耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2025年9月に読んだ本

最近、読みやすい本とか短編集ばかり読んでしまう傾向にある気がする。chatGPTにわたしの好きな本の好みを教え、ブックリストを提案してもらったら、読んだことある本と架空の本のリストしか出てこなかった…。(chatGPT、長いリストを作ってもらうと途中から全部嘘になる)地道に自分で情報収集します。

 

 

『花びらとその他の不穏な物語』グアダルーペ・ネッテル(宇野和美 訳)

短編集。

『盆栽』はなんと日本を舞台とした夫婦関係の話なのだが(著者はメキシコ出身の方です)、日本人からみると「そうはならんやろ」という展開がちょいちょいあったりして面白かった、ダンスが下手だからという理由で結婚してる夫婦の関係が気まずくなるくだりとか……
ブライアン・エヴンソンが『現代ゴシック小説の書き方』というエッセイで例として書いてた「アメリカ人の目から見た日本の居酒屋」と同じで、よく見知った風景を不穏な雰囲気漂う文章で描写されることでその描写の技術がよくわかると同時に、舞台の裏側を見てしまったような嬉しさと後ろめたさも感じる……。

『眼瞼下垂』めちゃくちゃ小川洋子を感じる。

『ベアゾール石』これはシャーリィ・ジャクスンを感じた。精神不安定さと狭い人間関係の閉塞感、日記体というのがまた語り手の信頼できなさを増幅しており…。ただジャクスン"っぽい"小説ってラストどうしてもバッドに入っちゃうことが多く、そう思うとジャクスンが閉じた人間関係の異常性を書きながら何故か本人たちだけは幸せそうなメリーバッドエンドに終結するあの謎の読後感は唯一無二だったな。

『花びら』は、変態キモ性癖をもつ男がある女性にものすごい執着で追い回すものの最後まで変態性を本人に気づかせることなく彼女の死を見守るというストーリーを奇妙なまでに美しい文章で描くというところで『無垢の博物館』を思い出したが、こちらは彼女本人の身体には興味なく自分の中で作り上げた彼女の精神のイメージに惚れ込んでいたという話なんだよな……

先月読んだ『赤い魚の夫婦』がめちゃくちゃ良かったので期待値を上げて読んだら、やはり赤い魚の夫婦の方が完成度は高かったかもな〜という印象であった。こちらのほうが3年ほど先に書かれたものとのことで、さもありなん。でもやっぱりこの方の作風自体がとても好みということは再確認したので、もっといろんな作品を読みたい。

 

『供述によるとペレイラは…』アントニオ・タブッキ(須賀敦子 訳)

『インド夜想曲』のイメージが強かったのでハヤカワepi文庫に入ってそうなテイストに逆にとまどった。なぜ最近重版かかったのかということを思うと複雑な気持ちになるが、このきな臭い世界情勢の中読まれるべき作品。新聞社に勤めるさえない中年男性のペレイラ(香草入りオムレツとレモネードが大好き)が、我が身可愛さに逡巡しながらも自分のやるべきと思うことをやり遂げようと行動するところに心動かされる。歴史上の大転換点となる時代に居合わせなければ平凡な人生を全うしていたはずの小市民的な人間が、時代のはざまにおいて思いがけず英雄的な行為に及ぶ話がわたしは好きなんですよね。

 

『レクイエム』アントニオ・タブッキ(鈴木昭裕 訳)

こちらは旅先をさまよいながら少し不思議な出会いを繰り返していくというタブッキのイメージ通りの作品。

わたしの感情は、真の虚構を通してしか湧き上がらない性質のものなんだ。きみの考える誠実さなど、形を変えた貧困だよ。(P.163)

「きみの考える誠実さ」、すなわち自分の感情を正直に吐露しようと試みる行為を「貧困」といい、虚構の中に真実の感情を見出そうとする発言にどきりとさせられる。

作中の作家というのはペソアのことを言っているようで、いよいよペソアが気になるけど代表作らしき本がよく行く書店に置いておらず、何から読んだらいいのか分からない……。

 

『リトル・チルドレン』ウィリアム・サローヤン(吉田ルイ子 訳)

こちらも短編集。

『ああ 優等生』は、並行して読んでた『夢の中で責任がはじまる』に入っている『アメリカ!アメリカ!』という短編とも共鳴した。努力すれば夢がかなう社会とは、裏返せば努力できない者や夢がかなわない者が肩身が狭くて居心地の悪い世界ということ。のほほんと生きることを自分に許可したわたしからすればずいぶんと息苦しく感じる。

『スピードウォーレス』『メッセンジャー』『農夫の幸せ』、このあたりの短編にもすごく「アメリカ……」を感じた。小さな田舎町の退屈、上へ上へ、もっともっと、と駆動する欲望の回転。ほとんどの多くの人は頂点に立つことはできないまま死んでいくのに、それでも夢見ることを是とするアメリカの幻想の功罪。夢やぶれることで決定的に失われてしまうものがあるいっぽうで、それでもその一瞬のきらめきは人生にとって尊いものであることも真実。

 

『涙の箱』ハン・ガン(きむ ふな 訳)
涙の箱

涙の箱

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涙を流す場面よりも涙をこらえる人の姿のほうが、読んでいて涙がでそうになる。涙を流す人よりも、上手く涙を流せない人のことを書くのがハン・ガンらしさだなあと思う。

 

『ほとんど記憶のない女』リディア・デイヴィス(岸本佐知子 訳)

ショートショートのように短い一編やエピグラフのように短い哲学的な一節、かと思えば実験的な短編など多様な作品が集まっていながらもリディア・デイヴィスのエッセンスがぎゅっと濃縮されていた。この個性の強さ。いつかどこかで自分も考えたことがあるような、いや考えたことがあることにしたかったような……でも確かにまだ出会っていなかった言葉たち。岸本佐知子さんがほとんど独占的に訳しているというのもちょっとこれ以上ないくらいのコンビネーションでは。

 

『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈

夫氏が読んでいたので拝借。「ほとんど記憶のない女」とタイトルの音節の数が一緒だ。。

思っていたより淡々とした小説だった。成瀬という女の子自身は人間味があんまりなくて、プレイヤーが操作してるゲームキャラみたい(成瀬って「ときめき地区」に住んでるし、勉強も運動もバランスよくやって自分のパラメータ上げてたりして、『ときめきメモリアルGirls' Side』のヒロインみたいなんだよね…)なんだけど、それによって周りを取り巻く平凡で普通な人々の個性や悲喜こもごもが浮き彫りになるのがこの小説の面白いところ。

成瀬の幼馴染「島崎」はホームズの横にいるワトソン君、夢水清志郎を観察する岩崎亜衣のごとく普通の人なんだけど、この名探偵フォーマットを令和の女子中高生と、滋賀という地方都市で書いているのも面白いんだよな~。

 

『小松とうさちゃん』絲山秋子

小松と宇佐美、50代のおじさん二人組。何でもないような小松の恋模様とその顛末なのに、なぜか先が気になってしまう。このふたりとみどりさんの関係性が読者にわかるまでの序盤パートでもう既にひと裏切りされるのが上手いし、だからラストのプチどんでん返しも違和感なく「このおっちゃんならありうるな…」と思える。冴えない社会人中年をほっこり読める新鮮さが良い。

 

『夏物語』川上未映子

毎年夏になるたび読もうかどうか迷っていた本だったので、だけど読んでよかったです。またしばらくしたら読み返したいし、今読んで思ったことを覚えてもおきたい。

 

sanasanagi.hatenablog.jp

 
『文化が違えば心も違う?』北山忍(岩波新書)

新刊情報を見て気になってた本。タイトルどおり、人を取り巻く社会の文化と、人自身の心の動きや指向性が相互に影響しあっているということを各地域の現在の文化と心の中心傾向について具体的に述べている。もちろんこれらはあくまで中心傾向にすぎないということと、大切なのはその差異を認識することにとどまらずグローバル社会の共生にどう活かすかであるというまとめ方をしている。

第5章の非西洋→西洋への影響が歴史上はあったのだと言う話もおもしろかったな…現状社会で西洋が覇権を握っているのは西洋文化に特徴的なキリスト教を背景とした個人主義の称揚が資本主義・植民地主義と結びついてきた歴史的経緯があったからであって、別に西洋文化が優れてるわけでもなければ文化的に進歩してるわけでもなく、ただ富を握るのに都合の良かったというだけなんだなと思っちゃった。(著者がアメリカのアカデミズムに長らく身を置いてきた方なのでその辺りの批判的な視点の影響はあるかもしれない)

文化ごとの価値基準の枠組みを個人主義・協調主義だけでなくて認知・感情・動機づけではかるというのも学びだった。心理学という学問において人の心をどのように分析するのかは研究者自身のイデオロギーに依存するのでは?と思っているので、このように文化そのものの価値基準を判断する文化心理学では、比較するための物差しをどのように選定しているのか気になるな〜