キム・ヘジン『娘について』
この小説の語り手である母親の思考が必ずしも他者のものであると言い切れない苦しさ。既に高齢と呼ばれる世代の人が娘に執拗なほどに血縁の家族を作らせることにこだわるのは、前時代的な価値観のほかに、老後の困窮を目の当たりにせざるをえない社会構造からくる、孤独への恐怖感も影響しているのだろう。たしかに伝統的な人生を選ぶことに幾らかのメリットはある。でもそれを他人が自分と違う生き方をしようとするのを強制する理由にしてはならない。理性では分かっていても当惑し、簡単に受け入れられないのは、わたしたちは誰もが「親子」の当事者だからだ。
読了日:05月06日
ハン・ガン『すべての、白いものたちの』
書店でぱらっとめくってみて、一目でこの本のうつくしさに惹かれて読まずにはいられなかった。生まれる前にしんでいっただれかの影を感じながら生きつづける著者。沈黙のなかで冷たい地面を踏みしめるような足音を感じる。わたしの住む土地よりもきっとずっと寒い街のこと、わたしの見たことのあるよりもずっとしろい白のことを知る。
読了日:06月25日
本谷 有希子『異類婚姻譚』 (講談社文庫)
結婚して半年、ようやくこの本を読む勇気が出た。でも、もう少し他人と暮らすという風習の奇怪さを身に染みて味わってから改めて読んだ方がいいという気がする。毎日否応なく顔を突き合わせている他人どうしが、影響し合って原型をとどめなくなっていくさまは結婚に限らず、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』でもさらっと触れられていた。これって「たまに会う昔の友人」程度の距離感の人間がもっともグロテスクさを感じる部分だと思う。わたしも早くに結婚した学生時代の友人と再会したときにぎょっとすることがあって、おそらく自分も知らぬ間にそうなっていくのかと思うと、決して悪いことではないにせよ、背筋が寒くなる思いは免れ得ない。
読了日:06月08日
藤野 可織『いやしい鳥』
著者、藤野可織さんのあやつる日本語は巧み。この文章がわたしの母語で書かれていることを実感すると同時に、わたしの普段扱っている言葉と同じ日本語であるのが不思議だとも感じる。初めてことばを与えられた人のように、名前があるとも知らなかった事象にことばが与えられていく愉悦に浸る。そこに、闇へ分け入るようなスリルと恐怖があるのは自然なことのように思える。
読了日:05月11日
アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』 (新潮クレスト・ブックス)
- 作者: アンドレイ・クルコフ,沼野恭子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/09/29
- メディア: ペーパーバック
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ペンギンと暮らす売れない小説家。ある日突然、まだ生きている人の「追悼記事」を書く仕事を請負うことになる……。カフカの小説みたいな始まりなのだが、この小説家の買っているペンギンの佇まいが小説世界の悲/喜劇性のバランスを取っているところがユニーク。
2004年の訳者あとがきでは、ソ連崩壊後のウクライナ・キエフの不安定感を反映したとしながらも、読者フレンドリーなこの小説を「社会的背景など考えなくても楽しむことのできるエンターテインメント」と評している。でも2019年の今読むと、高度管理社会の不自然な空気感に、現在の日本と相通ずるものがある気がしてならない。組織の中で歯車として働く善意の人が、そうと知らぬまま社会悪に加担していく。
ペンギンと少女の可愛さについ和まされてしまうけれど、窓の外にはこうした癒しがなければ直視できないきつい現実が待ち受けている。
読了日:06月23日
スクラップ・アンド・ビルド (文春文庫)
淡々としていてシニカルなようでピュア、内省的なようで突っ込みどころの多々ある独自の思考を繰り広げる羽田作品主人公。介護というテーマを扱うにはこの程度の距離感がある方が、わたしのような世代の、問題からまだ逃げる余地のある人間には受け入れやすい。だが、まさにこの問題から逃れられないところまで切に迫っている人が読むとどう思うのだろう。
それに、主人公の人生にもまだ先があるようで、実のところその道行きは薄暗い。傾きかけた会社への再就職はまさに彼自身が批判する、目先の幸運に安易に飛びつく行為に過ぎない。かといって長期的な視野で眺めたところで先行きが一向に晴れてこない不透明な将来を、主人公と読者は共有してしまっている。
読了日:06月25日