耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル「蜘蛛女のキス」@シアタードラマシティ

原作を読んだときには、牢獄につながれているモリーナが映画のストーリーを語る二重構造にが小説を読む喜びを味わわせてくれたという記憶がある『蜘蛛女のキス』。

そのあたりの構成が、舞台は舞台ならではの演出で表現されていて、そのままモリーナという人の内面を表現することにも繋がっているのがよかった。舞台なりの楽しみ方もできるし、舞台を観ることで小説の理解も深まったような気がする。

1幕をみたときは正直ちょっと難解だなあ〜と思ったのだけど、最後にはミュージカルらしい華やかな終わり方になっている。メインのストーリーは冷静に考えると結構つらいものなのだが、文字通り「死と踊る」エンディング、いわば宝塚のレビューのような雰囲気に救われる…。

 

個人的には最初、モリーナは石丸幹二さんのイメージではなかった。でも、たぶん全部わかっていて「私がそうしたいから」自分を犠牲にするモリーナは、石丸さんだからこそ大らかにバレンティンの狡さも計算も受け止める度量みたいなものが見える気がした。

自分を産んだ人間も殺した人間も愛した人間も、みんなに囲まれて喝采を受けながら光の中で蜘蛛女とキスするモリーナ。ああ、このひとはこうして大勢から称賛され、ドラマティックに死んでいくのが望みだったんだなあ、じゃあ革命を愛するバレンティンへの愛のために死んだのはモリーナの本望だったんだ、としみじみ思えた。たとえそれが革命のためにも、バレンティンのためにも、何の役にも立たなかったのだとしても。

そう思うと切なくて涙が出るけれど、モリーナは、それも人生だなあと思わせてくれる。

 

相葉裕樹さんのバレンティンは、まっすぐで熱くて、何回もアンジョルラスっぽさを感じてしまった(レミゼの)。自分の目的のためにモリーナの自分への気持ちを利用するバレンティンは確かにずるいんだけど、相葉バレンティンは自分のそのずるさに無自覚っぽい気がする…。再び捕まったモリーナが拷問されて自分の前に姿を現す瞬間まで、ほんとに悪気がなかったのでは?と…

バレンティンの立場なら、モリーナの末路を当然予想して然るべきだし、それをわかっていてなお頼んだのか?というところが気になるのだけれど。人を愛することと同じくらい自分の中で革命が第一になってしまっていて、それしか見えないというようなある種の純真さが、相葉バレンティンにはあったと思う。

原作も読み返したいな。いつかそのうちに…