耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

劇団四季〈オペラ座の怪人〉名古屋公演に行ったこと

少し前のことになるが、2月の第二土曜日にオペラ座の怪人を観に行った。

2011年の大阪公演以来のオペラ座である。大阪公演のときは、ミュージカル観劇を趣味にするという発想すらまだ抱いたことがなく、ミュージカルは少しおめかしをして出かける特別なイベントだった。そのころ、電車に乗っては「劇団四季オペラ座の怪人凄いらしいで~」テレビをつけては「劇団四季オペラ座の怪人凄いらしいで~」と、劇以前に宣伝が凄かったので、見事につられて母と二人、のこのこ観に出掛けたのである。 ? ?

そもそも初めてオペラ座の怪人をみたのは、さらに遡って高校生のとき。友人に誘われて観に行った映画であった。当時、ファントム同様に報われない恋心に身を焦がしていた10代の私は、怪人に対しあまりに激しく感情移入した挙句、上映終了後の客席に最後まで残っても涙が止まらなかった。困惑した友人にトイレへ行くよう促されて涙をぬぐったものの、感情の抑制がまだ下手な10代のこと、泣きすぎてもはや何が悲しいのかよくわからなくなりながらもなお滂沱の涙が止まらず、友人に大変迷惑をかけた。

さて今回2016年、26歳になってから改めて舞台で観てどうなったのかといえば、やはり滂沱の涙であった。さすがに抑制が効かなくなるまで涙を流し続けることはもうないけれど、ラストシーン、報われないと分かっていて求めずにはいられない怪人にどうしても共感して、泣けてしまう。今回は昼夜の二公演を続けざまに観たのだが、座席の位置関係のためか、一階席最後列だった昼公演よりも二階席最前列だった夜公演の方が断然声の飛びがよく、ダイレクトに怪人の感情が伝わってきた。また、以前はあまり重要視していなかったクリスティーヌも、可憐なばかりでなく迫力のある歌声であり、「そりゃ怪人も手塩にかけてここまで育てあげれば、手放したくなくなるわな…」と自然に思えた。

インパクトがあったのは歌声のみではない。ミュージック・オブ・ザ・ナイトのシーンでは、ファントムとクリスの官能的なデュエットと腕の遣いかたが、まるで他人が見てはいけないものを盗み見ているかのようで興奮させられたし、墓場のシーンでは自分がクリスティーヌなら怪人にくらりといってしまうだろうなと思った(ラウルが絶妙なタイミングで声をかけさえしなければ)。この墓場のシーンでは恐ろしいほどに大きく絶対的な存在に見えたファントムだが、ラストシーンで主を失った純白のヴェールを抱き締めるときには、丸まった背中がひどく小さく見えたことに驚いた。背中の演技のみで哀しみを表現するといった事象は漫画の中でしか見たことがなかったが、自分の感性でもって生の舞台で感じ取ることができ、嬉しかった。


劇団四季には全く詳しくない私だが、今回名古屋まで足を運んだのは、前回の大阪公演で見て惚れ込んでいた北澤裕輔さんのラウルを、次いつ見られるか分からないからという理由だ。もちろん北澤さんのラウルはとても素敵だった。ボックス席から舞台上のクリスを見つけるシーンでの、何事もそつなくこなす社交界の花形っぷり。ついつい自分もオペラ座壁の花になった気分で、チラチラと舞台上のボックス席を盗み見てしまう。ほかにもマスカレードのシーン、怪人からの手紙を受け取る場面などとにかく立ち姿が華やかで、出てくる度に思わず目を奪われる。しかし、個人的に一番好きなラウルのシーンは、地下室で縛られながらクリスティーヌとファントムのキスを見せつけられているシーンである。二度のキスのうち、一度目は直視できず、二度目はいったん見てしまった後、辛そうに目を背けるのだ。その目の逸らし方があまりにもピュアな反応なので、ラウルがクリスティーヌを伴って地上に戻った後も、あのキスがフラッシュバックして嫉妬の炎が燃え上がりはしまいか…とつい余計な心配をしてしまう。しかしそれならそれで、本編の中では終始「正義」であり続けるラウルの昏さが見えるようで、良い展開のような気もする…というのは、余計な妄想か。

好きなシーンというつながりで言えば、主要キャストではないが、フィルマンさんとアンドレさんの二人組のシーンが好きだ。今回二公演も見たので脇にも目を配る余裕ができたのだが、この二人は細かいところで動きを合わせていたりするので注目して見ているととてもかわいい。CDで聞いているとこうした脇の掛け合いのシーンはつい飛ばしたくなるのだが、目と耳で楽しめる舞台では、大曲の合間に欠かせない箸休め的な存在だ(演じる側の難易度はきっと高いのだろうが)。
また、こうした少しコミカルなシーンとなると、日本の役者が演じている方がずっと受け入れやすくなる。少なくとも日本語文化圏で生まれ育ち、感覚が凝り固まった私にとっては。海外で言葉が多少わからなくても楽しめるのがミュージカルだが、こと笑いに関しては、文化的バックグラウンドが少し異なるだけで理解にズレが生じるのが残念なところである。もちろん、言語や文化的背景の壁を超えて共有できる感覚もたくさんあるのだが…。


日帰りで名古屋でミュージカルを観て帰ってくるだけというシンプルな1日だったが、非日常にどっぷり浸かったおかげで精神的には充実感でいっぱいだ。
大阪からは朝出発の高速バスが3000円台からあるので、帰りは新幹線にしても交通費は合計1万円程度。東京へ新幹線で往復する値段や、節約して夜行バスで行く体の辛さと安全面の不安を思えば、随分優雅で安楽な体験である。これからは名古屋の劇場で行きたい公演があれば、躊躇なくチケット購入を検討しようと思った。