耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

NTLive オセロー(2023)

わたしはシェイクスピアのなかではオセローが結構好きだったということを思い出した。なぜかというとストーリーがわかりやすいからだ。とにかく邪悪な黒幕がひとりいて、その人物の動きを追っていると話がわかる。しかもその悪人が自分のたくらみを観客に向かって独白してくれる。そして登場人物の名前がおぼえやすい(同じ名前の女が現れては死んでいったり、似たような名前の人間が敵味方に分かれて争ったりしない)。

そのわりにまともに演劇の形で観たことがなく、今回のナショナル・シアター・ライブは結構たのしみにしていた。以前本で読んだときの第一印象、「イアーゴーってなんでこんなことするの?」という点について考えたのは以下のようなことだった。イアーゴーはオセローに対して愛憎入り混じる巨大な感情をいだいているが、イアーゴー自身はそれについて認めたくないか、あるいは気づいていないのだろう、というものである。だからイアーゴーは、周囲の人間を消していくことでオセローを孤独に陥れ、そしてオセロー自身をも苦しめたいのだろう、と。ただしかしこれは個人対個人の感情のやりとりにのみフォーカスした解釈であり、オセローがヴェニスムーア人、つまり黒人であり人種的アウトサイダーであることは頭からすっぽ抜けていたのである。

今回のナショナル・シアターの演出は黒人演出家のプロダクションということを打ち出しており、社会の差別感情に悲劇の原因をフォーカスしていた。オセローがあれほど深く愛していたデズデモーナへの疑いを簡単に信じ込んでしまうことも、社会的構造に埋め込まれた女性嫌悪が根本的な原因であると示される。個人の感情が問題なのではなく、社会全体として女性を下にあるものと位置付けているからこそ、簡単に不倫の噂が立つし、自由闊達な精神を持つ妻が夫への誠実さをも両立していることを上手く信じられない、というわけである。

今回のデズデモーナ(演:ロージー・マキューアン)は明朗闊達で自分の意志がはっきりとした現代的な女性として造形されており、めそめそと泣く若い未熟な女というシェイクスピアあるあるなイメージとは正反対だ。それにもかかわらず、彼女が繰り返し訴える「浮気なんてしていない」という言葉はオセロー(演:ジャイルズ・テレラ)を苦悩させはするものの、結局イアーゴー(演:ポール・ヒルトン)の讒言のほうが勝ってしまう。原作を読んだときはイアーゴーの口がうますぎる……という印象がつよかったのだけれど、今回の演出ではイアーゴーの独白シーンが蛇足に感じるほどで、頭の切れる裏切り者というよりはさまざまなピタゴラスイッチのめぐりあわせが負の方向に偶々ぴたっとはまってしまったせいのような印象を受けた。イアーゴーの企ての巧みさというよりも、これまで積み重ねた関係性。言ってみれば、美貌も人柄も知性も兼ね備えた妻より、数々の戦場を共にしてきて「ちょっと言うことが回りくどくて頭が切れそうには見えないが、嘘をつけない信用のおける男」として付き合いを重ねてきた部下を信じてしまうか…と思ってしまう。

将軍オセローは部下であるイアーゴーやキャシオーを「友人」と呼び、デズデモーナへの秘密の恋についても部下であるキャシオーにこっそり打ち明けて、男同士の親密さを深めている。たぶん組織のトップとしては体制的に部下を支配しようとするのではなく、人間的な結びつきにより組織の紐帯を深めようとするタイプ。わたしはオセローの結婚指輪がプラチナカラーなのが気になっていて(デズデモーナの指輪はゴールドなのに)。たとえばオセローがゴールドカラーの指輪をしていたら、なんとなく肉体的強さや権力を誇示するようなキャラクターに見えてしまっていただろうと思う。だから黒人の肌に合わせると涼やかでさっぱりとしたイメージを与えるプラチナカラーの方が、今回のオセローのキャラクターをより表現するのに一役買っていたのではないかと思ったのだ。

 

前半、イアーゴーが彼の邪悪な裏切り行為の理由をはっきり独白する場面がある。「妻のエミーリアをオセローが寝とった噂がある」と述べるのだ*1。個人的にはイアーゴーがそこまで妻エミーリアを愛しているとかいうふうに思えず、明らかにオセローはエミーリアやイアーゴーにそこまで興味がなさそうなのに、その噂とやらのせいで抱く嫉妬が裏切りの原動力となるのには違和感があった。が、今回の演出ではやがてイアーゴーが妻エミーリアにDV行為をはたらき、所有する下僕のように扱っている描写が出てくる。それで少し腑に落ちたのだが、つまりイアーゴー自身が当然のようにミソジニーレイシズムを内面化している人物であるために、自分が下にみている人間らの背信行為という「噂」=社会的な評価が立っていること自体が許せなかったというわけだ。噂が真実であるかは関係なく……というか、真実ではありえないからこそ、その噂が存在することが憎しみにつながってしまったのだろう。

そういう描写があればこそ、終盤のエミーリア(演:ターニャ・フランクス)の独白がとにかく引き立つ。このエミーリアの長台詞は、どうして17世紀の男性であったシェイクスピアがこんな台詞を書けたのかと思うほど、今となってはフェミニズムそのものとしか思えない。最後にこのエミーリアの告発によってイアーゴーが報いを受けるという結末から考えても、もはやホモソーシャルシスターフッドの話としか思えなくなってしまった。

 

▼おまけ:以前オセローを読んだときの感想がないかな~と自分のブログを検索していたらエミーリアの独白のことを書いていて(完全に忘れていたが)やっぱりここのエミーリアの台詞がオセローのパンチラインなのかもしれないな~と思った。

世間の亭主たちに教えてやるとよろしいのです、女房だって感じ方は同じなのだということを、見えもするし、鼻もきく、酸いも甘いも解るのだって。

『オセロー』第四幕第三場、福田恆存訳、新潮文庫

sanasanagi.hatenablog.jp

 

 

*1:イアーゴー「おれはムーアが憎い。世間の噂では、奴はおれの寝床に這いずりこみ、おれの代りを勤めやがったという。」『オセロー』第一幕第三場、福田恆存訳、新潮文庫