耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2020年5月に読んだ本

今月のようす

先月に引き続き、小説の割合が少なめだった5月。ストレスはさほど感じていないつもりだけれど、無意識に不安定な精神状態を反映しているのか。といってもわたしは本を選ぶときも、現在直面している問題を真っ向から直視するのは避けがちだ。それよりは少し場所や時間をずらしたものを読むなかで思索の糸口を見つけようとする読書傾向だな、と振り返ってみるとわかる。

良くも悪くも同時代のトピックみたいなものは少し距離を置いて見たいと思ってしまう。もうちょっと社会にコミットすべきなのかなあと思う一方、ご意見番でもあるまいし、自分のなかに思考のものさしみたいなものが作れていればそれでいいとも思っているほうが大きい。

 

シュテファン・ツヴァイク昨日の世界』〈1〉〈2〉(みすずライブラリー)

昨日の世界』をついに読み終わってしまった。『マリー・アントワネット』『ジョゼフ・フーシェ』『メリー・スチュアート』の伝記三作を読んでから、劇的に感情を揺さぶる文章と、行間から香る人間性に惹かれていたツヴァイクの最晩年のエッセイだ。

本を読んだとき、たまに「読み終わりたくない」と思ってしまう作品がある。本の中の人物が友だちのように感じられるために、読み終わることが友人との別離のようで寂しく思えるのだ。この本はわたしにとってはまさにそんな本だった。

19世期末にウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、第二次世界大戦のさなかに亡命先のブラジルで自ら命を絶った著者の自伝的作品。フランツ・ヨーゼフ治世下で文学に熱を上げたギムナジウム時代の、権威主義的なウィーンの空気に好奇心をそそられる上巻。第一次大戦をくぐり抜けて経験した社会通念の逆転、そして不穏な空気に覆われる欧州各地に居を転々としながらも文筆家として名声を得た後半生。自分の人生を語ると同時に、市井の人びとの価値判断基準がめまぐるしく変容する時代の空気が縫い込まれ、史料としても文学としても読むことができそうだ。

著者の文章と人柄と知性とに惹かれていること、そして自死した著者の最後の回想録ということがあるから、読み終わることでほんとうに著者が行ってしまうような、そんな気がして本当に読み終えるのが寂しかった。当然わたしが生まれる何十年も前に亡くなっている著者だけど、読み終わるまではまだ生きてくれているような気がして。

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

 
昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)

 

ヒューマニズム、精神的結合、ヨーロッパの統合、そのために人生をささげたツヴァイク。本書を書き上げた時点では、この戦争を乗り越えた後にまた一から作り上げる時代がくるという希望の示唆もある。試練と孤独こそが人を高め、現世的価値が転倒するなかで芸術の真の価値を見出したという記述には、自身の経験の重みのなかで鍛えられた精神に対する自覚を見出せる。

でもその一方で、六十に近い老齢を迎えてユダヤ人として追われ、故郷を失ったまま放浪を繰り返すことに疲れ、新しい時代を見届ける力がもはやないと感じていることも痛いほどに伝わる。その鋭い知性が、正確に人間というものとその未来を見通しえたがゆえのことだろうか。思いを馳せるのに尽きることがない。
読了日:05月24日

 
森島 恒雄『魔女狩り』 (岩波新書
魔女狩り (岩波新書)

魔女狩り (岩波新書)

 

残虐な拷問を伴う魔女狩りの手段が書き連ねられるほどに「なぜこんなことを」という思いが浮かぶ。財産の接収目当てというのは大きな理由だろうが、神という絶対的正義を後ろ盾につけたからこそ行為者が内省を怠り、暴力的な指弾を加速させたことも理解できる。マニュアル化された尋問の手順も服従の心理を作り出すのに一役買っただろう。現代に至っても人の残虐性の本質は何も変わっていないのだと背筋が寒くなる。
大きな流れに身を任せることに疑問を持ち、自分の行為を疑い続ける勤勉さこそが、思考停止の怠惰という悪魔の誘惑から逃れる道なのだ。誰の決めたかもわからないルールや、大きな法則に従順になることではなく。
読了日:05月30日

 

若桑 みどり『お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』 (ちくま新書

美術史家として著名な筆者だが、女子大の必修講義内容をまとめた書籍とのことで、題材も文体もジェンダー入門に最適なとっつきやすさ。ディズニーアニメのプリンセスものを題材にしているため、メディア批判という切り口からも興味をひかれ面白く読める。
価値観の押し付けではなく、いかにして生きるかを自分で考える力をつけさせることが教育だということばはもっともである。本書が出版された2003年の時点では、著者が提示する自立した女性像には「男社会を切り開く、パワフルなエリート」以外に具体例がないという限界を感じるが、それがすべてだと言いたかったわけでもないはず。
ただでさえ自分自身の人生を決定することは困難な道だ。2020年の今なおこの本を読む理由は、過去からのメッセージを受け取り、安楽な他者依存の道に逃げ込むことなく、人の数だけ人生があるのだということを自分自身の思考に浸透させることにあると思う。
読了日:05月16日

 

イアン マキューアン『未成年』 (新潮クレスト・ブックス) 
未成年 (新潮クレスト・ブックス)

未成年 (新潮クレスト・ブックス)

 

仕事の顔と私生活の顔はある程度別物だが、全く別人でもない。裁判官であるフィオーナの主戦場は法廷だけれど、アダムと関わったのはいずれも、家でも法廷でもない場だ。法曹としての振舞いは自覚的にコントロールしている彼女だが、自分のあるべき姿があいまいになる場ではそうでもない。彼女の場合は、自分自身でも言っているように「ルールが好き」であって、自分の中にルールのないケースに関しては随分無防備だった。
重く受け止めて考え抜いた末の決断よりも、なんの気なしに取った行動のほうがずっと、他人の心に大きな影を落としてしまうことがある。このテーマは同じくマキューアンの『贖罪』にも通じるけれど、もう一点、小説の中でポイント・オブ・ノーリターンとなる事件が起こる場所が「図書室」であるという点も『贖罪』と共通している気がする。しかも事件の性質も似ている。何か意味があるのか、無意識なのか、著者の過去にそういう経験があったのか……(これは下世話な勘ぐり)、などとちょっと考えてしまった。
読了日:05月15日

 

読書メーター

読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1667ページ
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