耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2026年3月に読んだ本とか

皆さんは1日のうちでいつ本を読んでいますか? 私は夜です。早起きにくらべて、夜ふかしは「もうちょっとだけ…あと5分だけ…」という意志の弱ささえあれば楽に時間を確保できてしまうため、夜ふかしをやめられないのは道理。ちなみに朝はもちろん「あと5分…」とつぶやきながら起きられないタイプです。

 

読んだ本

『夢宮殿』イスマイル・カダレ(村上光彦 訳)

別記事を書きました。

sanasanagi.hatenablog.jp

 

 

『恐るべき緑』ベンハミン・ラバトゥッツ(松本健二 訳)

短編集。20世紀の天才科学者たちの伝記をもとにしたフィクションなのだが、苦労や努力のドラマとかそういうことでは、まったくない。ただここにある世界と、その成り立ちを解明せずにはいられない人間の頭脳、そして科学を利用して兵器をつくりもすれば、大量の食糧を生産して多数の人間の生命を救いもする。地球、この世界を成立させている仕組みを人間は未だ完全に理解できていないし、しかも人間はすでに誰もすべてを理解することができないものを作り出してしまってもいる…
だからといって、ほんとうに恐ろしいのは人間、ということでもないように思われ、タイトル通り「恐るべき」なのは緑、この世界が「ただこうある」ということなのだ。
それにしても、この小説を読んでいると本来わたしが理解できないはずの超人的な物理学的法則や数学の論理がなぜかわかったような気分になる……。それらを詩的な言語で表現すべきだという思想に基づいて書かれているからなのかなあ。翻訳もきっと苦労なさっただろうなあと思うのは、おそらく難解な内容を、読むわたしが愉しみながら読む余裕を与えてくれているからだ。

 

『屍衣にポケットはない』ホレス・マッコイ(田口俊樹 訳)

先日読んだ『彼らは廃馬を撃つ』がおもしろかったので。文庫裏のあらすじを読むと主人公が巨悪と戦うハードボイルド小説みたいな雰囲気のように見え、普段あんまり手に取らないかんじかもな~と思っていたんだけど、蓋を開けてみたら「一目で惹かれあったのに素直になれないケンカップルな男女のドタバタラブコメ」って感じでした。

主人公のマイクはあらゆる女に情欲をわかせしょっちゅう女に誘われてはすぐ寝るんだけど、本命の女とは口喧嘩するだけで全然色っぽい展開にならない……少女漫画か?

性欲にかられて夜中に家に来ちゃった元カノの現夫がブチギレて殴り込んできたため、揉めないために女の方を殴って気絶させたうえで召使の部屋に隠すとか、ちょっとドン引きしそうなはちゃめちゃな展開もある。著者は映画脚本家だったらしく、ほとんど地の文がなくて台詞ばっかりでポンポン読める、エンタメに振り切ったパルプフィクション的な作品なのかと思いきや、時折ふいに主人公の希死念慮のようなものがこみあげ哲学的な思索に沈められるような描写に、違和感とともに引き込まれる。途中はコメディなのにいざラストとなれば暗くて救いもなく、書かれた暗い時代の雰囲気を反映しているのか。

 

『わたしたちの不完全な人生へ』ヴェロニク・オヴァルデ/村松 潔訳

表紙をみて、フィクションの嘘により軽やかに前向きな夢をみさせてくれるほっこりした本なのかなーと思ったのだけど、もっと皮肉っぽく小さな棘のあるユーモア混じりで、それがリアリティになっている本だった。普通の人の普通の人生なんだけどそれが唯一無二になることもあるんだよんって言ってくれてるのを、どうせフィクションでしょって捨て鉢な気分にならずに信じさせる。こういう小説が好きだ……。帯の推薦文が津村記久子さんなのも読了して納得。たしかに棘のある津村記久子ってかんじだ。
それにしてもクレストブックスってタイトルに"人生"とつく本が多いきがする。小説の内容が決して抽象的ではないのに、タイトルが抽象的なのが不思議だ。日本の小説たちの、短いなかに工夫を凝らしたタイトルに慣らされた贅沢なのか。

 

『五月 その他の短編』アリ・スミス(岸本佐知子訳)

どの短編も良い〜。それぞれの小説世界に入っていくときには違和感があり、入りにくい感覚があるのだが、一読するとそのあとはもう何度見返しても、ああ、あの世界だ、と思ってすんなりそのなかに戻っていけるような、もう一度見てみたい夢のことを何度も思い出すときみたいな、そういう感覚のある本だった。

 

『翻訳はおわらない』野崎歓

翻訳者は何を考えながら翻訳してるのか、絶妙に読者の知りたいことが訳文の例を挙げながらエッセイ調で書かれており面白い読書だった。翻訳者のエッセイをいくつか読んでいるが、実際にここまで翻訳作業のただなかを解剖しているような文章はあまりないような。本が好きな人が別の話をしていても本の話をしてしまうみたいなエッセイが好きなのだが、「読む」とか「訳す」とひとくちには言っても、それが何を表すのかはさまざまなんだなあと思う。

 

『百冊で耕す』近藤康太郎

元朝日新聞の名物記者だったという読書家のエッセイ。そういわれてみれば確かに天声人語とか、新聞の長めのコラムみたいな文体。タイトルから、本を厳選して百冊に収めようというミニマリズムの本かと思っていたら、むしろもっと本が読みたくさせてくる。本をいっぱい読むためのtipsいろいろ実用本というか。巻末にはブックリストまでついている。最近翻訳小説ばっかり読んでいるので、日本語の古典小説を読むようにすすめてくるのがむしろ新鮮だった。

 

『時間』横光利一

『百冊で耕す』を読んでいたら古めの日本文学が読みたくなって青空文庫に頼る。数ある中から無作為に開いたわりに、偶然ながら爆笑ものの傑作コメディを引き当てた。

一人称の語り手が、緊迫した状況にもすこぶる人間的な下らない雑念に囚われている状況を緊密かつ冷静な文体で書き記しているのがなんともおかしい。そしてストーリーのダイナミズムが頂点に達するとき、この愚かな人間どもが半分眠りながらぽかぽか殴り合ってる姿に思わずふきださずにいられない。最後のオチが完全にツッコミ待ちなところもどたばたコントだった。

 

『エンジェル エンジェル エンジェル』梨木香歩

やる気が出なかった日にふと思い立って再読。こんなに完璧な本だったのか……昼休みに読んで大泣きしてしまった。

子どものころ読んだ時は、エンゼルフィッシュのグロテスクさと、〈さわちゃん〉がその死骸を潰すさまがただ恐ろしかったことばかりが記憶にある。お母さんが、「エンゼルが脂ぎってきた」と嫌がっていうくだりも覚えがある。だけど、何もわかっていなかった。さわちゃんが本当に憎んだのはなんだったのか。

「エンゼルだって、何で自分があんなことしたのかよくわからなかったと思うよ。しかたなかったんだよ、さわちゃん。そんなにエンゼルをめちゃめちゃにしちゃかわいそうだよ」

自分がなにをしているのか分からないまま他者に残酷にふるまう人を、責めるのではなく、「かわいそう」といってあげることで、救われるものがある……。さわちゃんがおばあちゃんになるまでかかえてきたものは、それは私たちだれもがひとしく自分のものとしてかかえている個別のものであり、かかえていなければならないものだ。それならやっぱり、わたしもさわちゃんみたいに、おばあちゃんになるまでかかえていなければならないんだ……という気持ちと、かかえていたものが、楽になる瞬間もある、という希望とで。

 

映画

ウィキッド For Good

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舞台

プリティウーマン ザ ミュージカル

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破果

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いのこりぐみ

直前でチケットが取れたので…。小栗旬、菊地凛子、相島一之、平岩紙、っていうメンツを集めて三谷幸喜がなんかやるなら行くしかなくない!?と鼻息荒く向かったのだが、これにかんしてはちょっと期待しすぎだったかもしれない。いえ、チケット代相当くらいの楽しみは享受したし、普通に十分面白かったんですけども……。三谷作品にたいしてコミカルで笑えることのプラスアルファのなにかを期待してしまっていることに気づいた。今回それが「承認欲求…!!」という台詞だけに回収されてしまったのがちょっと物足りなかったのかもしれない。