耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2015年の読書メーターまとめ

2015年の読書メーター
読んだ本の数:86冊
読んだページ数:27614ページ


あけましておめでとうございます。
読書メーターで昨年書いた本の感想メモをまとめました。

後から振り返って記憶のよすがにするため、できる限り読んだ直後に感想を書いています。そのせいか、文体や語り口調のテイストが影響を受けていたりして、ちょっと面白くもあり、恥ずかしくもありという感じ。
読書メーターは字数に物足りなさを感じることもある一方、字数に助けられて、感じたことをある程度まとめられるという側面もあります。
読後のもやもやを、無理にでも書き残しておいたほうがいいのか、言葉にしないまま熟成させておいた方がいいのかというのは、迷うところではありますけれども。

読む場所はだいたい、電車の中、カイシャの昼休みに自席で、休日のカフェ、ベッドの中。
マイルールとしてお風呂では読まないと決めてます。仕事でPC、趣味で読書、だらだらタイムにはスマホ、という日常なので、さすがに目を休めた方がいいかなと思いまして。

ときどき本屋に行って目についたものを片っ端から買い、部屋の机の上に積読しておいて、目についた時に手に取るという読み方をしています。
根拠はないけど、この「積読して一定期間熟成する」というのが自分にとっては大事な気がしています。
だいたい、はずれないです。今出会うべくして出会った!と思えるタイミングで読めてると思います。




▼1月 ----
審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)感想
突然審判に巻き込まれて戸惑う主人公K以上に、読者も最後まで混乱の渦の中にいる。私たちが現実だと思っている場所が少しずつずれて、いつのまにか別の場所にいることに気づくといったような。私たちは起こった物事に何か意味を見出そうとするけれども、そんなものはどこにもないのか。あるいは、『掟の前』の男のように、すべてが終わるそのときまで、それを知ることはないのかも。
読了日:1月3日 著者:フランツカフカ
洋子さんの本棚洋子さんの本棚感想
読みながら、自分が子どもだったころのことを思い出しました。これまでどんなふうに物語に触れてきたかということを。それは本に限らず、クラスメイトの語るこわい話のようなものまで含めてです。それから、洋子さんたちの年代に至るまでに私がどのように人に触れ、物語に相対していくのかということにも思いを馳せてわくわくしました。挙げられていた書籍のほとんどが未読だったので、これから読むのが楽しみ。それにしても、第一刷発行の日付より先に読み終えた本というのは初めてです。
読了日:1月4日 著者:小川洋子,平松洋子
わたしがいなかった街で (新潮文庫)わたしがいなかった街で (新潮文庫)感想
今ここにいるわたし、たとえばあの日祖父が広島にいたとしたら、存在しなかったはずのわたしがいる。美しい光景に感動するのは同じようで、考えていることはそれぞれちがっている。だれにでも話しかける人もいれば上司にすら聞きたいことをうまく聞けない人もいる。わたしが初めからいてもいなくても街はきっとなにも変わらないのに、わたしはここにいて、どこかの街ではいたかもしれないわたしが次々といなくなっている。単純な言葉で表してしまえば、ひどく陳腐になる事柄を、こうして表現に換えるのが文学というものか。と思った。
読了日:1月7日 著者:柴崎友香
雪と珊瑚と雪と珊瑚と感想
生きるのに必要な示唆をシンプルに与えてくれる本。食べること、眠ること、自分以外のなにかを慈しむこと。他人へ悪意を持たないでいるためには、そのことを志向し、努力しなければならないと思う。でも、それだってだれかの感情である以上、別に常に罪となるわけではないのかもしれない。親切も愛情も蔑みも憎しみも、受け止める人間の心持ち次第で何にでもなりうるのだから。主人公の珊瑚は、自分の中の感情を客観的に整理することに長けているひと。ひとりで生きているような気がしたとき、迷ったとき、折に触れて読み返したいと思う。
読了日:1月25日 著者:梨木香歩
さかしま (河出文庫)さかしま (河出文庫)感想
ひたすら自分の愛する文学や芸術のみに身を浸す。金銭に糸目をつけずに趣味に走ったインテリア、香水や珍奇な植物のコレクション。社会と折り合いをつけることを拒絶し、人を避けて生きるのはある意味理想ではありますが、根底にあるのは自己愛に尽きる。永遠に孤独でいようとする限り、いかに博識で教養があろうと、人は空虚でしかいられないのだな。
読了日:1月31日 著者:J.K.ユイスマンス


▼2月 ----
錦繍 (新潮文庫)錦繍 (新潮文庫)感想
本書の語る生命観、人のなす業というものを、どうも今の私の未熟さでは腹の底から実感することができていない。いかに挫折も苦労も知らずに生きてきたことか、目の前が真っ暗になるような、壺が割れてしまったような出来事に遭遇することなく、今まできたのだと思い知る。生きるがゆえにままならぬことがあるとして、それは時間を掛けて浄化するほかない。主人公二人は手紙という形でそれを為している。受け止め、吐き出し、影響しあう、そのやりとりを通じて、徐々に目の前がひらけていく。人の縁、言葉を尽くして語ることの力を思う。
読了日:2月3日 著者:宮本輝
頭のうちどころが悪かった熊の話 (新潮文庫)頭のうちどころが悪かった熊の話 (新潮文庫)感想
好き。シンプルでユーモアを含んだ物語のなかに自意識の芽が光っている。どの話もいとおしくておもしろかったけど、ハテの話が一番好きかな。「ぼくが目をつむりさえすれば、世界はなくなる」
読了日:2月7日 著者:安東みきえ
星が吸う水 (講談社文庫)星が吸う水 (講談社文庫)感想
真剣に、性と欲望に向き合っている主人公だった。多くは考えもしないこと。身体ははじめから与えられたものであり、考えるようになる前に始まっている。自分でも気づかないうちに目に見えないものに縛られて苦しんでいる女の子というのはよくいるので、当然のように受け入れている価値観とルールを疑うのは、自分を解放する一つの方法だと思う。でも、作中で指摘されているように、頭で考えると辿り着くのは「理想論」になってしまうし、それこそ「脳に強制されて」する行為ということにしかならない。実践抜きの言葉で表現するのは難しい話だけれど
読了日:2月7日 著者:村田沙耶香
ひらいて (新潮文庫)ひらいて (新潮文庫)感想
たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても。この主人公の女の子の、心に描く風景は美しい。クリームソーダみたいな海の泡、湖の底で砂を舞い上げて沈む手鏡。けれどなにより、暗闇をまっすぐに突き進むパワーがすごい。邪魔者はなぎ倒し、踏み越えて彼女はゆく。怖くても不器用でも、本能をたよりに。すべての少女がそうであるように、彼女もほんとうは知っているのでしょう。そのまま走り続ければいつか自分が「うすべったくなって、」「ゼロ」になることを。だからこそ、走り続けている。
読了日:2月10日 著者:綿矢りさ
暗い旅 (河出文庫)暗い旅 (河出文庫)感想
主人公のあなたはかれとの間に一種独特の、かけがえのない愛の形を作り出すことで自分のかたちを見出そうとしたのだろうか。そしてかれの喪失によってあなたの意志はみずから書くことへと向かう。小説の中に「縫いこまれている」作者お気に入りのことばの刺繍を、宝箱に大切にしまっておきたい気分になる。あなたの逍遥はまるで自分の居場所を求めて彷徨っているかのようだった。でもそう感じたのは、読み手である私自身がそうであるからなのかもしれない。なぜなら、読んでいるあいだに限っては「あなた」はわたしになるからだ。
読了日:2月11日 著者:倉橋由美子
気分上々 (角川文庫)気分上々 (角川文庫)感想
だれもが一度は味わう人生の哀しみや大小の挫折を乗り越え、前向きな気分になれる短編作品集。ユーモアにあふれたテンポのいい文体は『アーモンド入りチョコレートのワルツ』や『ショート・トリップ』を彷彿とさせます。しかし過去の作品と比べて、素人目ながらまとまりがよくなり、ストーリーがより美しく収束していると感じました。一番お気に入りだったのは『ブレノワール』。周りに当たり前のようにいてくれる人の愛を、見過ごさずにいたいと思えるような作品です。
読了日:2月15日 著者:森絵都
世界の果て (文春文庫)世界の果て (文春文庫)感想
ご本人の解説にもあるように、作者の不安定さというか抱えている暗さと、それをさらけ出してしまったことによって生じるさらなる歪みに読みながらこちらが心配になってきますが、そこは物書きのプロなのでありました。『月の下の子供』、『ゴミ屋敷』、『世界の果て』はいずれも非常に印象的な情景が用いられており、ぞっとするほど冷たくどうしようもなく孤独な風景が、目の前に浮かぶような描写は流石でした。
読了日:2月25日 著者:中村文則
冥土めぐり (河出文庫)冥土めぐり (河出文庫)感想
語り手が近しい人間をじっと分析し、当の本人も自覚していない感情をすくい上げる場面が多い。自分でもなにを思ってそうしているのか分からないものを可視化する装置が言葉なのだ。一方で収録2作品の主人公いずれも、自分の過去を、物語を語ることができない恐怖に襲われるシーンが用意されている。だから、二人のコンプレックスが克服される終結にはほっとした。なにかの寓話であるかのように現実感に欠けた物語なのに、しっかりとした手触りのようなものが感じられるこの文章を『色の付いた夢』と称した解説も素晴らしかった。
読了日:2月28日 著者:鹿島田真希

▼3月 ----

西の善き魔女 (7)  銀の鳥 プラチナの鳥 (角川文庫)西の善き魔女 (7) 銀の鳥 プラチナの鳥 (角川文庫)感想
アデイルよりもずっと年下だったころに読み、憧れていた空気感を思い出し、筋書きをすっかり忘れていたことに驚いた。何度も楽しめてお得。 今読むと、この架空世界の下敷きには現実の宗教と風俗があったのだと分かる。我々はどこからきてどこへゆくのか。少女たちの疑問にロマンで答える物語には時間を忘れてのめり込める。強くて勇敢なヒロイン、キャッチーな台詞を携えた脇役、そして散りばめられた少女漫画のエッセンスが、壮大な物語の一端に命を吹き込む。ちなみに私も、昔から絶対にティガ派でした。
読了日:3月9日 著者:荻原規子
センセイの鞄 (文春文庫)センセイの鞄 (文春文庫)感想
恋とは、こんなにすてきなものだったのですね。初めはふたりの友情を描いた物語に終始すると信じていた私が、読後にそんな感想を抱いたのに自分でおどろきました。うつろう人の気持ちというものを、直截な表現を用いずに書くというすばらしさ。だからこそ、すなおな言葉がしみ入ってくる。恋愛小説を読むとき、主人公の注ぐエネルギーに上手くコミットできないと、なんだか目の前の川の流れをただぼんやりと眺めているような気分になってしまうのですが、この作品はとてもていねいに、一文一文を大切にたぐりよせながら進んでいくことができました。
読了日:3月11日 著者:川上弘美
寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)感想
どんな喪失であっても、そこに寄り添うものがあればいくらか救われることもあるのだろうかと思った。その逆も然りだけれど。私たちのすぐ隣にあるかもしれない闇も歪みも、かけがえのないもののように感じさせてくれるのが小川さんだ。
読了日:3月17日 著者:小川洋子
想像ラジオ (河出文庫)想像ラジオ (河出文庫)感想
被災もしていなければ誰かを喪ってもいない。実感として語ることもなければ、行動を起こす術も勇気もない。私がそうであっても、思うことはしていていいのだと思った。第四章に書かれていたことは素直に腑に落ちた。大切な人を亡くすのではないかという恐怖はふとしたときに浮かんでくるもので、もしそんな経験をしたら自分はどうなってしまうのだろうというのも想像するしかできないのだけれども。救いも悲しみも含め、私が生きているのは、過去の死者から今につながる、目に見えないなにか大きなうねりのようなものの一部なのだと思った。
読了日:3月21日 著者:いとうせいこう
少女のための秘密の聖書少女のための秘密の聖書感想
正しいことと正しくないことを教えているのが聖書の物語なのか。そうだとしたら、その境界線など流動的なものだと思う。聖書が書かれた時代と今という視点で比べても。本書を読み、神はほとんど人間に似ていると思った。暴力的なまでの権威を手にしてしまった人間。そこに見出すものは、信じるもの自身にゆだねられていると思えばいいのだろうか。自分なりの聖書の捉え方を構築するにはもう少し勉強する必要がある。聖書以外の「少女」のパートは、著者による「新約」なのではないかという気がした。
読了日:3月21日 著者:鹿島田真希


▼4月 ----
新ハムレット (新潮文庫)新ハムレット (新潮文庫)感想
さまざまな思考が胸に浮かんでは消え、ことばにするそばから矛盾していく。ものを思う速度とことばの速度はいつだって一致せず、双方がこんがらがって、つんのめって転ばないのはピアノ線の上に立つようなものであり、技術と精神力を磨かなければ実現できない。太宰治の円熟期の作品を読んで思い知らされた。また、彼もこういった作品を書けた時期があったのだと安堵もした。筆迸る勢いを感じる中期の作品集。
読了日:4月6日 著者:太宰治
魔法飛行 (中公文庫)魔法飛行 (中公文庫)感想
思ったより、軽くは読めないエッセイだった。日々のウェブ連載をまとめたものとのことで、当然ながら書く側のリズムが節ごとに異なっており、CDアルバムというよりは短いフレーズを集めたMDのような。まとまった一冊として読むより、少しずつ、偶然開いたページをじっくり見つめるような読み方のほうが適しているのでしょう。しみこむような共感も、他人からはよくわからない感情の流れも、文章を追うだけで心地よい。
読了日:4月6日 著者:川上未映子
風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)風と共に去りぬ 第1巻 (新潮文庫)
読了日:4月30日 著者:マーガレットミッチェル

▼5月 ----

風と共に去りぬ 第2巻 (新潮文庫)風と共に去りぬ 第2巻 (新潮文庫)
読了日:5月2日 著者:マーガレットミッチェル
直観を磨くもの: 小林秀雄対話集 (新潮文庫)直観を磨くもの: 小林秀雄対話集 (新潮文庫)感想
対話形式で小林秀雄氏のものを観る目の一端に触れ、知的に刺激される感覚。直観とは、頭でっかちになるより手を動かし使いこんでいくことで磨かれるということなのかな。今となってはすっかり時代はデジタルだけれども、だからこそ、なまものや寓意でない個のもつエネルギーのようなものを、尊重すべき世の中なのではなかろうか。はっとさせられるところがありました。
読了日:5月7日 著者:小林秀雄
風と共に去りぬ 第3巻 (新潮文庫)風と共に去りぬ 第3巻 (新潮文庫)感想
ずっと名前だけ知っていたこの作品。スカーレット・オハラがこんなにも現実家で、強くたくましいヒロインだなんて知らなかった。南北戦争の戦禍を経て、〈タラ〉の主として地に足を付けて立つスカーレットは、岩にかじりついてでも生に執着する、自立した人間の普遍的な姿の美しさを示してくれる。私自身は内面世界にこもり、現実を直視する強さを持たないアシュリのほうにむしろ共感を抱くけれども。戦争がもたらすのは傷病と飢餓。そして人々の命だけでなく、その中に灯るはかなくも熱いものを奪い去っていく。
読了日:5月12日 著者:マーガレットミッチェル
迷宮 (新潮文庫)迷宮 (新潮文庫)感想
中村文則さんの作品を定期的に読むと精神が安定する。簡潔ながら研ぎ澄まされた文章。現実社会の中で私が目を逸らし続けている闇をあからさまにしながら、向き合う勇気を与える。ミステリ小説のような構成には少し驚きました。
読了日:5月13日 著者:中村文則
真昼なのに昏い部屋 (講談社文庫)真昼なのに昏い部屋 (講談社文庫)感想
信条としているもの、"わたしを見張っているだれか"が移ろっていくことで、その人の生活や生きる世界まで変わってしまう。たったひとつの出会いで目がひらかれることがあるのだと思った。美弥子さんは、元々ご近所さんにどう思われるかよりも自分の中にいる正義のだれかの目を良心とするような人だった。ジョーンズさんと出会ったことは幸か不幸か、いずれにせよ、なるべくしてなったように感じられる。
読了日:5月15日 著者:江國香織
しょうがの味は熱い (文春文庫)しょうがの味は熱い (文春文庫)感想
妙齢の知人が二言目には結婚と口にするのを他人事のように聞いていたのはつい先頃、最近SNSは結婚報告の嵐。「自然に、とてもスムーズに」事が進めば申し分ないのは承知の上だけれど、結婚してしまえばうまくいっていない関係さえ魔法のように好転するのではないかとすがる思いを抱いてしまうのはわかる。ただ、そうまで極端だった奈世の言動が変化したのも、書かれていない「2年の月日」があったためなのでしょう。恋愛も結婚も私の人生で輪郭を取るのはまだまだ先のことになりそうですが、奈世とともに私も少し考えることができた気がする。
読了日:5月21日 著者:綿矢りさ
馬のような名字 チェーホフ傑作選 (河出文庫)馬のような名字 チェーホフ傑作選 (河出文庫)感想
表題作が気になって気になって手に取りました。しばらく積読していましたが結果的には大好きな本でした。喜劇のような悲劇。想いのすれ違いによる不協和音が胸に刺さり、温度のない森の中の雪道に一人で置いてけぼりにされたような読後感。しかしそんななかで『学生』は特別美しく、晴れやかな気分になる作品でした。
読了日:5月26日 著者:アントン・チェーホフ
七夜物語(上) (朝日文庫)七夜物語(上) (朝日文庫)感想
大人になってから読む児童文学は、当然ながらあのころの目線とはまるで位置がちがってしまっているのを感じる。冒険する本の中の子どもたちはどうしてあんなに機転がきくのだろうとか、友達に物語の世界の話をしてもわかってもらえない気がしたこととか、なつかしく思い出される。それから、大人になった私よりもずっと真摯な目で他人や社会を見ていたことも。
読了日:5月28日 著者:川上弘美
善き書店員善き書店員感想
書店についてはいろんな切り口で語られることは多いけれども、実際の社会はそんな「面」で見ることのできるものでもない。いろんな過去や想いを抱えた人が、手を動かしながら、重層的に、立体的に構成している、現在進行形で息づいているものなのだと思った。町をつくる一部として書店という役割があって、その中でまたそれぞれの人が日々を積み重ねているということ。「残す」手段として長めのインタビューを経た文章も新鮮だったし、ノンフィクションであるのに著者の意図的な誘導が極力削がれている点も読んでいて心地よかった。
読了日:5月30日 著者:木村俊介

▼6月 ----

風と共に去りぬ 第4巻 (新潮文庫)風と共に去りぬ 第4巻 (新潮文庫)感想
スカーレットやメラニーたちが生きていたのがもしも現代だったらと考えてしまうけれど、いや、たとえそうであっても、誰もがそれぞれ「己のなすべきことをする」だけなんだろう。自分の求めるものを取るために手段を選ばないスカーレットは、村八分にされ一見孤立しているようだけど、実は同じ時代に彼女を見守り、支えている人が必ずいることに思い至る。
読了日:6月3日 著者:マーガレットミッチェル
かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)感想
トレープレフの叫びは若さでしょうか。でも、いつの時代にもあるものだと思う。新しいものを求め、既成社会の壁にぶつかった若者。戯曲は心理描写の詳しい小説よりも、主人公以外の個々の人物の背景に思いをめぐらせる余地が多いと感じる。トリゴーリンにも若かりし頃はあったはずで、吝嗇家のアルカージナとて息子を愛していなかったわけではなかったでしょう。ただ分かり合うことができず、言葉が通じあわなかっただけ。ラストは、『ワーニャ伯父さん』の方が好き。恵まれて、大した労苦もなく生きる人よりも、挫折を経てなお生き抜く人が魅力的。
読了日:6月5日 著者:チェーホフ
時間のかかる読書 (河出文庫)時間のかかる読書 (河出文庫)感想
読むのに時間をかければかけるほど「読むほうの私」が変容していくことに気付く。著者は11年もの間、連載の執筆のたびに毎度全篇を読み直していたというからその忍耐力はすごい。『機械』は、どことなく暗い雰囲気の漂う閉塞感の強い小説だけれども、閉じた空間における人々が織りなす喜劇的な要素こそがこの作品の本質なのではないかと思った。私が今までさらりと読み流してきた小説というものが、これほどまでに微に入り細を穿つ「批評的読み」に耐えうる芸術作品だったことに気付かされる。
読了日:6月8日 著者:宮沢章夫
ボヴァリー夫人 (新潮文庫)ボヴァリー夫人 (新潮文庫)感想
冒頭にいたはずの「僕たち」は、一体どこへいったのか。今回新訳を担当された芳川氏の解説で少し謎が解けたように感じました。この解説ではフローベールの文体"自由間接話法"について述べており、たいそう興味深く面白いです。第三部で二頭馬車をひたすら走らせる場面が、初出で削除されていたというのもおどろき。直接的なことは何も書かれていないのに、ここで二人の間に激しく何事かが行われたことが暗示されるのです。比喩や形容がふんだんに使用された熱っぽい文体の一方で、どこかコミカルで人間くさい登場人物たちにも愛着がわきます。
読了日:6月18日 著者:ギュスターヴフローベール
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)感想
たとえ彼女たちのような立場におかれていなかったとしても、若い時に人が自分に対してする問いかけはどれも似かよっているでしょう。いずれはみんないなくなるのに、なんのために今があるのか。ありきたりな私たちの日常の中でさえ、多くのものが日々失われていきます。奪っては与え、信じ、思いやってはすり減らし、行き違い、波風が立つ。あらかじめ決められた目的地があるとして、重要なのは到着地ではなくその道程。あらゆる繊細なバランスそのものを構築した、美しい細部を持つ小説だと思います。まるで作中でトミーが描いた絵のようにです。
読了日:6月20日 著者:カズオ・イシグロ
日の名残り (ハヤカワepi文庫)日の名残り (ハヤカワepi文庫)感想
自分の生き方を選択するとき、そこには必ず属する集団のバイアスがかかっています。答え合わせは実行した後にしかかなわない。直後かもしれないし人生の終わる頃になるかもしれない。たとえどんな答えが待っているにせよ、そうでしかありえなかった人生を、その終幕にどのように受け入れられるか。そこでもまた"品格"が問われるのではないでしょうか。自分が重要と感じていることを行動によって示せるのは誇り高い人です。でもどんな人であっても、気づかずに大切なものを見過ごしてしまうことはあるものなのでしょう。
読了日:6月25日 著者:カズオイシグロ
風と共に去りぬ 第5巻 (新潮文庫)風と共に去りぬ 第5巻 (新潮文庫)感想
これほど多面的で奥行深く、波乱万丈な読書になるとは。どんな重荷を肩にのし掛けられても乗り越える強さを持ったスーパーウーマンのようなスカーレット、すべてを理解していながらも常人の理解を超える信念のもとに愛情をそそぎ続けたメラニー。愛されることを激しく求めていたのにすれ違いを続けるレットとスカーレットが対峙する場面はどれも、読みながら自分の心臓の鼓動が大きくて震えだしそうでした。物語の力というものを改めて思い出させる作品で、続編を望む気持ちも浮かぶのですが、やはりこのラストでしかありえない、と思います。
読了日:6月28日 著者:マーガレット・ミッチェル
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)感想
訳者あとがきで、イシグロさんが影響を受けた作家にチェーホフを挙げていると知り、なるほどと思いました。当事者にしてみれば泣き笑いするしかないような、でもはたから見れば喜劇に見える。とりわけ『降っても晴れても』は会話文の勢いもユーモアセンスもラストシーンの切なさもお気に入りでした。五篇の短編集で、共通のテーマと雰囲気とに統べられており、いずれもどこかわびしいしとしと雨のような余韻を残す作品です。
読了日:6月30日 著者:カズオイシグロ
マクベス (新潮文庫)マクベス (新潮文庫)感想
想像以上に緊迫した場面の連続。全くの初読のため、主人公よりも夫人の心理の方へ意識がいきました。彼女にしてみれば手紙から読み取ったのは夫の決意表明にすぎず、一体魔女など信じていたのか。彼女の行動は夫を支える忠誠心か、あるいはなりふりかまわぬ上昇志向にすぎないのか。しかしひとつの罪を発端に「あれほどの血が」流れると思わず、第五幕に至っては人が変わったように錯乱を見せ、悔恨を口にするのです。舞台ならばどれほどの迫力があることでしょうか。
読了日:6月30日 著者:シェイクスピア

▼7月 ----

ねじの回転 (新潮文庫)ねじの回転 (新潮文庫)感想
これはどこか奇妙な雰囲気を持つ邸に雇われて精神的に追い詰められた家庭教師の妄想なのか?確かに、この家庭教師がどんな人物なのかわからないがゆえに、彼女の独白、彼女の思考の起因が辿りづらいところはある。しかし解説にあるように、著者が意図したのが読み手によっていかようにでも形を変える亡霊の影を書くことだったのであれば、亡霊たちは神の対極に位置する悪の権化とすることもできるし、あるいは早熟な子どもたちが背伸びをして手にしようとしている、大人から見れば醜いばかりの大人らしい賢しらのようなものの象徴かもしれない。
読了日:7月3日 著者:ヘンリー・ジェイムズ
ランチのアッコちゃん (双葉文庫)ランチのアッコちゃん (双葉文庫)感想
ん~柚木さんやっぱり面白いなあ。都合よすぎるでしょ!なんていうツッコミをはさむ隙もないテンポの良さで読ませ、エネルギッシュに駆け抜ける。もしかしたらこういう本の方が売れるのかもしれないけど、もうちょっとブラックなところまで書き込んである柚木作品のほうが好きだなあ。
読了日:7月7日 著者:柚木麻子
ラブレス (新潮文庫)ラブレス (新潮文庫)感想
「ものごとをありのままにとらえられる人間が小説を書く」という言葉を思い出しました。人生の成功や幸福っていったいなんだろう。懸命に進んでたどり着いた先だけが人生なのではなくて、その道のりの、一瞬一瞬の積み重ねもまた人生です。行き止まりに突き当たっても壁に手をついて、這いつくばるようにしてでも立ち続ける。そんなふうに矜持を保つ女の生き様は否応なく胸を打ちます。
読了日:7月9日 著者:桜木紫乃
ちょうちんそで (新潮文庫)ちょうちんそで (新潮文庫)感想
これからの人生よりも過去の方が重くて長い人の、起伏のない物語を開いている時間がこれほど心地よいのは、そこが孤独な世界ではないからでしょうか。過去を開く扉は日常のそこかしこに転がっていて、つらいはずの思い出さえ時には慈しむことができる。読んだ本が自分の一部になっていくように、過去にあった人も物も、全てが自分になっていく。
読了日:7月11日 著者:江國香織
桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)感想
どことなく浮世離れした三人姉妹。希望や憧れの中に生きていた若い時代はいつしか終わりを告げて、現実の中で自分をすり減らし、働いて働いて生きていく。時代背景に明るくないことが悔やまれますが、作中でヴェルシーニンの語る未来の姿が一筋の光明となって物語を照らしているほかは、常に身体の芯が冷えているような物寂しさを覚える作品でした。夫の末路を知ったイリーナが労働への献身の決意を述べるところには胸打たれましたが、一方で私にとっては兄の妻ナターシャの存在だけが奇妙に生々しくリアリティを伴って感じられました。
読了日:7月11日 著者:チェーホフ
椿姫 (新潮文庫)椿姫 (新潮文庫)感想
いったいいつかは女が金のことで打算せずに生涯の伴侶をきめるのが当たり前の社会が実現するものでしょうか。若いときはよくたって、りっぱに身を立てて生きていきたいと思えばお金がいるものなのは男も女も変わりはしません。本書の主人公二人には皮肉なことだけれど、労働したお金が自分のぜいたくにも、愛のためにも好きなように使える身分がどれだけ幸せなことかとしみじみ思ってしまいました。 どちらの版を読もうかと迷った末、装丁の素敵だったこちらに。
読了日:7月14日 著者:デュマ・フィス
動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫)動物農場: 付「G・オーウェルをめぐって」開高健 (ちくま文庫)感想
性欲と同等に権力欲を人間の計り知れない欲望の種類と据えていることにはっとします。種の存続を指向するという点においてこれらは本当によく似ています。頂点に至ったその瞬間から転落を始めるというところも、それを実行している者にとって自分が何をしているのか、その瞬間には全く自覚的になれないところも。『1984年』を読んだときに得た言語観、それはある種の信頼のようなもので、生身の人間から発せられる言葉というものだけは他者の支配によって完璧に統率することができないという思いです。
読了日:7月20日 著者:ジョージオーウェル
冬虫夏草冬虫夏草感想
ゴローがかわいい。飼い主と雁首をそろえて蝦蟇の様子を見守るゴロー、茅野を揺らし、縫うようにして一心に駆けてくるゴロー。ほとんど散策のような、気ままな綿貫の旅に引き締まった指針を与えるだけのことはあって、徳の高い、よくできた犬なのだ。やはりできるやつなだけあって、山の中でも引く手あまた、あちこちで人望を集めているが、綿貫との友情にも篤いところがまた心にくい。なんといとおしいのだろう。綿貫の人柄、山中に住まう者たちとの距離感は心和むし、植物の描写もゆるやかな旅に彩りを添えている。
読了日:7月21日 著者:梨木香歩
朗読者 (新潮文庫)朗読者 (新潮文庫)感想
彼は個人的な恋愛経験と、初恋の女性の許されざる過去を混同しているかのように思えます。しかし、戦後のドイツという時代に生きていてはむしろ、その二つを分けて考える方が難しかったのかもしれません。人生において、行動のすべてに余すところなく責任を持つことは誰にも不可能だと思います。許されないこともあれば、いつまでも答えのない、学ぶことのできない過失もある。裁きの「公正さ」が何の役にも立たないようなことも。ミヒャエルが裁判官に真実を伝えるかわりに、朗読という行動をとったことは彼にとっての一つの答えなのでしょうか。
読了日:7月21日 著者:ベルンハルトシュリンク
とにかく散歩いたしましょうとにかく散歩いたしましょう感想
優しさ、愛情、慈しみが文章の端々に表れています。小川さんの本を読むたびになんて小さくささやかなものを見つけ出すことに長けた人なんだろうと思うのですが、その視線が日常の卑近な場所に移されればなおさら強調されるようです。うっとりするような美しい文章も、思わず吹き出してしまう愉快な文章も、本書に書かれた通り言葉の奥深さを追求し続けているからこその産物なのでしょう。「右クリックして保存」の手軽さが習慣づいてしまった私には、全ての感動を内部に蓄積する小川さんの生き方には身が引き締まる想いがします。
読了日:7月25日 著者:小川洋子
あまりにロシア的な。 (文春文庫)あまりにロシア的な。 (文春文庫)感想
大統領候補が暗殺され、地下鉄の入口に貧者が野鳩の群れのように屯する不安定な政情をよそに、文学全集の枝葉末節について討論する文学関係者たちのコントラスト。コラージュという形式を取ることにより、多面的な当時ロシアの表情が抽象絵画のように浮かび上がってくる。レーニン廟の内部についてマレーヴィチの絵画との共通項を指摘した箇所はエキサイティングだった。著者がロシア語に堪能なのは当然といえば当然なのだが、ロシア人たちのウォッカの飲みっぷりに着いて行くばかりか冗談合戦にまで負けじと加わっていくのだから凄い。
読了日:7月28日 著者:亀山郁夫

▼8月 ----

金閣寺 (新潮文庫)金閣寺 (新潮文庫)感想
美とは対極にある我こそが美を滅することができる、という自意識を私は理解することができません。私にとっては完璧な美というものがそれほどまでに人生を、世界を支配するものではないからです。これほどまでに自らの非凡さ、突出した何者かであるという意識を持って青春を過ごすことのできる人間を羨ましくすら感じます。内部の暗黒を克服しようとするその意思そのものがまず純粋で、ひどく眩しいと思うのです。
読了日:8月1日 著者:三島由紀夫
小説の読み方、書き方、訳し方 (河出文庫)小説の読み方、書き方、訳し方 (河出文庫)感想
「読み方」の章で引かれる小説のほとんどは国内外問わず未読で勉強になりました。読んでからでないとピンとこないような記述も多かったのでもう少し読書範囲を広げたいですね。一方、読み手として"世代が違う"と、読み方も変わって来ることがあるのだと初めて意識することもできました。「書き方」「訳し方」は完全に未体験ゾーンですが、目には見えないものや不定形となったなにかを書き手や訳者が媒体のようになってテキストにするという考え方はよく読んでいる内田樹さんや小川洋子さんの考え方にも通ずるところがあり、興味深かったです。
読了日:8月2日 著者:柴田元幸,高橋源一郎
聖書のなかの女性たち (講談社文庫)聖書のなかの女性たち (講談社文庫)感想
遠藤周作が弱いものに向けるまなざしは優しい。その原点が聖書にあったことを思い出させる本書は、キリストが思いやり、寄り添った女性たちのエピソードを平明な語り口で紹介する。マルタとマリアのエピソードについての記述では、長年納得がいっていなかったキリストのマルタへの態度が腑に落ちた。実のところ社会に出てから、私自身傷つけ傷つけられるのはキリストに諭される前のマルタのような言動なのだ。マグダラのマリアのキャラクターを想像したり、ピラトの妻の夢を細部まで描写するなど、作家の創造性にも改めて心動かされる。
読了日:8月4日 著者:遠藤周作,亀倉雄策
文学のレッスン (新潮文庫)文学のレッスン (新潮文庫)感想
丸谷さんの膨大な読書量、慧眼に圧倒されるばかりでなく、対談なのにすっきりと論旨が明朗なのが素敵です。詩はあまり読まないのですが、翻訳された外国語の詩に対する違和感について、やはり音が失われては分からなくなるのも当然だなあと納得。演劇の祝祭性という話題にも頷きました。挙げられた書籍に対しておもしろい・おもしろくないというのをハッキリおっしゃるので、かえって読みたい本が増えるばかり。聞き手の湯川さんの後書きは、偉大な文学者の逝去によって胸にぽっかりと穴の開いたような感覚を、しみいるように感じさせる文でした。
読了日:8月6日 著者:丸谷才一,湯川豊
ジキルとハイド (新潮文庫)ジキルとハイド (新潮文庫)感想
ほとんど慣用句のようになったこの一組の名前。ミステリ仕立ての構成は、ストーリーの真相を知らずに読んでいたらきっとゾクゾクするような愉しみがあっただろうなと思うと残念な気もしますが、たとえ結末を知って読んでいても、終章のジキル博士の独白には彼の苦悩をしのばせる、鬼気迫るものがあります。ハイドのことを"彼"と呼ぶはずの博士が、独白の中でジキルを指すときにも三人称"彼"を使う箇所が二度ほどあったのも面白かった。このとき、ジキルもハイドも客観視した、二人のうちのどちらでもない"私"は一体だれなのでしょうか。
読了日:8月7日 著者:ロバート・L.スティーヴンソン
白鯨 (上) (角川文庫)白鯨 (上) (角川文庫)感想
百科事典みたいな冒険小説。といっても、471ページかけてまだ出発して間もない。とりつかれたように鯨について、捕鯨について、背景を語り尽くそうとし、入り組んだり視点が替わったりする文体に時折辟易しそうになるけれど、漠然と先の見えない、来る日も来る日も同じ風景の続く遠洋への航海を語るには、こうした語り口しかないのかもしれないとも思う。夜に鯨の汐噴きを描写した場面は美しかった。
読了日:8月11日 著者:メルヴィル
月と六ペンス (新潮文庫)月と六ペンス (新潮文庫)感想
ストリックランドの絵がこの世にないことが信じられない。でもその代わりに、この小説がある。栄光よりも真実を追い求めた、架空の画家の生涯を描いた物語。芸術と世俗社会は切り離せないが、この画家はおそらくそうあることを目指していた。純粋な精神の表現としての芸術を。彼の死後、最後の傑作が失われたことで、彼の哲学は完成に近いものをみたと思われる。最終章、彼が捨てた最初の家族を描写する語り手の眼差しはアイロニーに満ちている。この後おとずれる戦禍を予感させ、いかに芸術であっても、持つ力と持たない力があるのだと思う。
読了日:8月11日 著者:サマセットモーム
ピスタチオ (ちくま文庫)ピスタチオ (ちくま文庫)感想
私たちには見えないきわめて精神的なもの、なんと呼べばいいのかわからないけど、それを霊魂と呼ぶのだとすれば、個々の明確な区分のない、液体のように不可分のものになるのかもしれません。そして循環する。現実世界からわずかにずれた位相にある、けれど現実に寄り添った何らかのものの求めに応えて、物語は生まれるのだということを、再度ゆっくりと考えていきたいと思いました。本書を読みながら、『裏庭』を思い出していました。
読了日:8月15日 著者:梨木香歩
ベロニカは死ぬことにした (角川文庫)ベロニカは死ぬことにした (角川文庫)感想
意味なんてないのに、見つけようと思うほど人はそれを狂気だと考える。見つけたり待つようなものではなくて、作り出すことをしなければならない。多くの人は気が付かないままに受け入れてしまうし、分かったとしてもその頃にはだいたい、青春時代が終わっている。ひとりぼっちで生きるのなら、生きる意味を探そうとする必要はないのだ。
読了日:8月20日 著者:パウロコエーリョ
野火 (新潮文庫)野火 (新潮文庫)感想
恐いと思うのは飢餓の果てに人が人の肉を口にすることそのものではなかった。極限にあっても人を求め、いずれは見捨てあう仲間であってもなぜか群れようとする。しかし生きるために自分を食べるかもしれない者を同胞と呼ぶことはできない。そうして真の孤独の中へ落ち込んでいく。偶然に頭蓋骨を割られていなければ、田村はもしかして人を殺して食べていたかもしれない。生命の発展よりも神の支配と重視するのは田村自身の哲学であったはずが、それが現実を追い越したように思われるのは幻想でもなく彼の想念であり心理の働きだったのかもしれない。
読了日:8月25日 著者:大岡昇平

▼9月 ----

二都物語 (新潮文庫)二都物語 (新潮文庫)感想
気まぐれで、流されやすい大衆はつねに本能に忠実に行動する。正しく生きようと努めない人などいないはずなのに、いつの時代にも、どこの国でも、大衆の正義が悲劇になり替わってしまうことがあるのは、人の世の続く限りあきらめるほかないのでしょうか。他人の血を見るよろこびが愛をも上回ってしまう人は、信念のもと安らかに血を流す人よりもずっとあわれなものです。彼らは、自分で自分が何をしているのか、わかっていないのでしょう。
読了日:9月2日 著者:チャールズディケンズ
レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (1) (新潮文庫)感想
ミュージカルにはまり、原作へ。劇では時間制限のためにカットされていた背景の事情、登場人物の一挙手一投足、ジャン・ヴァルジャンの内面の葛藤が、まるで憧れのスターを目前にしたときのように心を直接つかみ、揺さぶってきます。ヴァルジャンが、司教にもらった燭台を売らずにとっていたという記述には胸が熱くなりました。そしてなんといっても、裁判までの終りのない葛藤。「彼がドアの外において、中に入れまいと思ったものは、入っていたのだ。彼が目隠ししようと思っていた相手は、彼を見つめていたのだ。それは彼の良心であった。」
読了日:9月6日 著者:ユゴー
早稲女、女、男 (祥伝社文庫)早稲女、女、男 (祥伝社文庫)感想
柚木さんの面目躍如たる1~5章に対し、きっと最終章は書くのがしんどかったんじゃないかなと思う。なんといったってこの「早稲女」は泥臭さと青春の恥の結晶みたいな女の子だから。私自身は、関西で大学時代を過ごしたこともあり、本書の"女子大生の擬人化"は人間カタログみたいな感覚で楽しめた。このなかのいずれの女子の中にも自分の姿を見つけられるのがキャラクター設定の妙。華やかに見える他人の外面を羨んでみても、一皮むけばみんな同じみっともなさを抱えた人間なんだと思えるのだ。
読了日:9月7日 著者:柚木麻子
レ・ミゼラブル (2) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (2) (新潮文庫)感想
鍛えすぎたスーパーヒーローはいつしか凡庸な人々とかけ離れ、傲慢さのなかへ身を落とす。弱者を無意識下で見下すようになるのはヒーローの弱さなのです。ところが新しいピンチに身をさらされ、自分の他にずっと偉大な存在のあったことに気付き、その心はより真摯に清められる。少年漫画のような筋書きに、19世紀という時代背景を思わせる筆者の思想を織り込みつつ、あくまで筆者は「無限が主人公」と言い切ります。無限とは本質であり全体である普遍的なことを指しています。人によっては神であり、祈りの向かう先であり、真理の在処であるもの。
読了日:9月13日 著者:ユゴー
レ・ミゼラブル (3) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (3) (新潮文庫)感想
マリユスの精神は純粋で尊く、極貧でもその清らかさには磨きがかかるばかり。ただ、恥や劣等感を認められずに殻に閉じこもったり、ただ視線を交わすだけの初恋にわき目もふらず焦がれている姿は面はゆく、いまにも通ずる若者の姿です。ユゴーが若いころの自分をモデルにしたという話もあるらしいけれど、執筆当時50代後半だったと思われるユゴー自身の姿をそこに見ると思うと余計に微笑ましい思いがします。第三部も息もつかせぬストーリー展開は変わらず、終盤に颯爽と姿を現わすジャヴェールは登場から立ち回りまで強烈なインパクトでした。
読了日:9月19日 著者:ユゴー
人形の家(新潮文庫)人形の家(新潮文庫)感想
第一幕ではいかにも軽薄に見えるノラである一方、働いて生きがいを得た親友に対抗心を燃やしていらぬ口を滑らしてしまうところなど、自立の芽、人間としての矜持が垣間見えて上手いなあと思う。昭和28年に書かれた解説にはすでに「女性解放論のごときは今日からみればもはや陳腐の問題であり」とあるものの、相変わらずある人がだれか別の人を「人形」扱いにする、あるいは大衆が個人を「人形」にするようなことは平然と行われているのではないでしょうか?
読了日:9月19日 著者:イプセン
ジゴロとジゴレット: モーム傑作選 (新潮文庫)ジゴロとジゴレット: モーム傑作選 (新潮文庫)感想
サマセット・モームは面白い。彼が「ほんとのことを言う」からなのか。気取りも見栄も言い訳も、何もかもすっかり見抜かれて、ユーモアで味付けされて並べ立てられる。語り手に皮肉な目で見られているのがわかっていても、止めることはできない。そして登場人物に対してそうであるように、読者に対しても一定の距離が置かれている。生ぬるいコメントをしようとすれば、冷たい目で見られている気がする。安全地帯で高みの見物をしている観客に一瞬照明のライトがかすめるときのような、ひやりとする感覚がクセになる。
読了日:9月23日 著者:サマセットモーム
ティファニーで朝食を (新潮文庫)ティファニーで朝食を (新潮文庫)感想
この小説の主人公であるホリー・ゴライトリーという女性も、その華やかで空っぽな暮らしぶりも、もちろんティファニーでの朝食も、 私にとっては遠くかけ離れたところにあるきらびやかなものに思える。なのに、彼女のいう「いやったらしいアカ」のことがよくわかるのは不思議だ。「腰をすえることのできる場所が、すなわち故郷よ。私はそんな場所をいまだに探し続けているのよ」。表題作他四編収録の短編もすばらしくよかった。手の届かない夜空の星を見つめるときと似て、とうの昔に失ったものと向き合う時間は悲しい。
読了日:9月24日 著者:トルーマンカポーティ
白鯨 (下) (角川文庫)白鯨 (下) (角川文庫)感想
読み終わったいま、ただ寂しい気がする。クィークェグも、タシテゴーもスターバックももういない。スターバックだけが恐れを口にし、たぶん彼だけが生き延びるのに必要なことを予感していたのに。結末まで読んでようやく、イシュメールが人類の英知を総動員し、鯨の全てを語り尽くそうとしていた理由がわかった。エイハブの銛が執念という狂気であったように、イシュメールの筆もまた執念だ。そして鯨を語る言葉をこれほどまでに獲得しようとも、それに打ち克つことはできないのだ。
読了日:9月26日 著者:メルヴィル

▼10月 ----

レ・ミゼラブル (4) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (4) (新潮文庫)感想
第四部に出て来るのは老人と若者。溌溂とした若者たちの切れ味鋭いやりとりを楽しむ一方で、老人たちが最晩年を陰鬱と過ごす描写はいかにもあわれです。人が不幸になるのは貧困や社会的弱者であるためだけではありません。金はあるのに、人生の最晩年に至っても最愛の甥と心を通わすことができなかった老人。大切な蔵書を全て売り払っても薬が買えず、革命の動乱の中へ自ら身を投げることを選ぶ老人。死に方にその人物の誇りを表そうとする点には著者の思想や時代の空気が反映されているように思います。
読了日:10月7日 著者:ユゴー
レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)レ・ミゼラブル (5) (新潮文庫)感想
実際のところ現実はこうもうまくは運ばない。人は義務をかなぐり捨てて自分の幸福にすがりつき、善行は忘れられ、愛しても理解されず、誤解されたまま死に、秘密は死体とともに墓場へ葬られる。ジャン・ヴァルジャンの正義はこうした現実的な人間性の対極にある。確かに、彼の善行は社会変革を及ぼすこともなく、ジャン・ヴァルジャンの死とは世界からささやかな良心の火がひとつ消えることにすぎない。しかし彼の撒いた良心の種は、彼が生涯で唯一生みだした商売品の宝玉のように、人の心に明かりを灯しながら世界中に散らばっていくのだ。
読了日:10月16日 著者:ユゴー
女ごころ (ちくま文庫)女ごころ (ちくま文庫)感想
「女ごころ」とはよくできたことばで、身勝手でわがままな愚かしいふるまいも、コケティッシュでかわいらしい愛嬌の一片に変換してしまうよう。この物語の主要人物のうち上流階級に属する三名にとっては、たったひとりで人生に立ち向かった若き難民の孤独など理解の範疇外。彼の起こした事件すら人生におけるちょっとしたスパイス程度の意味しかもっていないところは痛々しい。軽妙かつ小粋な男女のやりとりはもちろんこの作品の大きな魅力だけれど、社会の明暗を冷淡に捉えるモームの眼差しにはどうも皮肉っぽさを感じてしまう。
読了日:10月17日 著者:W・サマセットモーム
恥辱 (ハヤカワepi文庫)恥辱 (ハヤカワepi文庫)感想
文学の講義が縮小され、"コミュニケーション学"がとってかわる時代。肌に馴染んだ社会的常識が通用しない世界で、逃げるのではなく受容する生き方。そうであっても、そうであるからこそ、芸術は欠くべからざる存在なのだと思う。愛のために、絶望しないために。白人とアフリカ人、男と女、老人と若者、父と娘。読んでいる間、様々な社会的立場の役割を演じる人々が、自分の中で入れ替わり立ち代り主導権を握っている。「あなたには私のことなど分からない」そういって線引きをすることは一見傲慢に見えるけど、全ての前提はそこにあるのだと思う。
読了日:10月21日 著者:J.M.クッツェー
とにかくうちに帰りますとにかくうちに帰ります感想
津村さんの小説は会社のお昼休みに読むのにぴったりだ。地に足をつけながら、共感させ、微笑ませ、心がほどけていくような気分にさせる。めちゃくちゃ頑張らなくてもいいけど、バランスをとりながら、それなりのお役目は果たさなければなと思えるようになる。絆なんて仰々しいものじゃなく、ひとの一番平たい部分でつながっていられれば、充分なんではないかと思う。
読了日:10月24日 著者:津村記久子
アンネの日記 (文春文庫)アンネの日記 (文春文庫)感想
オランダ旅行中、十数年ぶりに再読。彼女がいかに鋭く周囲を見据え、自分と真摯に向き合っていたことか、そしてそのすべてを紙の上にさらけ出すことばの鮮やかさ。《隠れ家》の中の狭く深いコミュニティの中でさえ、彼女の健やかな心は真っ直ぐ芯のある自我を確立し、向上心に輝くそれは、いずれ彼女自身の目指す自立した大人へ成長を遂げたであろうことを感じさせます。この『日記』がこれほど読み継がれるのは、不当に人命が摘み取られた歴史への怒りだけでなく、アンネの人間的魅力が紙の上に結集しているためでもあると思います。
読了日:10月31日 著者:アンネフランク
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)感想
愛しているくせに物分かりのいいふりをして、そんな自分を肯定しようとする。他人事だと思えばこそ憐れになるし、かっこなんてつけてるから夜に一人で泣くはめになるんだよ、と言ってやりたくもなるけれど、思い返せば身に覚えもある行動でもあるのだった。自分は傍観者に徹して、一歩引いた目で生きていくことを選ぶにしても、世の中にはいくつもの娯楽が用意されていて、それなりの疑似体験ができるものだ。必死で生に縋りつこうとする者を、楽しみ半分に傷つけるのもそのひとつ。
読了日:10月31日 著者:アーネストヘミングウェイ

▼11月 ----

アムステルダム (新潮文庫)アムステルダム (新潮文庫)感想
同じ女を共有したことから始まった友情は、憎い相手に仕打ちを施すのに選んだ手段までも一緒だった。なんて気の合うふたり。情けは人のためならず、ならば、ちょっとした悪意すらもめぐりめぐって自分に帰結する。だけどそれは堅苦しい教訓や、正義を示すための指南などではなくて、そのことすらも自分の生きた結果なら、あるいはそんな人生も肯んじたくなる。
読了日:11月6日 著者:イアン・マキューアン
華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)感想
本書に描かれるディストピア現代社会の成れの果てだと警鐘を鳴らす、そういう読み方もできるけれど、現実はそう簡単に「反知性主義」に支配されることはない気がする。楽観的すぎる考えだろうか。人文学を軽視する風潮には暗澹たる思いがする一方で、「大衆そのものが、自発的に、読むのをやめて」しまう社会は来ないような気がする。人が人の眼をみて話をする文化の続く限りは。同じ本を読んでも、心の中に新しい樹が植えられるときもあればそうでないときもあるように、人が世界をどう捉えるかによってその有り様は変わっていくのだと思う。
読了日:11月12日 著者:レイ・ブラッドベリ
オランダ絵図 カレルチャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)オランダ絵図 カレルチャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)感想
所々に挿入されている著者によるイラストは、シンプルな曲線で構成され、見ていて思わず微笑みがこぼれてきます。活字になった文章よりも、本人の手の動きが如実に感じられるイラストの方が、人柄をよく表現している気がするから面白いものです。こぢんまりとして綺麗で、余裕のある大人の国、といったオランダへの印象はチャペックの時代からいまでも変わっていないように思えます。その間にあの戦争を経ているのにも関わらず。ますます平準化されていく世界の中で、小さな国がいかにして存在感を獲得していくかという視点からも興味深い書でした。
読了日:11月13日 著者:カレル・チャペック
ホテルローヤル (集英社文庫)ホテルローヤル (集英社文庫)感想
侘しさ。かじかんで、ひび割れのできた手で黙々と働くこと。夢やぶれて、主の去った建物。自分の家が、いつのまにか帰る場所でなくなったことに気づくこと。枯れ果てて萎びた性欲。世界のだれとも、心が通じ合ってないと気づくこと。現実。ホテル・ローヤルを取り巻く人々の物語のなかで、光の筋は、見えたと思ったらまた消える。浮かび上がるのは、不平も言わずに、置かれた立場を受け入れる人々の姿。
読了日:11月17日 著者:桜木紫乃
男と点と線 (新潮文庫)男と点と線 (新潮文庫)感想
ナオコーラさんのことばは短い文でますます引き立つ。詩と小説の間のような。解説で中村文則さんがセンスを絶賛していて、その賛辞に何から何まで同意しつつ、その論理的で隙のない解説がかえって蛇足に思えてくるほどに、ナオコーラさんの言葉はそれだけで完結している。共感したのは、『スカートのすそをふんで歩く女』、何世紀か前の西洋絵画みたいなタイトルのこの短編に出てくる女の子は、まるで自分かと思うくらいに私の思いを代弁してくれた。言葉のチョイスのおかげで、世界はこんなにものめずらしく、おもしろくなる。好きだ。
読了日:11月19日 著者:山崎ナオコーラ

▼12月 ----

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)感想
個人的には、ニシノユキヒコのような男の人とは距離をおきたい。ドキドキさせられればさせられるほど、遠くから見ているだけにしたくなる。本気で跳ぼうとすればするだけ、転んだときには痛い。ニシノユキヒコにまつわる物語たちは、私の記憶の中にしまいこんで蓋をしたはずの傷痕にふれてくる。帰りのバスで読みながら涙目になり、窓の外の暗闇を見つめたりなどしてみる。『まりも』に出て来るサユリさんみたいに、ハードボイルドな精神に徹することができる「妙齢の女性」に、私もはやくなりたいものだと願う。
読了日:12月6日 著者:川上弘美
私にふさわしいホテル (新潮文庫)私にふさわしいホテル (新潮文庫)感想
なんと健全に悪意を書く人。世の中が善意と親切心だけで溢れているなんてもう誰も信じない。それでも、箱の中に最後まで残る善きものを信じさせてくれる。この人なら岩にかじりついてでも書き続けるだろう、という信頼感。読み手として目が肥えているからか、エゴサーチの成果なのか、ご自身の書いたものを見る目さえひどく客観的で的確。長所も短所も承知した上だからこそ、ここまで振りきって怒涛のエネルギーで突っ走れるのでしょう。サービス精神は本作も溢れに溢れ、実在の作家まで登場。朝井リョウの言動は一体どこまでがリアルなのか…
読了日:12月7日 著者:柚木麻子
極北極北感想
私がいつか死ぬという事実は受け入れられても、人類そのものの絶滅は、容易には受け入れられない。自分の代で人間が絶滅してしまうなんて。自分の生きた証を、世界のどこかでだれかがきっと受け継いでくれるという思いこそが、特別な意味もなくこの世に生を受けた人間たちの、たったひとつの希望だから。「私は永遠に生きて、それまでに目にしたすべての美しいものを胸に抱いていたかった。」私たちは、人類全体としてその願いがかなうように、何千年も昔から、次の世代へと贈り物をし続けてきたのだ。
読了日:12月8日 著者:マーセル・セロー
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)感想
私はつくるくんと違って、高校卒業後は実家から通える身の丈にあった大学に進学した。でもときどき、ほとんど流されるように行き着いたこの選択ともいえない選択が、正しかったのかどうか考えてしまう。村上春樹が与える答えは常にロマンチックだ。ほとんど運命論のような。多崎つくるは自分の色彩を求めてあがくことをやめた。色彩とは相対的なものだから。村上春樹の小説が売れるのは、駅の設計を通して人々を導くように、社会の一番大きな層を占めている「色彩を持たない」人間に生き方を提示するからだと思う。
読了日:12月11日 著者:村上春樹
浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)感想
後の作品ほどには、手法が文章に溶け込んでいない気がした。"英国育ちの日系作家が書いた日本"という先入観が邪魔をして、まるで語り手の主観的な視野の中にだけ存在するかのような著者独特の世界観に、なかなかのめり込めなかったこともある。読み手の問題だけれど、もったいなかった。根底に流れるテーマは著者らしく、人生の黄昏に差し掛かった人間が、おおかた主観的な回想を通してその人生の意義を見つめなおすというもので、誇りも過ちも含めて自身の生き方を受け入れようと試みる姿勢は、読む者の心に優しい光を差す。
読了日:12月16日 著者:カズオイシグロ

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