耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル「CHESS」のこと。

観に行く前は全く期待していなかった。ミュージカル「CHESS」。ネットで軽く検索しても結局、感動するのかしないのか、よくわからない。演出もいわゆる、人を考え込ませるような性質のものらしいし、レミゼミス・サイゴンオペラ座などの有名どころをチラ見したことがある程度の私についていけるのか?事前に無料音楽アプリで曲を試聴してみても、身が入っていないせいかいまいちピンとこなかった。

もっとも、私の耳は信用ならない。あのレ・ミゼラブルでさえ、筋書きを知らずに「とりあえず、ミスサイゴンと同じ作曲者だから」という理由でCDをレンタルして聞いてみたときには全く心に響かなかったからだ。この音楽を私の臓腑に染み込ませるには、2012年に大ヒットした映画版の公開まで待たなければならなかった。酷いふし穴耳である。しかし言い訳をさせてもらえば、ミュージカル曲とはあくまで物語の登場人物たちの内面を掘り下げるための音楽である。物語を「読む」気で臨まない(私のような)聴き手にとっては、やたら大仰な曲調で、生活に馴染まない。つまりは音楽をほとんどBGMとしてしか聞かないからだ。

こうしたわけで、自分の耳を信用していない私は、残り数ヶ月間は堂々と使えるU-25チケット(25歳以下なら半額程度の価格で観劇できる夢のような制度である)を利用し、「CHESS」を観に行くことにした。目的は主要キャラクターの一人、アナトリー・セルギエフスキーを演じる石井一孝さんである。それも、最近近所の図書館で無料で借りて聞きかじったCD「BEST MUSICAL」で、石井さんがめちゃくちゃかっこいい歌声を披露していたからというミーハー心にすぎなかったのだが。


正直きつかった。観劇予定日のの翌日から、所用のため海外へ行くことになっていたため、次週の仕事の引き継ぎを無理やり切り上げ、声をかけてくれる同僚を振り切って、定時に会社を出て劇場へダッシュする。1日労働したので腹ペコ、おまけに走ったので喉がカラカラ。しかし何か食べていては18:30の開演には間に合わない。劇場の近くのコンビニでカロリー摂取できそうな飲み物を買う。機内で眠りたいのでエナジードリンクは厳禁だが、気休め程度に身体によさそうなものを選んでしまうあたりが、疲労ぶりをうかがわせる。
トロピカーナ鉄分
トロピカーナ 鉄分


なんとか開演前に滑り込んだホールはアウェイだった。なんだかこぢんまりとしていて、座席にはいかにもミュージカルには精通していそうな雰囲気の方々ばかりが余裕たっぷりに腰を下ろしている。レミゼのように「たまにはミュージカルでも…」とふらふら訪れたような雰囲気の人はいないような気がする。ここは私もこの雰囲気に馴染まなければなるまい。涼しい顔で座席に腰を下ろす。劇場のほぼ中央くらいの位置である。この位置だと舞台全体が見渡せる。オーケストラピットが下手側の舞台上に乗っていることに驚き、双眼鏡を忘れたことに気づいたところで開演時間が来た。

「CHESS」には、全く歌をうたわない、それどころか台詞も発せずなんの音も奏でない演者、つまりダンサーが一人だけいる。以前「ロミオとジュリエット」ミュージカルを観た際も「死」の役としてダンサーが存在する演出があったので、今回もダンサーの彼はなんらかの象徴的な役割を担っているのだろう、と考える。しかし振付の意味などを考える動体視力も分析力も私にはない。ダンスなどの非言語表現を言語化できるのは才能だとすら思っているほどだ――話は脱線するが、最近シーズンインしたフィギュアスケートなど見ていても、全体として何がしかの物語や、感情、想い、光景が伝わって胸を震わせることはあっても、それらをことばにすることはできないのだ。ネットをつうじてそうしたことを成し遂げている人の書いたものを見ては日々、感心するばかりだ。

そんなわけで、ひたすら舞うダンサーに見とれる。しかし舞台上はひどく忙しいので、彼ばかり見ているわけにはいかない。上手側で歌の応酬があったかと思えば、舞台の下手側上部のセットからひっそりと別の登場人物が姿を現している。おそらく双眼鏡で一点ばかり覗いていても気がつかなかったのにちがいない。そう、物語の進行とチェスの試合とを、比喩的に重ねている演出なのだ。メインの大駒が華々しく動く影で、ひっそりと別の駒が動き、一見するとなんのことか分からない動きだが、わかる人にはわかる。そんなチェスの試合に。

登場人物ももしかするとチェスの駒に模されているのかもしれない。飛び跳ねるように動くフレディはナイトのようにも見えるし、でも素直に考えれば米露両陣営、それぞれフレディとアナトリーが白と黒のキングで、フローレンスとスヴェトラーナがクイーンなんだろうなあ。などなど。

じっくり見て考えれば止まらなくなるタイプの劇だということはわかったのだが、予習不足もたたり、台詞の聴き取りとストーリー、各キャラクターの動きを追うのでせいいっぱい。それでも一曲ごとに胸は高鳴っていく。これは、当たりだ。確信していた。たしかにストーリーの華々しさやカタルシスには欠けるけれど、音楽は間違いなくクセになる。現に劇場へ行ってから二週間、今の今までずっと音源をリピートし続け、頭の中に曲が流れている。

ミステリアスなスタッカートで、何層ものメロディーが折り重なってひとつの曲を構築していくようなアンサンブルがたまらない"Quartet"。どこかせつなく、冷戦時代に翻弄されて生涯を送る人々の悲哀を表すかのような"CHESS"。驚きの急展開に美しくロマンティックな説得力を添える"Mountain Duet"。毒をはらんだポップさとでもいうべきコミカルな動きからも目が離せない"Embassy Lament"。(ここを演っていたふたりは、この他のシーンもロシアのチェスマシーンとその付添役、メラーノの地元の皆さん役など度々登場していたのだけれども、とてもポップでキャッチーな演技。大好きだった)そして1幕の最後、アナトリーが朗々と歌い上げる"Anthem"。
正直、これがラストだと思ったくらい、盛りだくさんだった1幕。休憩のアナウンスが入った瞬間、ああ2幕もあるんだ!と気づいて嬉しくなる。

トイレはたいてい混んでいるから、余程切迫していない限り座席で過ごす幕間だけど、ふらふらと何かに導かれるようにロビーへ。CDが置いてないかなーと思ったのだ。このときは予備知識がほとんどなく、CHESSの日本語版CDが発売されていないとは思いもよらなかった……。まさか、一枚も、この素晴らしいキャストの厚みと楽曲でありながら、日本語版CDがない!? ロビーを一周したものの見つけられず、そのままぐるぐるとうろつき、歓談する人々から邪魔そうな目で見られることに。リピーターチケットに惹かれるも、もう公演期間中に劇場には来られないし、ついにパンフレットを購入する。売り子さんから受け取って思わず「うすっ」と声に出そうになったくらい、紙の厚みはなかったけれど、内容は十分である。定番の各キャストインタビューや稽古場写真のほか、プロデューサー ティム・ライス氏のインタビューや、演出・訳詞担当の荻田氏+キャストの座談会記事を掲載。分量は決して多いとは言えないが、演者・スタッフの熱い思いが伝わってくる文章はゆっくり腰を据えて読みたいと思える。ほくほくと購入品を抱えて席へ戻ろうとすると、ホール扉横に、今しがたパソコンからプリントアウトしてきたばかりかのような、手作り感あふれる印刷紙が積まれているのに気がついた。

One Night In Bankok

物語背景の説明か、はたまたチェスルールの解説か、と覗き込んだものの、なんのことか分からない。左半分に日本語、右半分に英語。

Tea, girls, warm, sweet
Some are set up in the SomerseL Maugham suite
 お茶、女、温かく甘い
 サマセット・モーム御用達のスウィートルームだって


サマセット・モーム…? 偶然、最近読んだばかりのサマセット・モーム作『女ごころ』(ちくま文庫)が頭によぎり、次いでプリントのスペルミスが故意なのかどうか気になって余計に混乱をきたすが、数秒見つめてようやく、歌詞がプリントアウトされているのだと気がつく。そっか、ちゃんと韻を踏んでいるんですね。英語歌詞っておもしろい。

しかし、一体どんな曲の歌詞なのだろうか。そもそもなぜこの曲だけ英語・日本語の対訳が……? 疑問を抱いたそのときの私は、二幕の冒頭でこの疑問を飲み込むサプライズが待ち受けていることを知るよしはなかった。

二幕。一幕ではひたすら直線的で特徴的な動きを繰り返し、登場するたびに目を奪われずにはいられなかったアービターが、バカンスを過ごすマダムよろしく日傘をさして超然と振る舞っているそこは、既に一幕を過ごしたイタリアのメラーノではない。そう、バンコク。時間も場所も移ろい、二幕で描かれるのは次のチェス世界大会の現場なのだ。颯爽と登場したフレディもまた、一幕とは装いを改め、さわやかな白い衣装に身を包んでいる。演じる中川晃教さんは登場するなり並々ならぬ気迫を発しており、思わず目をやっていると歌う前から右手の指でリズムをとっている。ノリノリっぷりに微笑む間もなく、次に口を開いた瞬間、歌いだした"One Night In Bankok "の衝撃に打たれた。
対訳歌詞のプリントが置かれていた理由が分かった。英語のラップ。無理に日本語に直せば、リズムは削がれてしまうだろう。これぞABBAの本領発揮といったアップテンポのダンスナンバーで、思わず身体がむずむず、動き出したくなってくる。フローレンスに甘えてナーバスになった感情をぶつけたり、内面は孤独で、寂しそうな顔をしていたとしても、フレディはどこまでもアメリカ人であることは確からしい。どんな苦難も乗り越えて、世間に何を言われようと、ライトアップされた光の中で、自分の人生は自らの手でつかみに行く。孤独はホテルの自室に置いて、人前ではどこまでも強く振る舞ってみせる。
二幕でのフレディのナンバーは他に"Pity the Child"もすばらしく、イケイケな外面から弱い内面まで歌い分けるフレディにすっかり魅了されたころには私の心の中は「アッキー! アッキー!」だった。帰りの電車ですぐにAmazon中川晃教を検索をしたことはいうまでもない。


一週間後、海外から帰宅した私はすぐさまAmazonでオリジナル・ロンドン・レコーディングのCDをポチった。CD二枚組+DVD付きという夢のようなアルバムである。しかし日本国内発送で在庫さえあればほぼ一両日以内に届けてくれるAmazonさんも、インポートCDとなればそうはいかないようだ。発送連絡はいまだこず、じりじりしながらyoutubeで関連動画を視聴し、石井一孝さんのブログと熱いファンの方のコメントを読み、無料音楽アプリで曲を聴く日々である…。断言するが、日本版「CHESS」のCDが出たらすぐさま買う。送料が520円かかろうが手数料が240円かかろうが買う。ちなみに、唯一荻田訳詞の日本版「CHESS」ソングである"Anthem"が収録されているという石井一孝さんのCDアルバム"Tresures in my life"も代金を振り込んで発送待ちである(ちなみに、11/8(日)までは公式サイトで送料無料、10%オフのようだ)。

そうこうしているうちに「CHESS」の公式ホームページが閉じてしまいそうだ。正直、観る前は地味なイメージを抱いていたこのミュージカルにここまでの勢いでハマりそうになるとは思わなかった。一公演しか観に行けなかった後悔がこの思いを余計に駆り立てている気もする。とにかく一度観ただけでは足りないミュージカルなのだ。演者のファンでなくともファンにさせられてしまうほどの力量を持ったキャストが(アンサンブルメンバーに至るまで)揃っているし、正直言って一度聴いただけでは歌詞の意味と演者の動きの意味が理解しきれない。そのこと自体の価値判断は人それぞれにあるにせよ、「一見するとよくわからないが深い意味と解釈の幅がありそうなものにどうしようもなく惹かれる」という面倒くさい性質を持っている私のような人間にとっては、ポップな音楽という香りのよいエサに釣られてしっかり罠に足を絡めとられている感がある。

とにかく、日本版のCDが一般に売り出されること、あわよくばミュージカル版の再演を切に願う次第である。