耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

好ましからぬオリーヴに寄り添いたくなる『オリーヴ・キタリッジの生活』

これは再読。同著者エリザベス・ストラウト『私の名前は、ルーシー・バートン』が最近文庫化され、ポチったのが届くまでの間に読み返したのだが、前よんだとき以上にしみじみと沁み入ってしまった。たぶん年を重ねるごとにより沁みる本になると思う。

アメリカのメイン州にあるクロスビーという小さな街に住む、オリーヴ・キタリッジという女性が40~70代のいる風景を描く短編集だ。ふしぎなことに、オリーヴがメインとして登場しない(どころか、だれかの会話や頭の中にほんの一瞬のぼるだけ)という短編もいくつか収録されている。だが、通読してみるとこのオリーヴ・キタリッジの人となりや佇まいみたいなものが浮かび上がってくるような本なのだ。

オリーヴの人生にも、住む街にも、ものすごく劇的な事件や華やかな出来事はあまり起こらない……俯瞰してみれば。でも、これをひとりの人間の人生というふうに見たときに、ただごとではすまないような出来事はいくつもあり、どうにもやり場がなく何年も何十年も内心でくすぶり続けているような感情は、あるものだなということをしみじみと思ってしまう。そういったものを抱えながら、老いて、なお孤独と向き合うことにもなるのだなと……。

特に今回の再読で印象深かったのは、オリーヴと息子の葛藤である。息子クリストファーの(1人目の)結婚相手がオリーヴからすれば鼻もちならない、まあいってみれば今風の独立心の強めな女で、自分と夫が丹精こめて用意した息子夫婦の住居をさっさと売却してしまう。その上離婚した息子は実家に戻ってくることもなく、大都会ニューヨークに移り住んで子持ちの女性と再婚する。

たぶんこのあたりって、前読んでいたときにわたしは息子目線(あるいは息子の妻目線)だったと思う。いい年して独立したと思ったのに、母親が自分の住む家をわざわざ用意するだなんて鬱陶しいことこの上ない。そもそもこのオリーヴという人が、たしかに自分の母親だったらちょっと付き合いにくいと思うかもしれない……と感じさせる人柄なのは確かなのである。(ちなみにこのオリーヴの人柄に関する「匂わせ」がちょっと面白くて、彼女のエピソードを重ねるだけでなく街の人からも「オリーヴ・キタリッジみたいな妻を持った夫が気の毒」的な感想を持たれる箇所が複数回ある)

だけど今のわたしはどっちかといえばオリーヴ目線だった。自分自身にも息子ができたことが大きいと思う。オリーヴは他人からすれば付き合いにくいけれど、彼女なりの善良さみたいなものをもって他人への思いやりを示そうとする人間だし(むくわれることが少ないにせよ)、彼女なりの情をもって夫と付き合いつつ、時には夫に秘密をもったり、逆に夫の内心の秘密を見て見ぬふりをしたり……。そして息子が全く自分の期待通りの行動をしないと分かっていても、やっぱり期待してしまったり、そばにいてほしいと望んでしまう気持ちも、なんだかわかる気がする。

「迷惑だと思われても、やってあげたい」みたいな感情、あるよね……。そして、「やってあげたのだから、むくわれたい」という感情も。まあこれは決して好ましくはない、と再三自分に言い聞かせつつだが、でも、そういう感情が浮かんでしまうのは自然なことでもあるよな……ということを、オリーヴの生きざまを遠くから眺めるようにして読みながら、思ったのだった。

 

 

こういう老女の孤独を書いた小説にまた出会いたいなあ。そして孤独に暮らす人間は歩いたり走ったりするものなんだなあ…(ここで村上春樹を思い出した人は挙手してください)。