耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2019年3月に読んだ本

川上弘美『猫を拾いに』
猫を拾いに (新潮文庫)

猫を拾いに (新潮文庫)

 

電車やレストランで不意に飛び込んできた他人の話に思いのほかしんみりしてしまうみたいに、他人事なのになぜだか他人のように思えず心を寄せてしまうことってある。どこにでもあるようでどこにもないひとつひとつの関係を、慈しんでいたいと思う短編集。

読了日:03月08日

 

ツヴァイクメリー・スチュアート』上下巻(新潮文庫
メリー・スチュアート (上) (新潮文庫)

メリー・スチュアート (上) (新潮文庫)

 

「恋の闇」はかくも残酷に人を変えてしまう。不均衡な愛人関係は王たる彼女の自由意志すら棄てさせ、精神上の被支配者に陥れる。報われぬ恋にのめりこんだ人間がずぶずぶになって自分の形をなくしてしまう姿というのは現代女性にも共感を呼ぶのではないだろうか。その関係のはじまる以前から際立っていた人物描写は、事件の夜に張り巡らされた伏線回収のように彼女の心理状態を読者にのみこませる。またメアリー・スチュアートとエリザベス、まるで対極的に思われる二人の女王が同時代に隣国を統治していた事実は、胸躍るほどに興味を惹く。

読了日:03月09日 

メリー・スチュアート (下) (新潮文庫)

メリー・スチュアート (下) (新潮文庫)

 

国王の処刑という一大事件は歴史上繰り返されたゆえにありふれた幕切れのように感じていたが、公の処刑で王の血が流れるのは彼女が転換点であったということに気づかされる。延々と何十年も死刑執行の署名を引き延ばしたというエリザベスの逡巡の理由は、彼女自身の慎重な性格、女王としての良心、後世の評価、そして王権への配慮など様々考えられるし、その全てが少しずつ真実でもあっただろう。

作中でもマクベスやリチャード三世への言及があるが、非道徳的な陰謀が政治手段のひとつとして目の当たりにされてきた時代に、これらの陰影を浮き彫りにする作品が生まれたのは必然のように思われる。

読了日:03月21日

 

この本を読んでいる途中だったので、3月15日に公開された映画『ふたりの女王』(原題は"Mary Queen of Scots")も楽しみにして公開日に観に行った。彼女の巻き込まれた事件を細かく描写しているツヴァイクは映画の参考図書としてもおすすめできるし*1、メアリーとエリザベスの関係性について、映画版はずいぶん現代的な解釈を施し、ある種の救いを提示しているということも実感できたのは面白かった。

 

クレーヴの奥方
クレーヴの奥方 (古典新訳文庫)

クレーヴの奥方 (古典新訳文庫)

 

すでに不倫の恋もありきたりであったフランスの宮廷で、クレーヴ夫人のような貞淑さは明らかに行き過ぎなのだが、彼女の心の移ろいが流れるような文章で丁寧に語られるうちに、次第に共感させられていく。そして不思議なことに、後半からは彼女の思い人でもあるヌムール公が、思い上がりのストーカー行為を繰り返しているようにしか思えなくなり、苛立ちを覚え始めた。ヌムール公を鬱陶しく思えば思うほど、小説の中に引き込まれていく。

解説を読んで気づいたのだけれど、義務のために意固地になってすらいるように思えるクレーヴ夫人の「貞節」とは、自立した一人の人間としての意志であり、ヌムール公の想いに流され応えてしまうこととは、彼女の信念の敗北だったのだ。

読了日:03月23日

 

ちなみにこの小説、内容こそフィクションではあるものの、舞台はメアリー・ステュアートがフランソワ二世の王太子妃だった時代のフランス宮廷であり、登場人物も実在の王族が多数。宮廷恋愛小説というジャンルが好きなら大変面白いはずなのに、冒頭から馴染みのない貴族の名前が延々と出て来るのに面食らう読者が多いかと思われるのが惜しい。ただ、NHK BSプレミアムでも放送していた海外ドラマ『クイーン・メアリー(Reign)』を楽しんで見ていた人ならするする読み進められる気がする(経験談)。

 

 


小川洋子琥珀のまたたき』
琥珀のまたたき (講談社文庫)

琥珀のまたたき (講談社文庫)

 

 ただその中に身を浸すことが心地良いと思える小説の存在が貴重だ。ささやかで、静かで、なぜか少し哀しい。決してぶつかることのない優しい眼差しが静かに流れている。互いが互いの作り出した世界を尊重し、拒絶の不安や衒いもなく創造のエネルギーに没頭していられる時間を、自分の手の中に大切に捧げ持っていたいと思う。

読了日:03月24日


彩瀬 まる『やがて海へと届く』
やがて海へと届く (講談社文庫)

やがて海へと届く (講談社文庫)

 

一人で背負わなければいけないこと。

人の生死というものを、これほど真摯に見ようとして、かたちにすることができる彩瀬まるさんという人を、強いと思う。生きることがどんなに苦しくて重くて幸せで、それがどんなものであっても、その終わりがたった一歩の分かれ道であっというまに訪れてしまうというのは現実感を伴わない事実で、私はどこか遠い出来事のように感じてしまっていると思う。それでも、この小説に救いを見つけられたのは、実感に寄り添った言葉を削りだすように語りかけてくれるから。

もし、私だったら、と考えずにはいられない。

読了日:03月29日



まとめ

2019年3月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1810ページ


▼今月も読書メーターさんにお世話になりました
https://bookmeter.com/

*1:良くも悪くも20世紀に書かれた、小説調の伝記文学なので、史学的に見て最新の説ではないのかもしれないが