耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

育児が2年目に突入

去年うまれてきた子どもが1歳になった。

そしてそれから、もうすぐ2ヶ月が経つ。は……………………はや〜。

ミルクはもうほとんど飲まなくなって、おとなと同じかたさのごはんをモリモリ食べている。おいしかったら、自分でパチパチ拍手しておいしさを表現してる。まだお話しはできないけど、「おかたづけしよ」と言ったらおもちゃを箱にしまうし、「おきがえするよ」と言ったら手をのばして親に協力する。行きたいところに行くのを阻止されたら、おこって「イヤー!」(っぽい声を出して)さけんでる。かと思えば、親にすりよって「おかーたん…」と甘えたりもする。

もう「幼児」なのだ。この家に赤ん坊はいなくなった。

 

去年の夏。まだ授乳の時間じゃないのに抱っこしてあやしても泣きやまなくて、イライラしてさけびたくて頭にかっと血がのぼるのを一生懸命おさえようとしながらアカチャンをだきしめてマンションの部屋でひとりぼっちみたいだった、そのときの気持ちがまだ泣きたいくらい思い出せるのに、今はなんで泣いているのかは何となくわかるし、なんなら自分で指さしたり、独自のことばでおしえてくれる。

すごいね。成長だね。

しかし、だからといってすみやかにご要望をかなえる対応が我々にできるかは別なのであるが。(ねむたいけどまだ遊びたいとか、頭を下にしてベッドからずり落ちたいとか、なので…)

 

育休中、アカチャンとふたりっきりですごしていたときは、結構焦っていたと思う。ひとつひとつの成長や発見やかわいい瞬間をみているのはわたしだけで、わたしが記憶して記録にのこさなければこの尊い瞬間はなかったことになってしまう…!と焦り、「ぴよログ」にいっしょうけんめい日記を書き、動画や写真を撮りまくる。

テレビばっかり見せずに何か有意義な遊びをしてあげなければ!子どもと向き合ってたくさん接して脳を刺激しなくては!と焦るのに、今まで子どもと接してこなかったわたしは大したことが思いつかず、おもちゃも絵本も1〜2時間が限界で、それなのに家事や離乳食の用意がどんどん適当になっていくことへの罪悪感。

でも、保育園に入った頃からそういう焦りが少し冷めてきた気がする。保育園に預けている時間は必然的に子どもと離れることになるし、その間になにか尊くておもしろいことが起こっても見届けることはできない。

そしてなにより、気づいてしまった。保育時間中、完全に自分のペースで、家事や仕事や食事をすすめることができること。これがとっても、楽なのだ!

保育園にあずかってもらっている間、ぽっかりとひとりぼっちの時間ができて、さみしい…なんて気持ちは1ミリしか湧かず(わたしの場合)、わーいやったー自分のペースの時間だー!!という喜び。

そりゃ、世界にひとりしかいない自分の子どもとたわむれていられる時間は幸せだし、他の何ものにも代えがたい。それはまちがいないのだが、しかし、こどもと毎日24時間365日二人っきりでいるのは、楽しいしかわいくて尊いけど、疲れるし、すごくプレッシャーがある。

「わたしみたいな創意工夫のない人間と四六時中ずっと過ごしていては、発達のための刺激が足りてないのではないか!?! だからといって、最低限の家事育児だけでつかれるのに、そのうえいろいろ工夫して自宅で知育的なことをやるなんてわたしのキャパでは無理だし、子連れで毎日いろんな場所に積極的に出かけていくなんて体力気力がもたない……」という、生後半年ぐらいから毎日さいなまれ続けた罪悪感と、向き合わずに済む。

実際こどもは保育のプロである保育士さん(しかも、複数人のおとな)や、同年代の活発なこどもたちと相互にふれあい、かかわりあい、社会的な刺激を与えあっている。それだけでものすごく安心感がある。

 

このあたりの感覚は多分人それぞれなのだろうし、保育園に預けることの方に罪悪感があるという意見もたくさん見かけるが、たぶんわたしは周りに余計なことを言ってくる人がいなかったことや、子ども本人が保育園にすぐ慣れるタイプの人だったのが幸運だったのかもしれない。

母であるわたしといるより絶対保育園行ってる方がいいんだよなー、と心底思えることが、わたし自身の自己評価としてどうなのか、ということはさておくとしても。(大したことしてないのに、「母です」どーん、みたいな顔してていいのかな?という気持ちはずっとうっすらある。これがもしかしたら、みんなのいう「罪悪感」なのかもしれない)。

 

とりあえず次は「仕事と育児の両立がたいへん」フェーズなのかなと思う。

今は復職したばっかりでそれほど仕事が忙しくないし、保育園からもらってくるエンドレス体調不良もおちついているし、毎日在宅勤務できているからこんなのほほんとブログを書いていられるけど、今関わっている仕事が佳境を迎えたら、あるいはまた寒くなってきて発熱しがちになったら、また別の悩みが生まれるだろうな……と、いうことは、今はまだ考えないようにしている。