耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2024年6月に読んだ本とか

最近のようす

今月読んだ本を振り返っていて、ちょっと最近読む本が偏ってるのかな~と思い始めた。今に始まったことではないが。好きな作家もしくは、買う前から確実に好きとわかってる本ばっかり読んでいるよね。でも趣味で楽しみのために読んでるんだからそれ以上のことある? 〈確実に好きな本〉だって読みきれてないというのに……と、堂々巡りの考えをめぐらしている今日この頃。とにかく、もっと知らない作家の本を読もう。

 

読んだ本

『続きと始まり』柴崎友香

なにもしてなくて見てるだけでも、〈いる〉ということがいつかなにかの出来事になる、それがなんなのかはいつかわかるかもしれないし、わからないのかもしれないけど。

コロナ禍の日常を書いてはいてもどこまでも柴崎友香という作家の作家性にはぶれがないなと思った。何でもなくて忘れてしまうかもしれないけどただそこにあったことをふと思い出したりするその瞬間の揺らぎとか震えを捉える目線が好きだ。丁寧であり繊細でもあるんだけど、寄り添うというよりはどこか冷静で、距離はとっていても息づかいが感じられる温度感…

作家ならではのカラーやテーマをなんとなく悟るようになるまで読み続けられている人ってわたしにとってはそう多くなくて、その中でも自分にとって大切にしたいと思うことが共鳴するほど好きな作家だなあと感じる。

 

『優しい暴力の時代』チョン・イヒョン

『ずうっと、夏』

泣いてしまう。こうやってまたすぐ戻るよ、といって北と南に離ればなれになった人たちがどれほどいたことだろう。彼女たちの間になにかたやすく壊れないものがあるといい。

『夜の大観覧車』

恋に落ちた人のことをそのように書かずに恋に落ちたと分からせる技術におののいてしまう。

『引き出しの中の家』

会話がなくても、音楽がなくても、ラジオの音がなくても愛がなくても、世の中のすべての音と光が消えた場所にいても違和感のない関係なのだった。(p.188)

小さな国土にひしめきあって人が暮らして、家庭というものが物理的にも精神的にも閉ざされた場所で、給料は上がらなくて不動産価格ばっかり上がっていく、この狭い国で生きていこうとするときに躓く我々の共通点が全部詰まってるよね……

前にキム・エラン(確か)読んでたときにも住居に侵入してくる、自分のせいではない不潔さや虫という恐怖のモチーフがあったけども…そういう表象になるのって、気候風土もきっと関係しているよなあ、この暮らしに密着したじめっとした気候。

『三豊百貨店』

私のせいでこんなことになってごめんね。後にして思えば、私がまず言うべき言葉はそれだったのに。私はやっとのことで口を開いた。大丈夫? Rの瞳が静かに揺れた。(p.271)

謝るべき時に謝ることができなくて、「大丈夫?」と言ってしまった一場面が苦しくて俯いてしまう。無意識の階級意識みたいなもの、もしかすると「優しい暴力」と呼ばれてしまうかもしれないその感覚は確かにわたしの中にも芽生えるはずのもので、そのおぼえのある痛みの鋭さに。

 

『日時計』シャーリィ・ジャクスン

夏になるとシャーリィ・ジャクスンが読みたくなるんですよね。感想書いてたら楽しくなってきて記事にした↓

sanasanagi.hatenablog.jp

これであと未読の長編が『壁の向こうへ続く道』だけになってしまった。つらい。これが好きなあなたには他にこんな作品がおすすめ!というのを誰かに教えていただきたい……。ただ、わたしの場合、幻想やホラー的な要素が好きというよりは、現実によくあるひねくれた人たちを皮肉る絶妙なユーモアのバランス、そしてそのようなコミュニティが壊れていくさまを見るのが好きなんですよね、たぶん。

 

まんが

『ファッション!』はるな檸檬

全話無料のタイミングで何となく読みはじめたら止まらなくなり、深夜2時まで目を血走らせて読んでしまった……。1巻の表紙を書店などで見かけていたときは「あーこの表紙の女性みたいなイケイケ強め女がファッション業界でイケイケ強め女達に揉まれ悪戦苦闘する話なんかな?」と想像しスルーしていたんですが全然違いましたわ………。

確かにファッション業界それもコレクションに出るようなモードの最先端にいるブランドの世界が裏側ではどうなりたっているのかというのがよくわかるお話しになってはおるのですが、それ以上にカネ・DV・そしてエゴをエゴとも思わぬ人たらしという闇……が怖すぎる。絵柄がゆるかわでちょっと溶けそうなタッチなのがまた怖い。

それなのに読みすすめるにつれ、あやつられているはずの主人公と人たらしなだけで何もできない奴が実は最高のコンビネーションであるバディものでもあるということが(何故か)分かってくるのですが、そのコンビ相性を理解すればするほど応援したくなくなる、という逆説。フィクションとして読んでたのに実話をもとにしていたという話も見かけてわたしはさらに引きました……現実に……。

↑この表紙がただしい

 

ドラマ

『虎に翼』まとめ視聴

そう!今月からNHKオンデマンドに入り、朝ドラを一気にみたのです。一気に見たゆえに語る相手もなく消えそうな感想を、ここにしるす。

・優三さん

とにかく優三さんという人物をつくりだしただけで今季の朝ドラは朝ドラとしての役目は十分果たしてる。わたしは理想がフィクションの形で表現されていると泣いてしまう癖があるのですが、優三さんについては理想の男が具現化されすぎて泣いてしまった、こんな男がいるだろうか………?それが多くの人がかかわるドラマという形で具現化されてることに泣いちゃう。

そして6月最終週、リアルタイム放送まで追い付いてもまだ優三さんがいないことで泣いてた。いやでもそうよな、なんとかして戦争が終わった後の世の中を立て直していかないといけないからみんな明るくやってるけど、突然奪われた夫のことそう簡単になんて忘れられないよ。優三さんにしても、花江ちゃんにとっての直道さんにしても。

この記事の最初の方で感想を書いた『続きと始まり』という小説で、『終わりと始まり』(ヴィスヴァ・シンボルスカ)という詩集が引用されているのですが、

戦争が終わるたびに/誰かが後片付けをしなければならない

この言葉から始まる詩を思い出しながら観ていましたよ…

 

・はるさんの日記

ときには夫とのコミュニケーション手段となり、夫の危機的状況を救ってきたはるさんの日記。娘をして「私の母は優秀な人です」「私の母はまっとうな人です」と大きな声で堂々いわしめた、はるさんの立派な人格を支えたのは日記なのでしょうね。それが示される死に際のひとことが「恥ずかしいです、燃やしてください」。わたしはものすごく、ぐっときました。

いろんな役目はもってきたけども、はるさんの日記はどこまでもはるさん自身のこころを支えるためのものであったのですね。だって人に見られてはずかしいことを日記に書くからこそ、人に見られる自分をしっかりと構築できるわけなんですものね。

 

・よねさん

とにかくよねさんが好きすぎる。寅子が最初に弁護士人生を挫折するところがよねさんとの訣別という形で表現されてるところも泣いた……。よねさんはどこまでも「理想を追い続ける高潔な私」であり、寅子は「転んで地をを這ってでも現実を生きる私」。

最初に男社会を切り開いた女性のことをフェミニズムを切り口にドラマにするとき、それはどうあっても潔癖なまでに理想主義的な人であったはずがなく、名誉男性になってでも現実となんらかの折り合いをつけて泥臭くやらなければ道を拓くことなどできなかったろうと思うのですよ。ということがたぶんドラマの上ではネックになるはずで、清潔に理想をつらぬく部分をよねさんとして、それ以外の現実に愛嬌を振りまいていく部分を寅子として分離させたのかなあと。

いやそれにしてもさ、「じゃあ、私はどうすればよかったの?」「……知らねーよ」の先よ。知らねーけどさ〜さよーならまたいつか!の先にいるはずの2024年のわたしもまだよく知らねーんだよな。どうすればよかったのか。