耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

引き続き、ミュージカル「CHESS」のこと

前回「CHESS」というミュージカルのことを書いたけれど、あれからAmazonでポチったOriginal London Recording CD(1984)が届いた。が、Disc3のDVD以外、CDの中身は例の無料音楽アプリと同じ内容だったため、聴いているうちに他のCDも欲しくなってきた。本当に聴きたいのは日本語バージョンのCDなのだが、発売も録音もされていないのだから、思いが行き場を失ってやや暴走気味である。

そして今週、Amazonから2008年ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで催されたCHESS In Concert(2008)とスウェーデン語盤(2002?)のCDが届いた。実は、Amazon.jpで入手できるCHESSのCDは現時点であらかたポチり済みだ。ただインポートものが多いので、発送のお知らせメールはきたものの、未着のCDは今頃空の上だか海の上だかだと思う。
もともとオタク気質ではないので、何かにハマったり好きになってもモノを集めたり情報を網羅することをそれほど強く望むほうではない。しようとしても大体、完璧にできないと分かった時点で挫折する。根性なしなのだ。しかしCHESSに関しては、もうしばらく熱は冷めなさそうだ。しかしCDを聴きこむのは集中力と時間を要する精神的な作業である一方、Amazonでポチッとすること自体は、一瞬の熱と衝動、そして自分の自由になるお金さえあればすぐに叶ってしまう。資本主義社会にはありがちなことだが、お金をどれだけ掛けたかによって愛の強さを測ろうとするのは誤りだ。あくまで愛や芸術は精神を充実させるために存在するのであって、食物と違うのはある程度能動的に摂取しなければ内面にもたらす効果も薄い。せっかく届いた品を「積みCD」のままにしないように気を付けなければならない。

さて、CHESS In Concert(2008)のCDは、Original Recordingの黒いパッケージを対を為すかのような白い外装のCDである。このCDはLIVE盤で、一聴してすばらしいと感じるのは、歌い手と観客の相互作用によって伝わってくる熱量が圧倒的に違うということ。もっとも、Original London Recording CD (以下便宜上「黒盤」と呼称)と、CHESS In Concert(以下「白盤」)の間には20年以上の歳月を経ているのだから、その間に諸々の音響技術は進化し、ミュージカル文化は興隆し、才能ある多くの音楽家や演劇関係者がミュージカル業界に流入し、観客の趣味はよりいっそう洗練されるといった変化がもたらされているはずだ。また、白盤は黒盤と比べて収録曲数が大幅に増えている(詳しくは英語版のWikipediaを参照)。白盤から得られる充足感はそればかりでない。アメリカ人フレディ役は「RENT」初演で知られるブロードウェイ俳優のアダム・パスカル。フローレンス役は近年「Glee」や、「アナと雪の女王」などのディズニー作品の出演で日本でも人気を博しているイディナ・メンゼル。ロシア人アナトリー役は歌手のジョシュ・グローバン。ミュージカルや海外スターに全く詳しくない私でも思わずテンションが上がってしまうそうそうたるメンツが主要三役に揃っている。

ちなみにこのジョシュ・グローバンという人物について個人的な思い入れ込みの豆知識を補足すると、フィギュアスケート村上大介選手が今シーズン(2015-16)のショートプログラムで使用している楽曲「Bring me home」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」より)はジョシュ・グローバンの音源による。真っ白な歯とマエケン似のルックスがトレードマークの村上選手は先だってフランスで開催されたエリック・ボンパール杯に出場していたが、一日目のショートプログラムを終えた段階でパリでテロが発生し、その影響により試合は中止となった。動揺を誘われたフィギュアスケートファンたちは村上大介選手の「Bring me home」を見返しながら選手・関係者たちの無事の帰国を祈っていたものである。ジョシュ・グローバンの歌唱について詳しく描写する筆力を私は持たないが、才能あふれる青年の輝かしい未来を祈念するかのような、胸に沁み入る歌声であり(テロのいきさつがなかったとしてもだ)、また村上選手の素直で瑞々しく情緒豊かな表現は、曲想をよくとらえているものではないかと思う。

この白盤、まだあまり聴いてはいないが、黒盤を聞きなれていると真っ先にフローレンスに違和感がある。デキる女ふうだった黒盤と比べると随分と可愛らしいタイプの声だ。だが、力強さから葛藤まで自在に表現する歌声はやはり素晴らしい。特に一幕のフローレンスの選択は、観客が感情移入するキャラクターによっては受け入れにくいものとなりうる。しかしイディナの表現により、彼女の心の揺らぎがすんなりと腑に落ちてくる気がするのだ。

日本の舞台で安蘭さんのフローレンスを観たことで(ビジュアルも含め)影響を受けているのかもしれないが、特に1幕のフローレンスはキャリアウーマン然としているイメージだ。若くしてバリバリ仕事をこなしている有能な女性が一度は通る道だと思われるのだが、女性としての自分と仕事人間としての自分との間のバランスで揺らいでいる印象。そして彼女のビジネス・パートナーのフレディは同時に恋人でもある。きっとフローレンスはもともと他人の面倒をみるのが苦にならないタイプで、周りからも頼られがちな女性なのではないか?フレディとはいかに出会ったのか不明だが、弱さを虚勢によって覆い隠そうとするフレディにとって、フローレンスは数少ない心の支えだっただろう。付き合いが長くなるにつれ、フレディは包容力のあるフローレンスに甘えるようになっていく。しかし彼女にとっては、仕事でもプライベートでも奔放な行動を取るフレディの世話役を続けることは重荷になっていった。
こうした心の流れがあっての、"Mountain Duet"である。イディナのフローレンスとジョシュ・グローバンのアナトリーの組み合わせは非常に説得力がある。フローレンスの揺れる女心と、彼女をすら包み込むような堅固で力強いアナトリーの歌声。天才肌だが勝手なパフォーマンスを繰り返すフレディよりも、チェスに打ち込み一途な努力を続ける男性にくらっときてしまう気持ちはわかる気がしてしまうのだ。いうなれば高1から既に大学入試を視野に努力を積んでいる上昇志向の強い女子が、ちゃらちゃらと遊んでいる同級生の男子が子どもっぽく思えて社会人や大学生の彼氏を選んだりするようなものであろうか。

思いつくままに書き続けているが、このまま散漫に書いても特にオチがないので後日また続きを書きたい。もう少し焦点を絞ってテーマ別に記事をつくればブログとしてよいのだろうけど、私はふだん文章を書きなれていないからか、正直「書き出すまで自分が何を書きたいのかわからない」。自動的に運動する言葉によって思考は誘導されるというが、まさにそのとおりで、自分で文章をコントロールできている気があまりしない、それはそれで楽しいのだけれども。