耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2021年8~9月に読んだ本

最近のようす

赤ちゃんのいる生活にも慣れて、我が子かわいさで胸いっぱいの今日このごろ。といっても、いまだに夜中に2回も3回も起こされ、さらには深夜2時に抱っこゆらゆら1時間させられたのに10分でお目覚めとなり、大のおとなが眠すぎて号泣するという日もありました。しかし、おおむね平和です。

育児をしていて気づいた自分の思考の傾向についてもいろいろブログに書きたいのですが。たとえば、続きが気になる漫画を読んでいる期間はストレスを感じにくいとか。Twitterの育児アカウントは役に立つし精神的な慰めにもなるけど、よその家庭の愚痴を読んでいると他人の不満をインストールして、自分が不満でない自分の夫のことまで不満に感じてしまうとか。親の自分がつらい思いをすればするほど、子が幸せになるかのような気がしているけど、それは錯覚だと気づいたとか(ラクできるならラクした方がよい)。

しかし育児をしているととにかく物理的に腕が足りない。わたしにあと2本腕が生えたらもっとブログを書きたい。しかし今はひそかに赤ちゃんの成長を日記に記録するので精一杯です。

 


ロン・リット・ウーン『きのこのなぐさめ』

長年連れ添った夫を突然亡くし、受け入れがたい悲しみの淵にあった著者がきのことの出会いによって精神を回復させるまでのエッセイ。きのこオタクと化してあっというまに鑑定士の資格を取得した著者は、そもそもノルウェイに留学して現地の男性と結婚したマレーシア人である。間口が広く奥深いきのこの世界の解説ばかりでなく、各国の食文化(すごくきのこが食べたくなるレシピ付き)や、死を受け入れる過程にかんする文化の比較にまで話題が広がるのが興味深い。そして著者が故人と誠実に、愛情深く向き合ってきたからこそ、きのことの出会いは必然であったし、死者との対話も可能となったのだ、と思える結びは胸に迫るものがあった。
読了日:09月12日

 

シャーリイ・ジャクスンまつり

以前読んだ『ずっとお城で暮らしてる』が面白かったシャーリイ・ジャクスン。どちらかというと後味の悪い話が多い気がするのだけど、なんだか夏場はそういう話が読みたくなるし、なんとなくハマってしまってまとめ読み。


『なんでもない一日』 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)

短編集と思いきや、途中からエッセイも所収されているという不思議な構成。ゾワゾワする短編から、毒っぽいユーモアのある育児エッセイまで、「たとえすぐそばに暮らしていても、他人とは何を考えているのかわからないもの」という思想が根底にありそう。善人のふるまいが実際は悪意や冷酷さと裏表だったり。いわゆる「意味がわかるとこわい話」みたいな趣もあり。

エッセイを読んでいると、実体験が短編のヒントになったのか?と思わせるものもある。たとえば『フェアチャイルドの思い出』は、購入した録音機を絶対に返品したい筆者VS絶対に返金したくない百貨店の郵便のやりとりをユーモア混じりに綴ったエッセイなのだが、これはアパートの部屋の又貸しの又貸しのそのまた又貸しをネタに書簡体で書いた短編『インディアンはテントで暮らす』の元ネタになったのかなとか。それにしても、シャーリィ自身もかなりクセの強い人物だったのではと思う。
読了日:08月01日

 

『丘の屋敷』 (創元推理文庫)

こちらはシャーリィ・ジャクスン代表作と思しき長編。超常現象の「調査」のためにいわくつきの古いお屋敷に集められた男女4人が遭遇するあれやこれや…という古典的な設定。屋敷で出くわす怪奇現象も相当怖いのだが、それよりも出色なのは主要登場人物のうちの1人のアラサー女性が徐々に屋敷に「取り込まれて」いくその過程の心理描写である。彼女がそうなるのが自然であると匂わせる状況設定も巧みだ。病気で精神不安定な母親の看護に青春を奪われ、母が死ぬと既に30代になっていて家庭にも社会にも居場所はなく、ただこの先の茫漠とした数十年の人生が目の前に横たわっている。はっきりとは書かれていないが、舞台設定となったのはおそらく1940〜50年代で、そのころの女性の立場を考えると絶望感は深かろうと思う。地味で他人とのコミュニケーションに自信のない女性が「みんなの輪に入れて嬉しい」けど、はしゃぎすぎてないかすぐに不安になったり、憧れているはずの華やかな若い男女を敢えて蔑んで見ようとすることで自分のプライドを保とうとする惨めさであったり、どこか自分にも覚えのある心理描写が痛恥ずかしい。彼女はラストに向かって坂道を転がるように異常な精神状態に転落していくのだが、その不安定な情緒のどこからが異常でどこからが正常なのか分からないと思わせられるのがめちゃくちゃ怖い。
読了日:08月15日

 

『処刑人』 (創元推理文庫)

うまく周囲に溶けこめず、肥大した虚栄心とそれゆえにこじらせた劣等感を抱えた女子大生のナタリー。文章からはどこまでが妄想でどこまでが現実なのかがわざと曖昧にされているせいで、ナタリーの願望や承認欲求みたいなものが、明記されないのにもかかわらず、読者の解釈によって浮き上がらせられる。それがこの著者の作風らしくて面白い。ただ『丘の屋敷』や『ずっとお城で暮らしてる』に比べると冗長で退屈な部分もあったように個人的には感じてしまった。といっても文庫解説には謎かけの「徴」が無数にあると書かれており、単にわたしがそこに気づくほど読みこめていないだけなのかもしれないが。

『なんでもない一日』所収のジャクスンのエッセイを読んだ後だったので、彼女の主婦としての私生活を知っているのといないのとでも、小説から受ける印象は変わるんじゃないかと思う。特にナタリーの母親が、自分のような主婦になってほしくないと娘に何度か言い聞かせるのだけど、娘のナタリーはそのあたりのメッセージがいまいちピンときていなさそうなのがリアルだった。若くてまだ自分自身のことも、将来もまだはっきり見えていないタイミングで、自分がこの先「女」であるがゆえにぶつかる透明な壁のことまで警戒していられない、という感じには覚えがあるなあと。そしてそれが分かっていても娘に自分の希望を投影せずにいられない母親の気持ちもわかる…。

シャーリイのエッセイでも、自分以外の家族全員に当然のごとく「使われる」立場の主婦という存在について、愚痴にも自虐にもなりすぎずに淡々と、ユーモア混じりに書いているのが好きだった。絶版になっているらしいけどエッセイ集をもっと読みたいなあ。
読了日:09月18日

 

ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論 (星海社新書)

「書けない」悩みを共有するところから始まり、いかにして書くかを実践する4人の著者たち。長年「書く」ことを生業にしているような人でもこのように書くことに苦しみ戸惑い続けるものなのか、という純粋な驚きがある。一般人でブログ書いてるだけのわたしでも共感したり参考にできるような、そのレベルで苦しんで工夫を凝らしたりしているんだなあ…書くことのプロでも(いやプロだからこその苦悩なのかもしれないが)…という発見があり、ちょっと元気づけられる。欲を言えばもっと年齢性別家族構成がバラバラの書き手の「哲学」を聞いてみたかったけど、それだとトークがこんなに盛り上がらないか…。

読了日:08月23日