耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2022年5〜6月に読んだ本

最近のようす

育児と労働に時間と体力と精神力を吸い取られがちな今日この頃。20時・1歳寝かしつけ後の図書館本と、23時・32歳就寝前のkindleが最近のおもな読書タイムです。

それ以外の自由時間、「目の保養」と称してInstagramでジュエリー好きの方のアカウントを大量にフォローしていたら、買えもしない高額な宝飾品の知識がやたらと増えてしまいました。読書傾向にもうっすらその関心の方向が浮かび上がっていることがうかがい知れる今月のラインナップとなっております。

 

山口 遼『ブランド・ジュエリー30の物語 天才作家たちの軌跡と名品』

雑誌などでもよく名前を見かける、宝飾品評論家によるジュエリーの作製技術にかんする解説の数々。色鮮やかな写真つきで各ブランドの特徴が明朗にわかるのもおもしろい。技術的な価値、というのは職人目線の判定だけれど、実際に世間での知名度や人気と照らし合わせると、市場での価値の高さにも反映されている気がする。たとえば本書の中でも高評価のヴァンクリーフ&アーペルだけど、ミステリーセッティングのハイジュエリーは本当に美しくてデザイン的にも技術的にも素晴らしい価値のある作品なんだなあとか。ブランド品の価値が広告宣伝費と密接に関わっているのは確かだとしても、決してそれだけではないからこそ、何百年もの時を経てもその輝きが人の目を誘惑し続けるのだとおもう。
商品であると同時に一級の芸術品・工芸品であり、しかし絵画や彫刻より金銭的・権威的な意味合いの比重が高いジュエリーという品物。ここに載っているような古今の一級品はわたしにとっては美術館のガラスケースのなかに入っているのを眺めるような感覚なのだけれど、それを「資産」として品定めするような目で見る人もこの本の読者として想定されているのか…と思うと、資産家でも一般人でも平等に手にできる書籍という存在が、急に不思議にさえ思えてくる。
でも、この本を読んだ上でもやっぱり、ジュエリーは所有しているだけでなく身につけてこそ最も価値を発揮するものだと思った。絶対的な美的価値のものさしは、もしかすると世界のどこかにあるのかもしれないけれど、結局は所有者の身体的特徴や内面の表現としてのファッションセンスによって、いくらでも価値基準は形を変えるものなのでは、という感想にいきつく。

読了日:05月14日

 

高殿 円『上流階級 富久丸百貨店外商部 (2)』(小学館文庫)

こちらは4月に読んでいた1巻がおもしろかったので引き続き。冠婚葬祭こそお金を遣う機会である…という切り口で、庶民からすれば桁外れな買い物をするセレブリティもまた人間であるという一面を(ドラマティックに脚色しつつ)垣間見られて面白かった。主人公静緒の相方(?)桝家を応援したくなった巻でもあります。

読了日:05月06日

 

こやまゆかり『やんごとなき一族』1〜5巻

これもまだアプリの無料公開で少しずつ読んでいる途中なのだけど、これまた『上流階級』と同じく芦屋に住むセレブの暮らしを、一般家庭出身の主人公の目から描く話。(ちなみにどちらも桜花さん(@oukakreuz)がツイッターでおすすめされているのをみて興味持ちました)
主人公がセレブの家に嫁入りして苦労しつつも「家」に固執する義父はじめ一族の慣習に立ち向かっていくという話。主人公のポジションは「嫁」なんだけど、ストーリーは特殊業界お仕事もののセオリーを踏襲していて、続きが気になってサクサク読んでしまう。そしてそれがまた、女が家父長制に立ち向かって一つずつ勝利を収めていく構図にもなっているのがおもしろい。金銭的な裕福さや安定が「家」の呪縛と表裏になっているのが日本社会だ、ということでもあるが…。しかし令和の嫁はいびられ耐える一方ではなく、パートナーと共闘して困難に立ち向かい読者をエンパワメントするんだな。

 

シモーヌ・ド・ボーヴォワール『離れがたき二人』

誰よりも自由で才能に溢れて見えた親友アンドレは、カトリックブルジョワ家庭に女として生まれたがゆえに、家族のために奉仕し自分の時間を搾取されることを強要されている。もしかすると彼女が望んだ結婚はその環境から逃げ出すための手段でもあったのかもしれなくて、 彼女の結婚がどうなっていても、その後のアンドレの人生が好転していたのかは実は分からないのでは、と考えてしまう。シルヴィー(ボーヴォワールが自身を投影したであろう主人公)はいずれにしても大切な存在を救うことはできなかったのかも、と。
彼女に「敵対」し、自由を奪う大いなるものは一体なんのためにあるんだろう。これは100年以上前のフランスの話だが、ここでも宗教の姿を取った家父長制の呪縛が幼い女性を苦しめている。アンドレが神=父なるものを、自分に敵対するものだと悟り、激しく苦悩しながら信じ続けている姿が痛ましくてならない。守ってくれるはずの父は、自由ばかりか人生までも奪い去るのだから。

読了日:06月17日

 

八木 詠美『空芯手帳』

来客対応にコピー、お菓子配り。女だけが雑務をいろいろ押しつけられる会社に、そして社会に腹が立ち、妊娠したと嘘をついてみる、という実験的な設定。そこはもちろん面白くて、どうなるのかと先を読ませるものなのだけど、結局、これをやってみて出てきた心の芯にある思いみたいなものが興味深い。
「あなたの苦しみを、わかりたいのに、わかれなくて、さびしい」
結局はそこなのか、と思う。社会や周囲の人間に腹が立った、というよりも実は、この「さびしさ」が主人公の柴田を駆り立てているんじゃないかと。人と人とは根源的にわかりあえないもので、さびしさから脱したと思ってもどこにも寄りかかれない、という話。うーん、そうなってしまうのかー。最終的に書きたいのは、自立、ということだと思うのだけれど、ちょっと尻すぼみな印象だった。あと、赤ちゃんを育てている女性が苦しみを吐露するシーンもなんだか少し上滑りに感じてしまったのが残念だった。

読了日:06月09日

 

はらだ 有彩『ダメじゃないんじゃないんじゃない』

世の中で「ダメ」ってことになんとなくなっている事柄にたいして「ダメじゃないんじゃないんじゃない」という提案をする本。この「じゃないんじゃない」っていうタイトルからも分かる通り、切れ味鋭くズバズバ言い切るというよりは、たとえモジモジしてうまく言えなくても、問題にたいして思考することが大事だよねというやさしさを感じる。正しいことを言う人に対峙するときの“常に正しくはいられないわたし”の気後れする気持ちも汲み取ってくれて「大丈夫、だれでもそうだよ」というスタンスでいてくれているというか。ユーモアを交えつつきちんと自分の意見を語り、喧嘩したいわけじゃなくて世の中を良くしていきたいだけ、という気持ちが伝わってくるようで好きだった。

読了日:05月30日

 

岸 政彦,柴崎 友香『大阪』

どの街でもどこに立っているかで、見えている風景は異なる。

柴崎友香さんの文章が好きなのは、根底にこの考えがあるからなのかもしれないと思った。
「書き手が大阪に住んでいた時間」を主観的に書いているものだから、著者のふたりよりも10年ぐらい後に生まれて今も大阪に暮らしているわたしが読むと、世代論みたいなものが色濃く出ていると思う。たとえば学生時代でもバブルを経験していると「あのころの街」が今の街に重なって見える分、見える景色がちがうんだなあとか。
あるいは、単純にアンテナの感度とか、興味関心の方向性とか。視点の違いで同じ街でも見える風景が全然違う。東京よりもずっと小さい区域にいろんなものをごった煮みたいに詰め込んでいる街だからこそ、そういうふうに濃色の別世界が隣り合ってしまう、というのが大阪の特色なのかもしれない。

読了日:05月05日

 

綿矢 りさ『あのころなにしてた?』

「あのころ」の「コロナ」にまつわる日記体のエッセイ。読んでいて、すでに2020年の記憶が遠い過去のように感じることに驚く。只中にいても、この年のことは後々どんなふうに思い出すだろうと不思議な気持ちだった。
とはいえ同時に日常生活を送ってもいるわけで、無意識のうちに少しずついつのまにか変わっていっていることがほとんど。それを一つずつ特異なものとして書き残す、という視点があるのはプロだなあと思う。今や慣れてしまっているけれど、少し前まではいちいち迷って悩んでいたものね。そんなことも忘れてしまう。
「そうだった、そうだった」「ええ、そこまで考えてたのか…」なんて相槌を打つ気持ちで楽しく読んでいたが、読み終わって図書館へ本を返してしまうと、もうほとんど内容を忘れてしまった。

読了日:06月09日

 

ジャック・ロンドン『野性の呼び声』 (光文社古典新訳文庫)

マッチョでバイオレンスな犬の、生き残りをかけた旅路。これ、人間の男性が主人公にして同じようなストーリーだったら退屈だっただろうなーと思うけど、犬の話だということもあり、リアリティと迫力に満ちた描写に引き込まれた。
裕福な人間の家で飼われていた大型犬が突如さらわれ、橇引く犬として搾取労働させられるのだが、北へ向かうその道のりをつうじて野性の本能を取り戻していく。性愛的な要素を全く取り込まないのも爽快だった。道中で嫌というほど目にする人間の後ろめたい姿にたいする冷静なまなざし、そしてその支配から解放されるラストにはカタルシスを感じる。

読了日:05月05日