耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

スリル・ミー 私:尾上松也/彼:廣瀬友祐 @サンケイホールブリーゼ

いつものことながら、以下ネタバレ記述がある感想文となりますので、未見の方はお読みにならないことをおすすめします。
 

youtu.be

 

今回のスリル・ミーは観られるとしたら1回だけと思っていて、前方席が当たった回で観ました。間近で観る廣瀬彼、視線の圧がすごい。ただでさえ身長の高い廣瀬彼、舞台の端に来たときには見上げる感じになるので余計に圧を感じる。そしてその先にあるのは彫刻のように彫りが深く無駄な肉のない均整のとれた顔立ち……。「彼」役の存在としてはビジュアルだけでも完璧。

演技に関してもほぼ期待どおり……というか、事前にキャスティングを聞いたときから想像していた通りの彼で。内面は空虚で幼稚なのに容姿の美しさから周囲の目が眩ませられ、だれも本質に気がついていない、自分自身でもそのことに常日頃から苛立っていて、彼のいう「スリル」はある意味世間の裏をかくための手段である、というような。

最初に視線の圧がすごいと書いたけれど、あらぬ方(じっさいには客席)を見据えることが多くてほとんどレイの方を見ない彼。ほんとうにびっくりするくらい、全然レイに興味がない。肉体的にレイに触れることはあっても何も感じていないことを隠そうともしない。ある意味せりふの言葉と腹の中に裏表のない彼であり、それがまた彼という人間の空疎さ、未熟さを示しているかのようで。

だからこそ私が彼に惹かれる理由が「身体」以外に全くわからなくて…。いや、本当、それしかないか。「私」は性欲のため、「彼」は都合良く動く手足が欲しいため。そこに情なんかなく、お互い相手を利用している。そもそもの人間性の根本は全然違うのに、物理的に長く一緒にいたせいで対人関係のスタンスに関しては似てきてしまっている。

ほんとうに見てほしい自分の本質に「私」が気づいていない、結局うわべしか見ていない凡人のレイに苛立っているからこそ「何も感じない」のかもしれないですね。とにかく彼が「私」のことを超人になれると信じている感じが1ミリもしなかった。

そんな廣瀬彼に最初に人間らしさを感じたところ、すがるように私にキスして払われた手をゆっくり握りしめる所作で、そこまでの彼と違いすぎて「えっ?」とびっくりしてしまった。だけどそこから段々ふつうの青年っぽくなっていったので、この仕草も別にレイへの想いがどうこうではなくて彼が彼自身の生にしがみつこうとしているだけなんだよな……と解釈。

自分を超人と言いたがる彼が誰よりも凡人であることを露呈した瞬間、観客は溜飲を下げることができる。今回は彼らへの哀れみも情けもわたしには感じられませんでした。

 

個人的な所感なのだけど、前よりも二人の犯した罪にたいして感じる怒りが強くなっていたんですね。前に観たときわたしは出産直後だったけど、そのときよりも子が成長して意思をもつひとりの人間(ただしとても弱い人間)として、リアリティをもって心の中に占める割合が大きくなってきたからなのかなと思う。それゆえ二人のやったことの有り得なさ、自分勝手さが生々しく想像できてしまい、気分が悪くなった。以前はフィクションはフィクションとして分けて考えられたのだけど、たぶん今は何を見て何を聞いても自分の子どもの存在に結びつけてしまう時期。なので数年内に再演があったとしてちょっと劇場で観るかは分からないな、と思った(とかいいつつキャストによっては普通に行ってるかもしれないが……)。