耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

『ラビット・ホール』@森ノ宮ピロティホール

2歳のこどもがお昼寝に入ったのを見届けてから家を出る。森ノ宮ピロティホールへ、『ラビット・ホール』。

前情報をあまり調べていなくて、こういう題材だと知らずに観に行ったのだけれど、扱っているものごとの苦しさの一方で、良いものを観た満足感に包まれてぼんやりとしながら地下鉄に乗って帰宅した。

 

たったひとりの幼い子どもをある日突然事故で亡くした夫婦(演:宮澤エマ、成河)。

出来事そのものの重さはさることながら、それを自分の身に重ねて想像してみたとき、その感情をいちばん理解しあえるはずの家族とうまく支え合うことができない苦しさが身に迫る。

でも、同じどん底にいるからって簡単に共感できるわけでないことも、当然あるだろうな、と想像できる程度には歳を重ねてしまった。

もしも自分の身にそれが起こったら周りはどうなるのだろう、わたしはどう振る舞うのだろうということをずっと考えながら見ていた。

レベッカの実母(シルビア・グラブ)や妹イジー(土井ケイト)も含め、お互いに自分の感情とそこから抜け出せない苦しさしか見えていないかのような前半。それから2ヶ月が経過したことが示される2幕では、それでも少しずつお互いの内面を思いやって、くるしみに溺れる生活から自分の人生を取り戻そうとする。

ほとんどが台詞だけで説明らしい口調もなく進んでいくのに、退屈させず、ユーモアもあれば、人と人とが対峙するときの息を呑むようなピリッとした空気の表現もあり。

『鎌倉殿の13人』をみていたときにも思っていたのだけど、宮澤エマさんの演技、だれかほかの役者さんと対峙するシーンでの、台詞の外の部分の言葉のない雄弁さが好きなんですよね。

 

なんというか全員「こういう人いるいる、いるよね」と思わせられつつ、でもその人にも友達や職場に見せている顔や見知らぬ他人に見せる顔と、家庭内で見せる顔と、つらいときについつい噴出してしまったコントロールできていないときの顔と、いろいろな面がある複雑なひとつの人格なのだということが描写されていく。

言っていることがそのときどきで変わったり、相手がなにも悪くないけど自分が今直面している状況のせいで身勝手にいらだちをぶつけてしまったり、他人を思いやれなくて自分のことでいっぱいになってしまったり、思いやっているつもりのことが自己中心的になってしまったり。

冷静にみると、それは他人に胸を張れるようなふるまいではなかったりもするのだけど、「だけどまあ、そんなかんじになることも全然、あるよな…」とつぶやきながら我が胸に手を当てる。

 

時間の経過を表現するための装置として、妊婦の身体や家の中の様子のような客観的な描写が設定してあるのも非常に分かりやすい。

それと並行して、役者の台詞や態度からも、自身のふるまいへの後悔とか、その人なりに修復していこうと自分を変えていく姿が見える。この人なりに自分のありたい姿であろうとして、懸命に考えて出てきた言葉なんだなあということが読み取れるのだ。そのことに、心がぎゅっと締め付けられるような愛おしさや健気さを感じる。

 

成河さんの夫役は最初出てきたときカチッとしたスーツ姿だったので、またバイオームみたいに醜悪な男の役だったらどうしようかと思ったけど(警戒心よ…)まったくそんなことはなく。妻を思いやりながらも自分なりに悲しみと向き合い、社会的にはきちんとしなくてはというプレッシャーにも耐えつつ、苦悩を抑えられなかったり自分なりに戦ったりする姿が見える人物で。

この、夫婦で手をつないで同じ方向をむいて、ひとつずつ自分たちのやるべきことを確かめていく終わり方が、ほんとうによかったです。

夫婦って、物理的にいちばん近くにいるけど、他人で。でもやっぱり精神的に一番近くて、わかりあえなかったり突き放す部分もあるけれど、一方では、心が通じ合っていようとなかろうと、世界でこの二人にしか分からない何かが必ずあるんだよね。

そういうことを考えました。

 

イジィ役の土井ケイトさんは初めて拝見した方だったけど、チャーミングさもあり一番好きなキャラクターだった。ちょっと尖っていて自分勝手でやんちゃしている感じの子なのかなと思いきや、実は周りへの目配りも効いていて、場を和ませる一面もあって、いい役!なんとなくこういうのって、おじいちゃんみたいなキャラに配されがちな気がするけど(あくまで個人的なイメージだけれど)、あえて一番若い女にそこを配するのもおもしろいな〜。

シルビアさんの母も…あーこういうかんじの独善的なお節介を言ってくるおばさんいるよね、って感じなのかと思ったら、娘のことわからないなりに娘の言うことをきちんと解ろうと努力してくれていたり、あーおかあさんって、そうよな…と自分自身の母のことも思い出して、これはこれで泣きそうだった。おかあさんだって、娘が幼い息子を亡くすなんて初めてで、トライアンドエラーなんだよね。このちょっと独り善がりにも腹立たしい毒母にもなりそうな役を、絶妙なキャラクターで憎めない茶目っ気のある雰囲気にしているのがシルビア節のすごさである。

この母親の言う「ポケットの中にあるレンガ」の台詞がなんともあたたかさと希望に満ちていて、涙がたくさんでた。これからわたしの人生に自分ではどうしようもないくらい苦しいことがあったとして、そこから少し抜け出せそうになったとき、このことばを思い出せたらいい、と思う。