耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

エリザベート観たい

今日久々の通勤だったので(電車めっちゃこんでてびっくりした)、通勤時間って何してたんだっけ?と思ったらどうせずっと家だし楽天モバイルのデータ量いちばん低いプランに変えたの忘れててラジオも聴けないし本も持ってなかったのでそうだ、音楽を聴こう、と思い、通勤めんどくさいときといえば『闇が広がる』だよね〜と思って何気なく東宝2015録音CD再生し気づいたら泣いてた。
そうだよ闇が広がっているんだよ……あの2016年の夏、梅芸のS席のいちばん後ろの列で譲ってもらった貴重なチケットにぎりしめ必死で双眼鏡覗いてたあの日。台詞の一言一句どころかキャストの一挙手一投足まで演出家か?というレベルに暗記している広間の客たちが息を詰め待ち焦がれたデュエットを見守っていたあのとき。客席も密なら舞台上も密、物質的にも精神的にもむんむんに密度の濃かったあの空間をわたしは忘れることができない。人が多い場所がきらいなわたしが、たくさんの人が同じ方を向いているのが苦手なわたしが、あの場所をたまらなく好きだった。コロナで劇場が閉ざされても、わたしには他の趣味だってあるから、また開けられる日まで気持ちは紛らわせている、と思っていたけど、でもそれとこれとは別のもので、観劇のよろこびは他で替えられるものなんかじゃなかった、全然別のものだった。何にも替えられなかった。排他的だとか批判的眼差しに欠けるとかいう問題はさておいて、あれだけの人間がいればみんなが同じものを見て同じことを思うのは無理だなんて囁く理性にも耳をふさいで、とにかく戻りたい。あの濃密な空間に。みんなで密集して静寂と興奮を共有する空間に。感情の波に身を任せて揺さぶられたい。ふだん平静を装っているのが考えられないくらいに感情的になりながらも脳がいつもの自分では考えられないほどの莫大なエネルギーで勝手に急速に活動し、目に焼き付けるように観たものを絶対に記憶から流れ落ちないようにとどめる努力に励みたい。指の形や声音や視線の先に何種類もの意味を勝手に見出して頭の中で何度でも違う物語を語りなおしたい。映像や音源は思い出を偲ぶよすがでしかない。それが現実の目の前で繰り広げられているときのリアリティに勝てる刺激なんて何もない。知らなければ穏やかな人生だったのに、平穏すぎる毎日に耐えられなくて安全な劇薬を求めている依存症患者。あーエリザベート観たい。