ずいぶん前に『高慢と偏見』を読んだときにはそこまでピンとこなかったのですが、今回新訳『説得』はずいぶんはしゃぎながら読みました。
最初の方だけ、訳注がページの端で目に入るのが気になるのですが、序盤さえ乗り越えれば気にならなくなる。特に後半はスピード感のある展開で読むのがやめられなかったです。訳注もだれかといっしょに恋愛ドラマを見ながら時には有識者の解説も仰げるみたいな感覚になってきて、楽しかった。
理想的な乙女ゲームヒロイン、アン
恋愛ものに没頭できるかどうかは主人公に自分と近い共感できる要素を見いだせるかどうかというのも一つの要因かと思うのですが、その意味でアンはわたしにとってはかなり共感できる人でした。というのも、アンは過去にすごくいいかんじになってた男性がいたんですが、ある理由で彼のプロポーズを断り、当時の社会における結婚適齢期を逃しかけている女性なんですね。
わたし自身も、恋愛に限らず過去の人生において、不要な用心をしすぎて「チャンスの神様の前髪」をのがして後悔してきた人間なので、このアンの状況が胸にささりまくる。物語はこの元彼が、当時より社会的に成功し、独身のままでアンの前に姿をあらわすところで動き始めます。元彼ウェントワースが他の女といちゃつくさまを目の前で眺めながら一泊旅行するはめになったりして、アンはかなりみじめな目に。なんだけども、そこで「なんやねんこの本」と投げずにいられるのは「もしかしてウェントワースはまだアンに気があるんじゃないの!?どうなの!?」と思うような場面がちょこちょこと差しはさまれ、読者の前に巧みにニンジンをぶら下げられてるせい。なんとなく結末が分かってても、というか分かってるからこそ、じらされるのが楽しいんですよね。
そしてアンの方も、いまだにウェントワースのことが好きな自分の気持ちに気づきながらも、うっとうしい女にイライラしてブチギレたりは決してせず、大人な態度で自分の感情を隠している。そればかりかその若い当て馬女が、はしゃいでウェントワースに抱きつこうと岩場から飛び降りるのに失敗し怪我するという「なんやねんこいつ」と言いたくなるような場面でも、率先してその場をとりしきり、冷静な判断力をみせつける。乙女ゲームのヒロインとして合格な、性格の良いヒロインといえましょう(もしかしたらそんなところが優等生ぶってて逆に嫌、といううがった見方もされるかもしれないけど)。
じらされるのが楽しい、というのを先ほど述べましたが、『説得』の中にはなんというか萌えポイントを刺激してくるシーンがめっちゃある。個人的には「他の人が自分を好きっぽい姿を本命の人が見て動揺してる・それを自分でも気づきつつも顔には出さない」というのがツボでした。「他の人が自分を好きっぽい姿を本命の人が見て動揺してる」までは少女漫画にはありがちなことだけど、そのうえアン自身もウェントワースの嫉妬心を(確信はもてないながらも)うすうす察知している→そして第20章のラストでいよいよ明確に確信を持つ。この人はわたしのために嫉妬している! となる展開がめちゃくちゃ良い。
この人たち、互いを意識していることを自覚するようになってから、街中で偶然行き会っただけで赤くなったり、かといって相手が気づかないとがっかりするみたいな調子で、21世紀の我々から見ればたいそうピュアなんです。しかしそれでも帯には「大人のための恋愛小説」とか書かれている。なにが大人かといえば、お互いにお互いの恋愛感情を隠しながらも薄っすら察しあっている感じがあるからでしょうか。とはいえ駆け引きをするわけではなく、どちらかといえばストレートに気持ちを伝えたいとお互いに望んでいそうなのに、なかなかうまくいかなくて試行錯誤する姿が微笑ましく、好感が持てる。
友だちのいないアン
第23章で手紙による愛の告白を受けたアン、でもここで変なふうに恥じらったり逃げ出したりすることは決してしない。むしろ冷静に、真摯に、ウェントワースの気持ちに応えることを態度で示す。
チャンスをのがしまくっているわたしにとってアンは共感できる…と最初書きましたが、この場面を見るとむしろアンは、自信をなくして仲良くなりたい人から逃げ出してしまうわたしなんかとは全然違う。相手の気持ちをむげにすることなく、人間関係を築ける立派な人だなあと感心します。
まあフィクションだからといえばそれまでだけど。でも自分を愛していると言ってくれている人に、同じように真剣な気持ちを示して返すことは、ほんとうは誰にでもできる簡単なことではない、と思います。
その後、アンが自分の部屋でしずかに幸福をかみしめるシーンも良いですね。
幸福でのぼせ上がっているときに、危険を避ける最善の方法は、その合間に、真摯な態度で感謝しながら瞑想に耽ることだろう。そこで、アンは自分の部屋へ行き、感謝しながら喜びをかみしめているうちに、心が落ち着いてきて、不安が収まった。(p.475)
アンは人格者として描かれ、異性からはまあまあモテているわりに同性の友だちが少ないのですが、このように一番はしゃぎたいときに誰とも感情を共有しようとしない場面からも、友だちの少なさがうかがいしれますね。真にうれしいことは自分の中だけにとどめて、周囲には高揚感を抑え冷静に見せるのが、彼女にとって「最善の方法」なんですよ。
こういう過ごし方をしていると、秘密主義とみられたり、本音を明かしてくれない人と思われ、確かに友だちは増えにくいかもしれない。しかし現実にそうして社会的な自分=理性的なアンのペルソナを守るのが「最善」なのだと自分で自分を知っているのです。
どうしてアンがこういう性格になったのか? と考えると、答えは家族にあるかもしれない。アンの理性的な人格を強調するかのように、アンをとりまく人たち(とくに血縁の姉妹と父親)の我の強さといったらない。既に結婚した妹のメアリはものすごくわがままで、ひがみっぽく、隙あらば家で子どもの世話をすることから逃れて遊びたがり、間の悪いタイミングでアンにひっついてくる。(もしかすると当時のジェンダーロールゆえに苦しい思いをしていた人という見方もできるのかもしれないが、本編の中ではメアリのわがままで空気の読めない面が揶揄されるような調子で強調されている。)
父親や姉エリザベスはいわずもがな見栄っ張りで、貴族の称号に目がなく、細い血縁にすがって大して交流もない子爵夫人のとりまきになろうと必死。どうしてこの家族にアンのような人が…? と思うものの、みっともない父と姉の背中を反面教師に、わがままな妹の面倒をみて育った結果でしょうか。読者としてはこの姉妹が全員幸せになってほしいみたいな気持ちが1ミリもわかないので、小説の筋がとっちらかることはないのは安心。
アンが1度目のプロポーズを断ったのは正しかったのか?
さて、この命題です。ウェントワース大佐との仲が復活する結末を知ったからこそ、正しかったと言える、というのもわかる。でもわたしは、たとえウェントワースがルイーザや他の女と結婚するのを傍観するはめになったとしても、アンはそれはそれでよかったと肯定できる人間だと思います。
ウェントワースが財産を作るかどうかは以前には分からなかったことだし、むしろアンと別れた悔しさがあったからこそ、彼は金を稼ぐ仕事に邁進できたのかもしれない。それにメアリーみたいな我が強いくせにひがみっぽい性格だったならともかく、アンはこのエリオット家の一員とは思えないほど冷静で、客観的な判断力に長けている。ルイーザの件もしかり、他の人が悩んでいるときにさりげなく決断の後押しをするようなコメントをする場面も見られる。
ウェントワースへの想いを引きずって、当時としては若くなくなってしまったということはあるけれど、縁談の話は全くなかったわけでもない。実際ベンウィックやウィリアム・エリオットなどこの短い期間でも引く手数多だったので、ウェントワースより素敵な出会いだってあった可能性もある。まあ、それは別としてそもそもチャールズの縁談は自分の意思で断っているし、アン自身は別に結婚できなかったことそのものを後悔しているとか、レディ・ラッセルのせいで幸せになれなかったと恨んでいるような場面も全くないですよね。
1度めのプロポーズを断ったのはレディー・ラッセルの説得もあったのだろうけれど、最終的にはアンが自分で判断した結果だったのだろうと、わたしは思います。あるいは、当時は若かったために年長者の判断をまるごと信じたのだとしても、その後の数年の期間に自分自身のなかでも考えを固めて決断を正解に「していった」のではなかろうかと。
人生の岐路に立つ決断がいつもそうであるように、何が正しいのかは決断したその時にはわからない。ただ、その後の人生に決断を正解にするよう「調整する」ことはできる。その後の行動によってでも、考え方によってでも。アンがウェントワースと結婚していようと、他の人と結婚することになろうと、独身のまま年老いていたとしても、アンはその決断を自分の力で正解にできる人。わたしはそう思っています。
