっかり描かれているんだろうか…)。夢咲ねねさんのルイーズによって表現される、聖母のようにノーブルな雰囲気と、対照的に内に秘めたる情熱の炎をこじらせてしまう人間像というのがわたしの好みそうではあったので、そのあたりを深堀りするシーンが観てみたかった気もする。

三浦さんのジュリアンは野心家というかんじがあまりせず、むしろ無口でミステリアスな部分に男性的な魅力を感じるなかにも若さゆえの迷いというか、戸惑いの方を感じた。最近よくお名前をきく役者さんなのでアラサーぐらいかなあと思っていたらめっちゃ若いんですね。道理で会社の2年目の子とかを思い出すわけだ……なんというか周りをおじさんで固められていることも相まってかリアリティがある。のしあがるためにギラギラしてるというよりは、最適な方法で世を渡るやりかたを模索している途中の、少し冷めた目で周囲をみている今時っぽい男の子というような。若さゆえの全能感でガンガンいこうぜというタイプではなくて、失敗したくなくて慎重にいきたい人。だからこそ、母のように力強く行く先を照らしてくれ、包容力のあるルイーズに本心では惹かれたのかなあと。

マチルドの田村さんも好演で、可憐だけど我が強く、我儘なようにみえて気丈さを感じさせる女の子。駆け引きするのもいじらしくてかわいかった。ルイーズとは全く逆のタイプなんだけども、ルイーズとの恋で胸に傷を負ったジュリアンが惹かれるのに説得力を持たせていた。