耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

オーディオブックはじめました

年始早々、労働時間が長い。さらに最近引越しをしたので、休日も細々と家事をしたり、慣れた土地でないので心が休まらない。

引越しにより勤務先まで近くなったのはよかったのだが、電車に乗っている時間が短く、徒歩の時間が長くなったため、通勤時間を充てていた読書の時間が短くなってしまった。おまけに電車に乗っても以前より混雑しており、本を開くのもままならない。かばんから本を取り出したと思ったらすぐ駅に着いてしまい、ゆっくり本を読める環境ではない。

そこでオーディオブックを導入することにした。以前ネットの記事から興味を持ってお試しのつもりでダウンロードしたものの、私の生活の中に「脳が空いているのに手が空かない」という時間が存在しなかったためにそのまま放置していた『天地明察』があったのだった。

結論からいえば、ぼんやり通勤しているよりは本を聴いていた方が良い。何もない時間にみずからなにかを創造できるほどの才は私にはないからだ。したがって凡人は手の空いた時間にインプットを行うことで人生の時間を消費する。

しかしながら、紙の本を読むのに慣れた身体には不都合もある。最たるものは漢字が変換できないことだ。「それはおぬしの知識とリテラシーの不足であろう」と言われれば平伏して恐れ入るしかないのだが、しかし未熟者に知識とリテラシーを授けることこそが読書の効用の一つでもある。せっかく江戸時代を舞台にした小説を読んでいるのに、独特の言い回しや現代ではあまり使われないような漢語を、駅の雑踏の中で聞き逃してしまうのは惜しい気がしている。

また、オーディオブックという新しい媒体に対する慣れが必要だと思うこともある。たとえば読む速さ。最初は1倍速で聴いていたのだが、どうにもまどろっこしい。細かいことをいちいちクドクドと解説する筆者だなあという印象を抱きかけたところで、はたとそれは違うと気がついた。そもそも一定の長さを持つ文章が、細かいことを丁寧に語るのは当然である。当ブログもネット上の文章としてはなかなかクドクドしている方であるからして、私は細かいことをクドクド語る文章がむしろ好みなのである。要はクドクドと語っている文章が問題なのではなく、それを摂取するのに時間がかかりすぎているのだと気付いた。プレイヤーの再生速度を1.5倍速にしてみる。体感ではだいぶ速くなり、目で紙の上の文字を追うときの速度にほぼ等しくなったと思う。

とはいえ、目で本を読むときは常に一定の速度で進み続けているわけではなく、ときどき本から顔を上げて考え込んだり、言葉の遣い方を吟味したりする時間もある。語られる情景の美しさ、ある場面にさりげなく挟み込まれた一文の技巧の妙に感心したり、単純な文字の並び、活字フォントの形状に陶然となることもある。そうした咀嚼の時間がなく、次々と頭の中にことばが流れ込んでくるので、やはりこれは通常の読書体験とは似て非なるものだと言える。

しかしながら、こうしたデメリットも承知した上で、本を開くことができない時間を有効に使えるオーディオブックはとても助かる存在だ。明朝も続きを聴くことを楽しみにしながら眠りたい。