耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ひねくれた青年が探す人生の意味とは? - サマセット・モーム『人間の絆』感想

生まれながらに抱えたコンプレックスに加えて幼いころに父母を亡くし、少し…いや、結構かなりひねくれて育ったフィリップという青年の半生記。エピソードがいくつも連なっているタイプの構成なのだが、切れ味のいい短いセンテンスに、残酷なまでの皮肉が次々と繰り出される。

物語の最初で両親を亡くしたフィリップは10歳。10代を覆う暗澹とした学生生活。親類や恩師への反抗心からオクスフォード行きを断ってパリへ行き画家を志してみたり、自分をなげうつような恋愛に文字通り身も心もすり減らす20代。

ある程度歳を取った作家が青春を活写しようとすればある程度理想主義的になるのは仕方ないと思うところ、モームは意識的にそれを避ける……どころか、若者が青春に夢を見て幻滅するのは、青春を通り過ぎた人間が美化して懐古するせいだとまで明言する。そして有言実行とばかりに、フィリップの初恋を徹底的に情けなくて、滑稽で、ばかげたものとして描くのだ。モームのそういう語り口を好むわたしのような読者は、現実の人生ってそんなものだよねと少しの安堵とさびしさを噛みしめる。

 

語り手は主人公フィリップの視点に寄り添いつつ、より神の視点に近いので、若くて未熟な彼が気づいていない他人の欠点にもたやすく気づいてしまう。フィリップの人生にももちろんきらめくような瞬間はある。自分を認めてくれる友に出会ったり、心を通じ合わせられたとき。でも読んでいてうっとりしそうになった瞬間、語り手の辛辣な一言でそのムードはあっというまに切り裂かれ、頬を叩かれたようにハッと目が覚める。

そしてフィリップが成長するにつれ、フィリップ自身が語り手の目線にどんどん近づいていく。語り手はきっと人生を俯瞰した彼自身だ。フィリップ本人こそ、他人の欠点ばかりに目がいってしまう辛辣で残酷な人間なのだ。

 

さびしがりやで一人ぼっちの僕ちゃんは何度も夢をみる。若いからこそ理想をかかげる。それなのに、現実のありのままの姿と向き合うたびに嫌なところばかり見て、これが現実なのだとひねくれている。本当にいやなやつだ。

だけど彼が自分自身について理解していくにつれ、読者も彼のことを理解していく。孤独で哀れな青年が一生懸命にもがいている。やさしい目で見てあげたいとは思わないが、他人事とも思えない。わたしだって他人を嫌な目でみていながら黙っていることはいくらでもある。そしらぬふりして笑いながら、内心でひねくれたことを考えていた覚えがない人っているのかな?

 

そんなひねくれたフィリップだが、自分なりの視点で社会を見つめ、自分自身、人生の意味について真剣に考える。その軌跡を知っているから、彼が出した答えにわたしは感動した。そして彼の成長にも。食べるものも寝るところもないどん底の貧乏生活、まわりが見えなくなった情けない恋愛の失敗(しかも何回も…)、あまりにもあっけない友人たちの別れ、医師免許を取る過程で見たさまざまな貧困と死…。

若い時のフィリップはひねくれていて、さびしがりやのくせに斜に構えた嫌なやつ、と思っていたけど、これらの経験をとおして自分の短所を個性といえる特質に変化させた。他人を辛辣に見る癖は、世界や他者をありのままに観察する客観性とユーモアのセンスに。いわば「丸くなった」といえる。こういう彼の成長の描きかたが実にあざやかだ。

人生には意味などなく、盲目の運命の玩具にすぎない。だが精緻に織り込まれた絨毯の模様のように、どんな模様だってあっていいし、どんな模様を描くかは自分次第…。そんな人生観に胸がいっぱいになる。

自分しか存在を知らないからといって、自分が死ねば消えてしまうからといって、その美しさは少しもそこなわれるわけではない。

この思想が作風の全体を貫いているから、わたしはなんだかんだモームを読み続けているんだよな。

 

↓本筋に全然関係ないけど、自分以外に同じこと思っている人いたんだ!と感動したせりふ。