耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ある秋の土曜日の日記

朝、8時半に起きたらベッドには誰もいなかった。

1歳半の子が6時に起きて寝室から出してくれと騒いだので、夫が起きておむつをかえ、パンを分け合って食べ、子が遊ぶのを見守ってくれていたらしい。

ちなみに1歳半時がドアを開けて欲しいときは「でて!でて!」と言う。「出して」とか「開けて」ではないのがおもしろい(言えないというのもあるが)。

 

リビングにはすでに2時間分のおもちゃや絵本が散らかっていた。

2人が起きていたことに全然気づかなかったわたしが「ごめんごめん、すっかりねてたわ」などとムニャムニャ言いながらポットの白湯をのんでいると、夫が突然着替えだした。

夫は部屋着と外出着を分けて生活している。土曜日の朝から着替えているということは、出かけるということだ。

「あれ?どこか行くんだったっけ?」と言いたかったが、寝起きの頭で「あれ?…………」しか言えないでいると、

大阪城にでも行こうとおもうねん」またしても突然言い出した。

「今朝テレビでやってて、紅葉がそろそろみたいやった」

「えっ?だれと?どうやって?」

もちろん1歳半の子とである。しかし家から大阪城公園まで電車で小一時間はかかる。

「わたしもいく!」

電車で小一時間のお出かけに、今日特に予定もないわたしの参加が考慮されていないことに焦りをかんじた。家族三人組からのけ者にされようとしているのではないか。

しかしわたしがのけ者にされるとすれば、それはあきらかに寝坊のせいである。

「えっ……」夫はほんとうに意外そうな顔をしていたが、「ほんなら、早く着替えて」と子どもを着替えさせようとしていたわたしから子どものズボンを没収した。

そんなわけで、我々は電車で大阪城公園駅へ降り立った。

 

ところで、これから子連れで大阪城へ行く方はよく聞いていただきたいのだが、大阪城の最寄駅は大阪城公園駅と森之宮駅や天満橋駅などがある。

そして、おそらく近年整備されて、子どもの遊具やボーネルンドの遊び場、おしゃれなカフェなどができたのは森之宮駅のほうなのである。

今朝、急に思い立ってよく調べずに出てきた我々は、安直に大阪城公園駅から入ってしまった。

最近ひとり歩きができるようになったばかりの子どもは、たのしくトコトコ歩き回る。さらに「デンシャ」とか「ハッパ」のような覚えたての言葉を片っ端から指差してきょろきょろするのに忙しい。

朝6時から起きているので、当然ながらあっという間に体力が切れて眠ってしまった。

森之宮駅に着くまでには、公園の中をゆっくり歩いて30分くらいはかかった。

そのころには子どもはベビーカーの中でぐーすかいびきをかいていた。

よそのうちの子どもが楽しそうに遊ぶのを遠目に見ながら、ローソンで買ったカフェラテとからあげくんを食べた。

子どもを遊ばせる目的ならば最初に森之宮駅で降りるのが正解だった、と歩いてみて分かった。

また次にいつ行くかわからないが、メモとしてここに記す。

 

 

秋の大阪城公園はいろんな人がいた。

目立っているのはジョギングランナーの団体たちで、走りながらわいわい賑やかにやっている。

大阪城ホールの横を通ると、まだ朝9時半なのに今宵のコンサートのためにやる気満々のグッズTを着て写真を撮る若い女性2人組。

そしてそのおなごたちを見ながら上半身裸で体操に励む近所の老爺。

お濠の鴨の羽ばたきをシャッターに収めることに情熱を注ぐカメラ集団。

石垣の上によじのぼり、「ここがええねん」とつぶやきながらお供えものをする妙齢の女性2人組。

スーツでびしっときめつつ、韓国語で会話するビジネスマン2人組。

道端の植え込みをのぞき込んでなにやら熱心に話し込む妙齢の女性3人組。

国内外観光客らしき人びとや修学旅行生のような団体も多いのだが、なんというか東京にいたときに訪れたお出かけスポットや、同じ関西でも京都や奈良などとは根本的になにかが違う。

ちょっとわたしにはうまく表現できないのだが、ボーネルンドやオシャレカフェやオシャレ芝生をつくっても、なぜか根本的に「ここは大阪」としか言えない何か独特な空気が漂っている。

街のどまんなかにあるのに、みんな周りの目をそんなに気にしていないかんじがするからだろうか。逆に、のびのびやっているように見せつつ楽しそうなことやってやろう、みたいな雰囲気を勝手に感じるからだろうか。

それともただ単にみんな声が大きいからだろうか。

子どもの遊ぶためだけの公園とはちがう、あるいは同じ大阪府内でも北摂にあり、文化の香りが漂う万博記念公園ともまたちがう、

大阪市内の「市民公園」だからこそ滲み出る大阪市のカラーなのであろうか。

 

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さて、ほとんど寝ていたとはいえ、子どもはお堀に浮かぶカモを見たり、空に浮かぶ飛行機を見たり、枯れ葉の山を踏みつぶして歩いたり、1歳なりに公園を楽しんでくれていた気もする。

ところで、我が家の1歳半の子は毎日お昼ごはんの後に2〜3時間の午睡をする。

ところが今日のようにうっかり午前中に寝てしまった日はどうなるか?

午後から全く寝ないのである。

親としては、お出かけをしてようやく帰ってきたところで子どもが目覚め、体力回復した子どものアドベンチャーにまたお付き合いすることになる。

これは子育て経験者の方ならお察しの通りでしょう。

 

お昼は家でみんなでレトルトのカレーを食べ、近所の図書館と公園へ行った。

公園から帰宅して借りた絵本などをぼちぼち読み、おやつを食べて満足した子どもがひとりで遊び始めると、ようやく一息つける時間だった。

気づいたらソファで眠っていて、起きたら夕方5時だった。

正確には、眠っている間に子どもが側に寄ってきて「カーチャン…」と呼びかけてくれていたのだが、眠すぎて金縛りにあったように体が動かなかった。

「朝も寝坊したくせにどんだけ寝るねん」とは夫は言わなかった。彼はやさしい人間なのである。

いや、しかし彼はその後、夜から出かける予定があった。

夜の時間をわたしのワンオペにさせるというのがあったから、何も言わないで寝かせてくれていたのかもしれない。

いや、しかし翌週はわたしが出かける予定にしていたので、今日は別に何もしなくてもトントンだったのだが。

 

それにしても、独身のころに子育てをしている先輩が「土曜日○○に出かけて、ほんま一日中子ども抱っこしとったわぁ〜」なんてヤレヤレ感を醸しつつエピソードを披露していたときは、いつも思ったものだ。

「子育てってなんてたいへんなんや。わたしは体力がないから絶対むり。だってどんなに疲れてても逃げられへんもんなあ」

しかし、いざその立場になると結構なんとかたのしめるものだ。

ひとり暮らしをしているときには、休日ひなたぼっこをしながらいくらでも眠っていられるなんてなんて最高なんだろう、と思っていたが、家族暮らしになってもそれはそれで楽しめる、どんな境遇でもそこそこ楽しさを見つけられるのがわたしという人の好きなところだ。

と、ちょっといい話ふうにまとめようと思っていたのだが、改めてこうして今日の日記を書いていると、じつはそうではなかった。

わたしが寝ている間に夫がなんとかしてくれ、夫のおかげで体力がなくても楽しめているだけだった。

夫、ありがとう。と今度言おうと思う。