耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2023年5~6月に読んだ本とか

最近のようす

2つ前の記事で本棚を買ったことを堂々と書いていたら、はてなブログのトップページに載せていただいて、たいそうはしゃぎました。その数日前、はてなブログTwitterスペースでおすすめ記事の選びかたの話を聴いていたので余計にうれしかった。少なくともひとりは、わたしの長々書いた記事を読んでおもしろいと思ってくれる人がいたんだな〜という感動がある。

そしてやはりみんな、よその家の本棚のことは気になるよね……。仕事をしている机の横に見晴らしのいい本棚があると、自分に関係ないオンライン会議の途中なんかに本をパラパラ〜と読んで「こんなことが書いてあったのか〜」とできてうれしいです*1。わたしはこの行為を心の中で「本ツイッター」と呼んでいる。

それにしてもここ最近は暑さで体力がもたないのか、寝る前に本を読んでいて「ああ、この次の行がものすごくおもしろそうで気になるのに眠すぎて続きが読めない、ああ………」と思いながら気づいたら本の間に指をはさんだまま寝ていることがある。いやー毎日ほんとうに暑いですよね。

 

赤染晶子『じゃむパンの日』

10年ほど前に『乙女の密告』を読み、こんなに笑える小説が芥川賞になるんや、と衝撃を受けたことをおぼえている。その後数年して、作者の方がSNSで夭折されたことを知り、もう新刊を読むことがかなわないことを悲しく思っていた。そしてこのたびエッセイ集が出ると聞いてたのしみにしていた赤染晶子さん。

新聞連載などの短い文章が多いのでふとした隙間時間にすっと手に取って読みはじめてしまうのだが、その短さに反してふいうちのように深い余韻を残してくる作品があり、在宅勤務の休憩中に胸がつかえて、何も手に付かない気持ちになってしまったこともある。

とりわけたまらなかったのが『弘法さん』という一編。文章って、なんでも思ったことや考えたことをそのまま言葉にすれば全部伝わるというものでもないんだな、と。(もちろんそれが有効なこともたくさんあるはずだけれど)
たった3ページにして、著者がことばにしないやさしさと、このバスの中にきっとあふれていたであろう思いやり、そしてその背景にあったかもしれない、乗り合わせた人たちの人生経験に、思いを馳せてしまった。

 

オルハン・パムク『無垢の博物館』

別の記事で感想を書きました。

sanasanagi.hatenablog.jp

 

ロバート・A・ハインライン夏への扉

わたしがリッキーと同じ11歳のときにこの本と出会いたかった………というのが読了後の第一の感想。最初から最後までたいへんおもしろく読んだからこそ、この本の人気を支えている(と思われる)結末のロマンティックポイントに共感したかった、と心底思うのだ。

いや、だって、(ここからネタバレしますが)11〜21歳の女の人生って男女問わずいろいろな人と出会うはずで、子どものときに知っていた猫つながりのよくわからないおじさんのことをずっと想い続け、21歳時点で周囲の友だちや尊敬する人やその他の周囲の環境を全部なげうって夏への扉を開けるという行動を、取るかなあ……?人生でいちばん出会いがあって価値観が変わる時期ですよ。
仮にその年齢で全部をなげうって「おじさん」に人生を賭けたいと思うような子はいるかもしれないとしても(わたし自身の21歳の頃って確かにそんなかんじだったし)、しかしリッキーってわたしにはどこか天真爛漫で素直で気が利いている女の子に描かれているように思えたので、リッキーが魅力的であればあるほど、やはりその選択の説得力がなくなっていくのである。

しかしながらこんなことを気にしなくてもすむ青春が始まったばかりの1時期にこの本と出会ったかどうかによっては、そのロマンティックさにひたれていたのかもな、とも思った。

ぶちぶちいったものの、未来の世界における発明のアイデアも面白く読めるし、ストーリー自体に目新しさやどんでん返しがなくても(むしろ忠実に伏線を回収していくだけの安定したストーリーテリング)前向きで希望をもたせるエネルギーにひかれて気持ちよく読み終えられる。
主人公のダニエルからしてまさにそれを体現したような人物。とわたしは思っていて、物語の発端で元婚約者に詐欺られたうえ酷い仕打ちに遭わされた上でも、なお時間旅行先でたまたま出会った他人に対して、楽観的というか、人を簡単に信用して全てを預けてしまう。それってたぶん主人公が骨の髄まで技術者であり、同時に人類と技術との関係は常に「前進」であったという思想が根底にある人だからなんだろうな、と。

うん、リッキーは人を見る目があるよね。それは認めます。

 

三宅香帆『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない自分の言葉でつくるオタク文章術』

30をすぎてようやく最近自分がオタクなのかもしれないということを認め始めました。そんなわけで著者さんのTwitterで新刊おしらせが出た瞬間から絶対買うでしょこのタイトル…と思っていた本を購入。ご自身もまさにオタクである書評家三宅香帆さんによる推し語り文章術本、もうこの企画がベストマッチすぎる。

わたしはこの著者さんのTwitterやnoteも購読しているのですが、まさにこの本に書かれている文章哲学の肝、「自分の言葉を守る」「伝える相手との距離を測る」が本当に上手い方だなあと常々思っていて。文章ってみんなと同じことを・みんなと同じように語ることに意味はないけど、みんなと違うことを語るのも怖くなってしまうこんな時代。みんなと違う意見を上手に伝えることにたけている方だという印象をもっているので、やはり心がけて工夫して鍛えていらっしゃるのだなあと思ったし、わたしは一介のブログ書きでしかないものの、今の時代を楽しく生きのびたいひとりの趣味文章書きとしてやっぱりこのことを心がけていきたいな、と思った。

「自分の言葉を他人から切り分ける」っていうことは自己啓発ともいえるし、伝える技術という意味ではビジネス実用書でもあり、そこを「オタクの推し語り」という切り口で企画しているポップさもいいんですよね。

 

朱野帰子『対岸の家事』

前出の三宅香帆さんがどこかで紹介されていたので気になっていた朱野帰子さん、この小説をkindle unlimitedでみつけてなんとなく開いたら家事と育児がテーマになっていてわたしにはど真ん中だった。このテーマを書くのに、あえて最近では少数派になりつつある専業主婦を主人公にするのも、上手いな〜と思う。少数派からの視点だからこそ、多数派の「あるある」を書いてもすんなり頷けるというか、「だから何?」って醒めずに共感できるのかなあと。

ストーリーこそエンタメ要素を含めているものの、描写はあちこちリアリティと親近感があり(畳に寝転んで天井に映った水槽の光をみたり、飛行機雲や紫陽花にいちいち目をとめるのを贅沢な時間に感じたり…子どもといるときの些細なことが幸福で、身近なことに小さな発見があって、でもこんな時間が永遠でないことになぜか泣きたくなるのとか。本当に自分が困っていることに自分でも気づかなくて、だれかに優しくされることで気づくのとかね…)、続きが気になりすぎて夜ふかしして目をギラギラさせながら一晩で読んでいた。作中も現実も、6月のちょっとジトッとして精神と身体のバランスが崩れはじめる紫陽花の季節で、ただでさえ生活に無理をかかえている人の歯車が噛み合わなくなってくる空気感もわかるなあと思いながら。

全然ちがう立場の人でもなにかひとつのことを通して分かりあえたり、そこまでいかなくとも、たとえほんの一瞬のたわいもない会話のやりとりだったとしても、すこし繋がるだけでお互いに救われる。そんな風景が今の時代(そして今のわたし)に求められているエンターテインメントであり、心の底にある願望なのかもしれない。

*1:こんなことをするのは不良社会人なので、よいこはマネしてはいけない