耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2021年4~5月に読んだ本

出産直前にトニ・モリスンの『ビラヴド』を読み終えて、そのおかげで『ビラヴド』はなんとなく思い出の本になった。

産後、5月はほとんど紙の本を読む気にならず、眠くない自由時間にはひたすらiPhoneで漫画を読んでいた。おもしろかったのは『メタモルフォーゼの縁側』『女の園の星』『スキップとローファー』かなあ。情緒が上方にも下方にも過剰に振れるようになっているので、こういう平和な世界の話が読みたい気分。

平和な世界、とはいえ、『メタモルフォーゼ』も『スキップとローファー』も、陰湿な悪意がなく優しくて真っ直ぐな人たちの話ではありながら、若者たちが抱えがちなリアルな悩みに向き合っているので、心にぐっと刺さるものがある。『女の園の星』はどうでもいいことにしか悩まないので(褒めているよ)シュールな笑いが止まらなかった。『動物のお医者さん』にちょっと似てる。

 

トニ・モリスン『ビラヴド』 (ハヤカワepi文庫)

ある黒人女性の、三世代にわたる過去が、少しずつ炙り出すように明らかになっていく。以前に読んだトニ・モリスン作品は難解なイメージだったが、これに関しては引き込まれて次々にページを捲った。

あまりにも辛く壮絶な経験を、忘れたい、と忘れられたくない、の拮抗。無言のまま、名前も呼ばれないまま奪われた尊厳、たくさんの命は美しい土地の風景のなかに名もなき声として溶けていくかのよう。

ある意味では忘れることが再生を可能にする、個人の人生においては。でも共同体のレベルでは、忘れるどころか知ろうともしない態度、それは自らが当事者でないゆえに可能である傲慢であり、再び汚辱を繰り返すのなら愚かにすぎる。他者に手を差し伸べないことは共同体の衰退をも意味する。それは物語の中に書かれた小さな共同体に限ったことではなく、国家や地球全体のレベルに拡大して理解しても同じことだ。

読了日:2021/05/04

 

小川洋子『貴婦人Aの蘇生』 (朝日文庫)

自らを皇女アナスタシアの生き残りと称する老女“貴婦人A”。浮世とは少しズレた人びとに対して周囲の人間が注ぐ眼差しの、小川洋子作品に独特の微妙な温度と距離感が、わたしはとても好きなのだが、この作品に関してはオハラという人物がいささか特殊だ。身勝手な興味本位から静かな洋館で暮らす貴婦人の生活をかき乱す。しかし、初めは下世話に思えたオハラも次第に貴婦人の魅力に惹きつけられ、しまいには伯母さんの本質にある高貴さを強調するために存在したかのように思えるのが面白い。

読了日:2021/04/01

 

 


廣野 由美子『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書)

フランケンシュタイン』のテキストを例に、小説技法と批評理論の双方を概説する。もっと早く読んでいれば今まで読んだ小説がもっと楽しめたのにとさえ思ってしまう。特に後半の批評理論に関しては、同じ小説を様々な切り口で読み解いており、読み物としてかなり面白い。

文学をどう読むかは個人的な営みだと思っているけれど、こうした理論を知って読むことで視点が少しずつ上がっていき、結果的には直観も磨かれるという言葉に納得する。批評というものはテキストをいかに豊かにするものか。

先日、同著者の最新著書「小説読解入門〜『ミドルマーチ』教養講義」も購入したので読むのが楽しみ。(ただ、ミドルマーチを未読なので読む順番で悩んでいる)

読了日:2021/04/09

 

彩瀬 まる『朝が来るまでそばにいる』 (新潮文庫)

人と人とが交わる場所には、時には自分の意思ではどうしようもできない出来事があって、目には見えない強い感情が吹き溜まって、こずんでいく。恨みとか、憎しみとかいう言葉で表せるものならいっそ良かった。そうではなくて、もっと明るいものを見つめながら、それでも沈んでいくことになってしまったから、苦しい。

きっと誰もがいつかは出会うものだと分かりはじめているけれど、わたしは寄り添える優しさを持てるだろうか、あるいは、傷を受け入れる強さを持てるだろうか。

こういう苦しさを書くのがとても上手い著者だ、と数冊読んで思う。

読了日:2021/04/11

 

 


遠藤 周作『真昼の悪魔』 (新潮文庫)

初出1980年、2015年の復刊。なぜ復刊されたのかいまいちわからないものの、なんとなく目に入ったので読んだもの。

なにを悪とするかという感覚は当時とは変化しているような気がするけれど、むしろ我々にとって「善」が何か分からなくなっているという点は多分ますます加速しているのではないかと思う。だってこの小説で書かれている「悪」よりもっと酷い所業を我々は知ってしまっているし、「善」が何かを考えたときに無意識に思い浮かべる内なる他者の数ばかりが増えていく。

この小説に出てくる「女医」みたいに自分自身の空虚さを自覚することさえできず、自分の欲望の出処さえも無自覚に他人に依存しているのが現代だという気がする。

読了日:2021/04/25

 


村上 春樹『遠い太鼓』 (講談社文庫)

40にして妻と二人、海外生活を始める村上春樹ギリシャやイタリアなど気ままに滞在先を移し点々とする生活。こんなふうにまとめると随分と優雅だなあと思うけれど、まあ、他所の国で暮らすということは綺麗事だけでは済みませんわなあ、ということを、村上春樹独特の例のちょっとすかしたような文体で綴られているのが面白い。なんだかいろいろあるけど、気楽にしていればなんとかなるさ、といった気分にさせられる。30年くらい前の話なのでギリシャもイタリアもここに書かれている様子とは変わっているのかもしれないけれど、もしかするとそのままなのかもしれないなあと思ったりもする。

読了日:2021/04/24

 


多和田 葉子『かかとを失くして 三人関係 文字移植』 (講談社文芸文庫)

『かかとを失くして』結婚を機に異文化の中へ投げ込まれた語り手の困惑。ただ彼女はそこに留まっていなくて、自ら思索する散策という施策に出る。

意識的に言葉の枝葉を捉えて、普段読んでいる小説とは別のやりかたで思考しなくては読み進められないのが多和田葉子。毎回感想を書くのを悩むのだけど…。全く理解してるとは言えないのに定期的に読みたくなってしまうのは、異なる世界を歩く感覚、言葉で世界を切り分けることのある種の美しさを感じたくなるからなのかも。

読了日:2021/04/24