耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカルのCDを聴く

ミュージカル「CHESS」のオリジナル、コンサート盤、ブロードウェイ盤、WEミュージカル盤、スウェーデン盤のCDを聴いている。せんだってより述べている通り私はあまり注意深い聴き手とはいえない。しかしながらコンサート盤の質の高さは群を抜いている。そう感じてしまうのは思い込みだろうか。ライブ音源ゆえに部分的に音のバランスが気になる箇所もあるが、迫力と情熱がそれを凌駕しているのである。そんなわけでついコンサート盤ばかり聴いてしまって他のCDは通しでは聴いてはいないのだが、歌詞カードとWikipediaの英語を読めばいろいろと興味深いことが書いてはあるのだろうなとは思う。たとえばブロードウェイ盤は冒頭からフローレンスの父親が娘に語り聞かせるという演出になっており、そうした差異も面白いのだが、こうした部分についてはまた改めて通しで聴いた後にみていきたい。一方で、全CDに必ず収録されているど真ん中の「聴きどころ」となる曲も存在する。今のところ私はもっぱらこれを聴き比べるという楽しみ方に終始している。たとえば第一幕を締めくくる”Anthem”は、メインキャストの一人、ロシア人チェスプレイヤーのアナトリーが重要な選択をする際に歌い上げる、いわばメインディッシュの曲の一つなので必ず全てのCDに収録されている。WEミュージカル盤の”Anthem” では中盤のエレキギターのソロが大きな存在感を放ち、壮大な音楽の中にいわば”近未来的レトロ”といった彩りを添えている。このアナトリーはエレガントな印象で、私は音楽や歌唱には全くの素人ではあるものの、クラシカルな歌い方をする方だと感じた。個人的には単語の終わりの母音をはっきりと発音する点に少しおどろいた(ウィキペディアによればWEアナトリー役のトミー・ショールベリ氏はスウェーデン生まれだとか)。後半から感情の抑制が次第に溶解してゆき、迎えるラストの盛り上がりは素晴らしい。スウェーデン盤では曲名が"I mitt hjartas land"となっている。スウェーデン語はさっぱりわからないのだが、land=国とすれば、母国を思う曲を意味しているのだろうという程度のことが察せられる。歌い手の声質のせいかは分からないが、深い決意やあたたかな思いというよりはどことなくクレバーさを思わせるような歌声の響かせ方であるという印象を受けた。オリジナル盤のアナトリーは少し若く、そして色気のある甘い歌声だ。このアナトリーになら、一夜にして身を任せたくなってしまうフローレンスの気持ちも少しわかる。とにかく男性的なアピールがあって、女性としてはうっとりしてしまうのだが、ことAnthemに関しては場面が場面であるだけに、若いロミオに身を任せるような危うい予感もはらんでいるように思う。ブロードウェイ盤の”Anthem” はもっと軽い。”I cross over border~”のところも静かな決意をみなぎらせるというよりは上滑りな印象を受けてしまった。個人的な好みをいうならアナトリーには少し重々しい安定感のある方が好きなのだが、ブロードウェイ盤のアナトリーはその点でもあまり私の好みではなかった。私が一番好きなのはやはり2008年のコンサート盤だ。そう思ってしまうのは、たぶん贔屓目も入っているのだろうとは思う。どれを聴いてもつい無意識に、コンサート盤と比べている自分に気が付く。思いこみもあるのかもしれない。聴きようによっては、ジョシュ・グローバンのアナトリーは優しすぎ、包容力がありすぎるかもしれない。でも私はその中にアナトリーの「迷い」を感じるような気がするのだ。迷いながら、それでも前に進むことによってのみ得られる確信のようなものがある。ジョシュ・グローバンのAnthemは、アナトリーの迷いが決意に変わるプロセスを歌を通して表現することに成功している。ライブ盤の強みというところもあろう。演劇では、舞台上で展開されていく物語の流れとともに、「演技」いわば偽物であったはずの役者の感情が、いつしか本物とほとんど変わりないものにまで高められ、合一されていく。他人の感情の流れを同じ空間で観察し、そしてそこに自分の感情を同一化して寄り添わせていくこと。その「場」に足を運ばなければ得られない体験である。また、劇場というところが大勢の生きた人間が集まる場である以上、その場に居合わせた構成員の相互作用も起こる。それは役者どうしの間の化学反応ばかりではない。集合体としての観客と、役者との間にも発生しうるものだ。ライブ盤では、聴き手は演者に影響を及ぼす「空気」を作り出すことには参加できない。しかし、今ここではない別の時間、別の場所、それも劇場という特殊な密閉空間で作り出される圧倒的なエネルギーのうねりを感じ取ることのできる貴重な媒体がライブ音源なのだ。そこには切り刻まれ、いちばん耳障りのよいよう入念に構成されたスタジオ録音盤にはない「揺らぎ」がある。だがその「揺らぎ」こそ、細部まで入念に構築された交響曲でなく、感情の爆発の場としてのミュージカルを選ぶ聴き手が、一番求めているものなのだ。