耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

『彼らは廃馬を撃つ』 – 他人の生を消費するということ

1930年代頃のアメリカの小説にある、得たいのしれないスピードに追われ、機械のごとく人間の生活が回転させられ続け、ひとりの意志では止められようもないような感じ、やめたければ人生そのものから脱落者になるしか他にないかんじに、惹かれつつあるかもしれない。*1

「マラソン・ダンス」……人間を何時間もぶっ通しでダンスさせ続けてどの組が残るか賭けるという、1930年代頃にハリウッドで催されていた、狂気の産物としか言いようのない非倫理的な文化があったらしい。*2

この競技に出場している一組の男女の悲哀を描いた物語なのだが、このマラソン・ダンスという異常な競技と、彼らの人生そのものの儚さがメタファーとして重ねられているようだ。

タイトルがめちゃかっこよくて(彼らは廃馬を撃つ)裏表紙をみると"They shoot horses, don't they?"となっていて、don't theyがなんとなく皮肉な調子を帯びているように感じてしまうのだけどどうなんだろう、英語のニュアンスはわからない。あとthey,horsesとそれぞれ複数形になっているのも気になる。じっさいに撃った人物のことなのか、あるいは人間一般のことなのか、ある特定のタイプの人たちのことを指していると受け取っていいのか。原文だと最後の一文はタイトルと同じなのかな。

個人的な感想としては、レイデン夫人というマラソン・ダンスのオタクをやっている老婦人が出てくるのがおもしろかった。この上品な雰囲気の婦人の背景はほとんど語られないが、なぜかマラソン・ダンスの観戦をやたら楽しみにしており、毎日長時間ずっと観客席にすわって観戦している。おかげで運営側にも認知され、ちやほやされることで承認欲求を満たしているきらいもある。

彼女はスポンサーを紹介して贔屓のカップルが脱落しないように応援したり、便宜を図ってやろうとあれこれしてあげており、今日的な目で見ると「推し活」に精を出しているご婦人にしか見えない。しかしどんなに“推し”ていても、出場者本人の身体的苦痛のことを思いやろうとは考えもしないようだ。

しかも推されている側の女性にすれば、レイデン夫人が自分たちを推しているのは別に自分のことが好きなわけではなくて、どっちかといえばカップルを組んでいる相方の男性に関心があるのだろうなぁとか、でも建前として自分のことを推してる感じを出してくることも薄々察していて、冷たくあしらっている……みたいなふうに見える。

いくら応援してるとはいっても、観戦する側もそれなりになにかを頑張っているとはいえども、結局は「消費する側」と「消費される側」という枠から決して出ることはできないのだ。そして物語もレイデン夫人の運命も、悲しい結末をたどる……。

じっさいにはレイデン夫人のエピソードは本筋ではなくサイドストーリーなんですが、なんとなくわたしは推す人と推しの話として読んでしまったのだった。

*1:最近読んだサローヤンの『スピード・ウォレス』(『リトル・チルドレン』所収)を思い出していたら、訳者あとがきにホレス・マッコイはサローヤンなどとともに boys in the back roomと評されたと書かれていてやっぱり同時代の空気感があるんだな〜と答え合わせできた気がしてうれしかった。

*2:なんとなく競技ダンスっぽいものを想像していたのだが、YouTubeでこの小説の映画化作品が上がっているのをみるともっと「マラソン」寄りのスポーティな雰囲気があった。

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