耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル「アナスタシア」2023年10月@梅田芸術劇場メインホール

ねんがんのアナスタシアを観ました。コロナ 禍初期の頃に持っていたチケットが消えてしまっていたのだ……。山本耕史のグレブ見たかったなあ……

 

 

大変うるわしい演出と音楽に満足な観劇であったのですが、ストーリーとしてはこれが初見とするのではなく、事前に映画か宝塚版を見て把握しておいてもよかったな~という感じが。なんというか途中までこんなに王道なロマンス作品だと思っておらず、途中で「あっそういうかんじになるのか!」となってしまった。笑 いや宝塚でやっていた時点で気づくべきだし、わたしがちょっとぼーっとしすぎていただけなのですが…。なんとなくアーニャが一人で力強く生きるエンディングになる、もうちょっと辛口ハードボイルドな話なのかと勝手に思ってしまっていた。

一幕のダイヤモンドの下りに至るまで、わたしは全然ディミトリのことも信用しておらず、ディミトリが信じたふりして一回持ち逃げするとかいう展開があるのかな?と思ってハラハラしてしまっていて。すんなりと明るい展開になったところで「あれっ?もしかして、これまでのシーンももっと素直な気持ちで観ててよかったんじゃ…」と自分のゆがんだ心を恥じた。素直に見てれば相葉ディミトリのような真っすぐな青年が裏切るわけないなーと分かるのにな。晴香アーニャと相葉ディミトリの王道ケンカップル感はすごく好みなのに、ちゃんとときめきトゥルーエンドを期待しながら二人の心の揺れを見守っていたかった…。

そんなこんなでしたが後半からはモードを切り替えて、アーニャが皇太后と話しているシーンなど途中からマリア皇太后が声を発するたびに涙止まらず状態でした(情緒不安定)。いやもう麻実れいさんの声は国の宝ですよね。一族も故国も何もかもを失い、心を閉ざした孤独と苦悩の日々があるからこそ、アーニャと再会してからの花がぱあっと開くような歓喜も、祖母の立場から孫娘を想う慈愛も。その一言一言の声色にこめられた感情のあまりの豊かさに泣いてしまう。これほどまでの喜びを与え、愛を受け取ることのできたアーニャの幸福さに涙が出る。

 

そしてグレブ。これまたぼーっと見ていたもんで、途中まで「これはどうしてストーリーに絡んできたキャラなんや?」と思っていた。グレブが晴香アーニャの上品な可憐さと芯の強さに人として惹かれるのはすごくわかるが、でもアーニャの眼中にグレブが入っているような描写がないので単にロマンスを物語る三角関係のためのキャラという感じもせず。ただ最後まで観るとグレブはアーニャと映し鏡の関係にある存在だったのかあ…と気づいた。

こういう〈プリンセスへのあこがれストーリー〉を現代の観客に向けて上演する上で絶対に頭のなかにモヤァと浮かんで障害になる、「プリンセスへのあこがれは父権制に守られている存在であるからこそ成立しているものなのでは?」みたいな感覚。これを解決するための「アーニャは父の娘であることをやめ、自分で見つけた未来を選びとりました」という結末を持ってきたのかなーと。そしてそのための「グレブも父の呪縛から解き放たれた」からこそアーニャが生き延びられた、というストーリーテリング。(主人公の「光」のもとで対峙した「闇」属性のキャラクターがそれまで信奉した確固たる自己を破滅させる、という構造を考えるとレミゼのジャベールを思わせるところがある。もちろんアナスタシアのテイストはもうすこし明るく、グレブは死を選びはしないが、現実的にソヴィエト政権から逃れる決断は死にかなり近いのでは…と考えれば。)

ただ、それまでの展開でアーニャはディミトリとの関係性を築いていて、皇女ではない、自分の人生を選ぶというストーリーとしてうつくしく結末に向かうエネルギーを感じていて。グレブとのシーンはなんとなく作品全体の中でバランスが悪いような印象を持ってしまった。かといってグレブがいなければあまりにも退屈な物語になってしまうとも思うが……。

他の方の感想を見ていたら、万里生グレブは他キャストと解釈がかなり違うらしいので、そういう意味では他のグレブも気になるな〜。ってかアーニャを撃てない山本耕史が想像できなさすぎて観たい……(?)

 

あとグレブの描き方をみていると、実際のところこの時期のロシアってどんな感じやったんや?というのはやはり気になり、家でたまたま積読していたスターリンの伝記本を読んでいるのだけど1930年代ソヴィエト政権の目を覆うような失政のインパクトがすごく……。それが物語の後の10年後くらいにあたるのかな。この直情型インテリっぽい万里生グレブが祖国をどのように捉えていくのか…と考えると、たとえ体制と袂を分かったとしても、平和に生き延びられたとは思えないんですよね。。

「アナスタシア」という作品としては、体制を批判的に描くよりは(多少都合の良い展開だとしても)抑圧を克服して未来へ進む希望とか明るさを表現する作品に仕上げる方向に割り切っているのだろうとは思います。ミュージカル作品として伝えたいことはその方がブレないし、受け止めやすくはある。しかしそうなると何故わざわざこの時代背景を題材に選んだのか?というのもちょっと気になるな……。