年末に引越しをしたので、ダンボールにしまいこんでいた本たちを本棚に収めるとようやく「じぶんの部屋」という実感が湧いてきた。本屋さんにも行けていない最近、物理的に目の前に本があることで読書欲が湧いてくるものだなあと思う。
多和田 葉子『ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前』 (講談社文芸文庫)
多和田葉子作品の、ことばに脳をくすぐられる感覚というか、普段使っていない部分を刺激されるような感じが心地よい。この小説に関しては解説で、文学のクィア性という言葉で説明されていて目が開かれる思いがした。ここでいうクィアとは性愛の志向に関する定義ではなく、言語の国境を超え、性差をも超えていこうとする文体の試みを指しているという。
この本は短編集だが、既存のジェンダー規範や性愛に関する思い込み(それも、無意識に我々が後ろめたさを抱えている)に対して疑念を抱くことを唆す作品を軸に編んでいるのかなあと思った。その結果、読んでいるわたしは自分が抱えている後ろめたさの根源に向かって、少しずつ糸を手繰り寄せることになる。
読了日:11月07日
多和田 葉子『百年の散歩』 (新潮文庫)
こちらはよりエッセイのような趣きに近く、書き手はドイツの街を逍遥し、その中で浮かんだ想念が書き留められていくという体裁を取る。文章の中でことばが知恵の輪みたいに引っかかり、つながり、連想されていくうちに知らない場所に連れて行かれている感覚は、言ってみれば一人で散歩をしているとき、歩調とともに思考が回転して勝手にどこかをふわふわと漂っているあの感じに似ているのかもしれない。
そしていつまでも現れなかった「あの人」は本当にはどこまで深い関わりのあった人なのだろう。その実体さえ抽象的なまま、確かな決別を描いてみせる。というと不思議だが、それは実のところ、わたしたちが日常的に頭のなかで行っていることでもあるのだ。
読了日:11月29日
小川 洋子『口笛の上手な白雪姫』 (幻冬舎文庫)
読んでいると気持ちが落ち着くので定期的に読みたくなる小川洋子さん。社会のなかで評価されそうな、いわゆるクリーンで多数派の価値基準からはこぼれ落ちた人びとに、やさしくおだやかなスポットをあてる。紡がれる美しい文章は当然のように「ここにあなたの居場所があるんですよ」と示してくれるようで。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役を演じている福井晶一さんがお気に入りだという小川さんが、彼から着想を得て書いた短編『一つの歌を分け合う』も所収。文芸誌に掲載されていたときから気になっていたので読めてよかった。
読了日:12月09日
ソナーリ・デラニヤガラ『波』 (新潮クレスト・ブックス)
津波で夫と子ども、実の両親を失った女性が、セラピーのため記した記録。薄闇の中を行きつ戻りつするかのような精神状態が率直に、克明に書き留められた文章。直視することすら耐えがたい残りの人生という現実を受け入れるために、この文章を書くという行為と、長い長い時間が必要だったと感じられる。
彼女がそれまでの人生で得ていた記憶は、ときには喪失感を呼び起こすが、ときには陽だまりのような安らぎを作りだす。大切なものを失ってもそれまでの人生が失くなってしまうわけではない。彼女がそうして乗り越える力を得たことは慰めだと思える。
読了日:12月28日
恩田 陸『七月に流れる花/八月は冷たい城』 (講談社文庫)
久々の恩田陸。奇妙な謎を謎のまま、スピード感のある物語の流れに身を任せる読書の楽しみを味わった。それにしても今年この作品が文庫化されたのは狙ってのことなのか…明かされる真相がいやに現実味と実感を伴って感じられてしまうのだから。
読了日:12月30日
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読んだ本の数:5冊