耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2020観劇の思い出まとめ

世の中のようすも、自分自身の状況も、こんなふうになっているとは思っていなかった2020年。常に目標とかビジョンを掲げて生きているわけではないけど、少なくとも観劇に関してはもっとたくさん楽しめているつもりではあったなあ。

感想をブログに書く元気もあまりなく、なんとなく観たままになっていたり、スケジュール帳もまじめに使っていなくて、思い出がとっちらかっていたので一年分まとめたいと思います。去年と同じく、年始の方にみたものの記憶は薄くなっている仕様です。

 

1月4日昼「私たちは何も知らない」兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール

平塚らいてうなどを中心とした雑誌「青鞜」の編集部を背景とした群像劇。以前二兎社の「ザ・空気 Ver2.0」を観ておもしろかったので。

自分が女の問題についてどう捉えているのかを否が応でも考えさせられる。教育を受けてない者が思考をすることの不利、断続的な家事や貧困生活により阻害される思考、自力で生活を立てていく手段のないこと…たとえ同性であっても別の思考をもった別の人間なのに、「女であること」を戦うために連帯することの無理。女であることのほかにもっと語りたいことがあったはずなのに、それを語るために倒さねばならない壁が立ちはだかっていたこと。そして戦うことを選んだ者たちが、結局はみずからを女として生きる枠の中でしか語れず、語られることもなかったこと…。
女の権利を主張する人が凡人にとってはそのパワフルさゆえに超人に見えてしまい、ついには完璧さを無意識に望んでしまうことすらある気がするが、彼女らもまた未成熟な社会の中で育った未熟な構成員の一員であり、むしろそうであるからこそ声を上げているのだ、ということは忘れずにいたい。

 

1月17日昼 ミュージカル「ダンス・オブ・ヴァンパイア梅田芸術劇場メインホール

有名どころなので一度見てみたいなーと思っていた作品。でも、たぶんわたしはミュージカル好きにしてはショーものがあんまり好きじゃないのかもしれないなと思ってしまった。役者さんのファンだったらもっと楽しかったのかもなー。おひとり超絶技巧とコミカルさで桁外れに技術の高そうなおじいさんがいる…と思ったら石川禅さんだった。そういえばレディ・ベスのときも、だれかわからないけどすごいインパクトの役者さんいるなーと思ったらこのかただったのだった。

 

1月25日夜、1月26日夜「CHESS THE MUSICAL」梅田芸術劇場メインホール
2月8日昼、夜「CHESS THE MUSICAL」東京国際フォーラムホールC

「とにかく曲が好き」
これが言いたいだけのためにちょっと感想を書いていたら、それだけで4000文字くらいになってしまったので別の記事にするかも(しないかも)

 

2月15日夜 ミュージカル「シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ」新歌舞伎座

物語のメッセージのあたたかさ、長年にわたり多くの人に愛されてきた作品であることが伝わってくる。おはなしとしては「転」が多くてぶっとんでいる気もするけど、人が人を思うことについて純粋にまっすぐに尊いと思えてよかったな。咲妃みゆさんはこれで初めて拝見したのだけど、下町育ちの大阪っ子という宝塚出身女優さんには一見難しそうな役柄を、ピュアで一途な空気感で好演されてらした。彼女の透明感のある歌声があったからこそちょっと浮世離れしたお話にも感情移入できたところもあったのかも。

 

2月16日昼「音楽劇 星の王子さま兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール

2日連続で良い作品に当たった……これはわたしにとっては今年のベストだったかもしれない。細かいところまでこだわって作られていることが伝わってくる素晴らしい出来で涙がどんどん出てきた。とりわけわたし自身が、他人との生活を続けるなかで決して情だけでは割り切れない諸々のことに悩んでいたタイミングだったので、余計胸に刺さった。

一見ありふれて見えるものでも、関係をつくることでたったひとつの特別な対象になる。まさに演劇を観る行為そのものについてもいえること。何もない空間をさりげなく見たりとか、台詞を話してないひと歌をうたってないひとの視線にも意味があるし、そこに意味を見いだすことでその体験は特別なものになる。

兵庫県立文化センターの中ホールは、演劇を見るのにちょうどいい大きさだし音響も空気感も美しくて大好き。深海の底の別世界みたいに静かで、光が澄み通って見える。セットはシンプルだけど、高さや段差を使って王子さまが旅する星の個性や砂漠の風景が見えてきたのも想像力をかきたてられる。親子で観に来られているお客さんもいらして、こどもの笑い声などもいっぱい聞こえてきたのもほっこりした。

アフタートークでは珍しく音楽監督さんのお話を聞けた。初演から今年までの間のメインキャストの歌や声の成長を聴いて曲を作り替えたり、でも高音から入る曲だからこそ現実から離れた特別な世界に入っていけるのだと昆夏美さんに言われてまた戻したり…みたいな試行錯誤を経て、楽譜のバージョンがいくつもできたとか。生の人間と曲とが出会うと頭の中や部屋で一人で考えていたのとは別物になるから曲がどんどん変わっていく、と言われていたのもオリジナル作品ならではというかんじでおもしろかった。

 

2月23日夜「プレミアムシンフォニックコンサート 花總まり・愛に生きた女王を綴る」

ネットで東京公演の感想を見ていて、男声なしで『夜のボート』を歌うというのを読んでどういうことなんだろう?と思っていたら、その斜め上な演出はさておき予想外に歌そのものに感動してしまった。確かエリザベートの歌稽古がすでに始まっていた時期で、夜のボート、完全にシシィが降りてきていた……。あまりにシシィが入りこんでいたので、そのあとの朗読パートで気持ちを立て直すのが大変そうだったくらい。『エリザベート~愛のテーマ』でも、去りぎわにふっと振り返ってさみしげに微笑む表情を見た瞬間もう胸がしめつけられ涙が出そうになったことに自分でおどろいた。今年はエリザベートの公演がなくなってしまったけれど、わたしにとってはこのコンサートが今年のエリザベートだったし、この女優さんが本当に好きなんだなあと確認した日だった。


~空白の半年~

 

8月10日昼 韓国「モーツァルト!」(配信)

韓国版のモーツァルト!が字幕付きで配信と知り、夫のいない時間にリビングのテレビにパソコンをつないで観た。この作品自体、ずっと観たいと思いつつなぜかタイミングが合わずに劇場で観たことがなく、だから韓国版ならではなのかどうかわからないのだけど、思っていたのより数倍救いようのない物語だと感じてしまった……。モーツァルトは心の闇から逃れて結婚なり社会の承認なりを求めようとするけど、結局そこにあるのは自分とは絶対的にちがう他の個人との遭遇でしかなく、愛し合っているはずのコンスタンツェと家庭を築けなかったのも互いの孤独の中に互いが存在しないから。
ヴォルフガングが心の底で求めているのはとにかく父、父でしかないのだな。父権が強いがゆえにその権威には従うものである、という価値観に父も子も苦しめられているのに、自分自身が何から自由になりたいのか分からないまま享楽に逃げ、無意識に自らを破滅させることで自分を罰しているように見えて仕方ない。
自分の才能も愛情も時間も肉体も、世間という実体のない影に捧げ尽くして消費されて、ありのままを愛されたいというたったひとつの願いは叶えられることはなく。かといって自分の自由に生きる道に救いを見出すこともなく、最後の最後で自身の死とともにアマデウス(ヴォルフガングの子ども時代の姿)が父の腕の中へ飛び込むシーンで終わるのって、めっちゃ鬱エンドだと思いました。とてもおもしろかったです。

配信だとどっぷり世界に浸る本来の楽しみは減ってしまうし、正直落ち着かなくて集中も切れ気味になってしまったけど、手元でメモ取ったりしながら観られるのはそれはそれで面白いかも。そしてそんな集中力切れ状態でもしっかり聴かせて泣かせてくる韓国ミュージカルのパワフルさも感じましたですね。

 

8月14日夜、8月17日夜、8月22日夜「THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE」(配信)

見たのはプログラムAとB。仕事が立て込んでいたので平日でも在宅で残業しながら観たりしていた…(Cの日は出社していたので見られず…)

Aは2016キャストでのエリザベート歌が聴けたのとかもたいそうありがたかったのだけど(やっぱりわたしは城田優の死の解釈が好き、寄り添ってくれるように気づいたら側にいて、やさしいようで恐ろしく残酷で。)、映像でも新妻聖子さんの歌が聴けたことが一番よかった。特にダンス・オブ・ヴァンパイアに関しては1月の本公演を見て「?」と思っていただけに、これはお祭り気分で楽しむ演目だったのだな、とやっと腑に落ちた気持ち。とにかく新妻伯爵がめっちゃカッコよかった~。そしてミス・サイゴンより「命をあげよう」は泣く……。文脈のないコンサートで、スマホの小さな画面でも、華やかな衣装でも、まぎれもなくそこにいたのはキムだった。

Bはレミゼメンバーが多くて、この日の日記を読み返すと「レミゼが観たい」と何回も書いている。。海宝くんの「見果てぬ夢」を聴いていつか彼がバルジャンをやる日を夢想したり、福井さんの「彼を帰して」で一瞬にして会場の空気が変わるのを感じ、やっぱり劇場の空気を体感したいなあ~と涙が出たり。あと涼風真世さんの「私だけに」、中川晃教さんの「僕こそミュージック」、笹本玲奈さんと藤岡正明さんの「世界が終わる夜のように」等々もはや今では叶わない名キャストの歌唱も大満足でしたね。

 

9月13日夜 ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ~足ながおじさんより~」

良い評判をたくさん目にしていたので、再演されたら是非行きたいなあと思っていた作品。久しぶりの劇場がこんなに素敵な作品で幸せ。
もしかすると何年か前に観られていたら、ジルーシャに感情移入していたのかもしれないけど、なんだか今のわたしはダディの目線。とにかく芳雄さんのことがすごく好きになってしまった。芳雄さんという人の本質的な良さは、心が弱っているときに人間が自家生成してしまう毒みたいなものを、肯定して表現することを知っていることだと思うから。
彼はとにかくカッコよくてシュッとしている役よりもこういう役の方がずっと素敵。善良で育ちがよくて何でも持ってるように見えるのに、ちょっぴり心が折れている人への思いやりややさしさがあるところ、何かひとつのものへの純粋な愛があるところ。それがダディの素顔にとても反映されていてとてもよかった。例えば普段の芳雄さんって経歴も実績もケチのつけようがなくて、本人がその素晴らしさを冗談めかしながら言うことによって人が嫌味なく受け取れるようにすることがあると思うんだけど、そういうところに知性とか、いろんな事情があって人生が思うようにいってない人たちへの思いやりが現れている。
ダディが自分の愛と、それによって生まれたエゴと、自分の行動や素性が相手を傷つけないかという思いやりの板ばさみになる。「チャリティ」をうたっているときに目に光るものが見えて、なんだかすごく感情移入して泣いてしまった。

「みつけた しあわせのひみつ」もすごく好きな曲だし、どんなにきれいな月が見えてもあなたが側にいなければ意味がないってうたっているジルーシャの最後の歌も大好き。透明感のある坂本真綾さんの歌声がとてもとてもジルーシャに似合っていた。

劇場にいると、自分が感動しているときに同時にだれかが洟をすする音がドンピシャのタイミングで聞こえてくる。ああ、劇場っていつもひとりじゃないと確認できる場所、わたしはひとりなんだけど、もしかすると同じ想いを持って同じものを見ている人がどこかにいるって感じられる場所なんだった、と思い出してそれもまたうれしかった。

 

11月8日昼「おかしな二人梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

とにかく久しぶりに本物の花總まりさんが見られることがうれしくて行った。運命のめぐりあわせにより悲劇的環境に置かれ壮絶な目に遭いながらも最期まで気高く生きる薄幸の美女、という役柄の花總さんがわたしは大好きなのだが、今回は真逆なコメディ。どんなかんじになるのだろう~と思っていたら、友だちにいたらちょっぴり面倒くさそうな女の役をおもしろおかしく楽しそうに演じられていたので、それはそれでかわいいし別の顔が見れてうれしかった。これがファンの心というものなのか。
カーテンコールに宝塚のレビューみたいなダンスがついていてお得。キャストの皆さんの挨拶から、この状況で感染状況に大変気を配りながら地方公演大千秋楽までやり遂げたという感無量の気持ちが伝わってくる。でも平田敦子さんの「地方公演に来て初めて外食せずに帰ります」という一言にはせつなくなってしまったなあ。

 

11月14日昼 ミュージカル「生きる」兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

これは久々に母親と二人で観劇。大阪に帰ってきてよかったと思うのは母とまた気軽に会って話したりできるようになったこと。わたしは趣味も仕事も生き方もやっぱり母に一番影響を受けているし、今となってはほとんどいちばん仲が良くて信頼できる他人のうちのひとりだから。
っていうわたしのマザコン話はどうでもいいのだけど、「生きる」を見ていると生きているうちに親の考えていることは聞いておきたいとしみじみと思います。今回は初演の時と同じ鹿賀・新納・ふうかとよのキャストで観たものの、主人公の息子光男役が市原隼人さんから村井良大さんに変わったことによって受ける印象がけっこうちがうなーと思った。市原さんの時は直情型で父親のことを思うあまりにかえって父親とすれちがってしまうもどかしさが違和感なく表現されていたけど、村井さんは一見冷静で知的な雰囲気があるので、なんで落ち着いて父親に向き合えないんだろうっていう苛立ちがある。
あの公園を一目みた瞬間、光男がこれまでの父子関係があったからこそすべてを悟る美しいラストシーンはミュージカルとしてのカタルシス満点で泣かずにはいられないけれど、しかし父と子が大人同士としてもっと向き合うことはできなかったのか、という悔いが光男にはやっぱり残るのではないかなあと。そんなわけで初演のときよりもほろ苦さが残る印象だった。

 

12月13日昼 ミュージカル「NINE」梅田芸術劇場メインホール

そもそもわたしは、男性芸術家が創作と恋愛とで苦悩して母なる愛的なものに救われる話が好きじゃないな……ということを思い出させられてしまった。その救いというか打開策を見いだすのが母でしかないというのが、異性愛を前提として構築された社会の限界なのでは?とさえ思ってしまう2020年。まあもしかするとそれはグイドがカトリックだということが関係しているのかもしれないけど、そのあたりはあまりよくわからない。
「一見スマートに見えて実は繊細で脆い心を抱えた僕」という役は城田優さんの特質を突いている気はするが、逆にそれがあまりに彼のそのまますぎて、芝居でもそれを観たいのか?ということも、それはそれでちょっと考えてしまうな。同じようなキャラクターでも「ピピン」みたく自分で新しい空を切り開く結末の方がわたしは好きだった。

 

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10月以降は体調面に不安を感じていたこともあり、前々から取っていたチケットの分だけ観に行くことに。

宝塚大劇場のチケットがとりやすくなっているということで、3月に梅芸版が払い戻しの憂き目に遭っていた「アナスタシア」を観に行くかすごく悩んでいたのだけど、タイミングがうまく合わなかったこともあり涙をのんで我慢。でも来年は「ロミオとジュリエット」をやるみたいなのでこちらはなんとかして観たいなあ。

 

舞台の配信サービスも充実するようになったけれど、わたしは気になっていたものでもうっかり見逃すことが結構多かったり、知らないうちに終わっていたり。そもそも夜の19時開始とかだと仕事で観られなかったり、家族に気を使ってしまって「見なくてもいいか」となってしまったりして。でも年明け以降は本当にチケットがないので、出来る限り配信もチェックしていろいろ観たいな〜と思っている。