耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2020年1〜2月に読んだ本

最近のようす

この月はいそがしかった。こんなことを言っていると、「あんたよりも長時間働いて精神的にもプレッシャーのある仕事をしている人は世の中にたくさんいるというのに、いそがしいいそがしいと自分からアピールして他人に同情してもらおうなんて甘えた考えが透けて見えるね。」などと言ってくるイジワルオバサンがわたしの頭の中にはいるのだが、しかしいそがしさというのは相対評価の入学試験でもあるまいし、自分の心が疲れている状況を認め、いたわるための言葉なのだ、と言い返そう。

日記を読み返したところ、毎年2月になると日照時間の少なさが積もり積もってのことなのか気持ちがふさぎがちだ。年齢を重ねるにつれて体力が落ちていくのは現実だが、自分をいたわるための手札は増えているはずなのだから知恵をはたらかせて少しでも前向きに過ごしたいものだ。

f:id:sanasanagi:20200316231624j:image

 

山崎 ナオコーラ『ベランダ園芸で考えたこと』 (ちくま文庫
ベランダ園芸で考えたこと (ちくま文庫)

ベランダ園芸で考えたこと (ちくま文庫)

 

わたしもささやかながら観葉植物を育てているが、間引きが憂鬱で家庭菜園はなかなか手が出ない。本書にもこの間引きの残酷さに文学者として悩む項がある。しかし、ある意味で作品世界の神である作家と、菜園の主であるということは似ているのかもしれない。現実ではなんらかのかたちで勝者と敗者を分かち、間引くしかない状況であっても、文学は敗者に手を差し伸べて居場所を与えられるのではないか。などと思う。

筆者の文章はつねに率直で正直であろうとしており、そのことに打たれる。わたしは普段、いかに虚飾で隠され真実の見えない言葉ばかり使っていることか。それはそれで、言葉の恩恵でもあるのだが。

読了日:2020年1月9日

 

『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』

 紆余曲折の多かったある女性の人生の様々なワンシーンを切り取った短編集。私は初めの方に収録されていた「ドクター H.A.モイニハン」で声を上げて大笑いしてしまったのだけど、読み進めるにつれ彼女の来し方が少しずつ明らかになっていくと、この短編に縫い込まれていた憎しみを読み落としていたことに気がつく。たやすくはないが、そのようでしか有り得なかった人生。ときにはユーモアや優しさにあふれながら、残酷さや突き放されるような取り返しのつかなさも併せ持っている。

特にお気に入りの一編は「喪の仕事」。「わたしは家が好きだ。家はいろいろなことを語りかけてくる。掃除婦の仕事が苦にならない理由もそれだ。本を読むのに似ているのだ。」 余談だが、わたしはテレビやSNSでひとの家が垣間見えるとつい目を皿にして見てしまう。だれかに大切にされ、あるいは単に日常の風景の一部となった些細なものもの。だれかの人生を語るよすがとなって、受け継がれていく物についてのお話って大好きだ。

読了日:2020年1月10日

 

亀山 郁夫『大審問官スターリン』 (岩波現代文庫)
大審問官スターリン (岩波現代文庫)

大審問官スターリン (岩波現代文庫)

 

 スターリン時代の検閲史が時系列に著されているが、筆者は歴史書としてではなく文学的手法で独裁者の内面に迫ろうとしたという。芸術の価値より政治的ふるまいの手腕で生死を分かたれ、真正面から作品そのものが受容されることのなかったソビエト時代の芸術。年老いるごとに闇を濃くする独裁者の猜疑心と妄想の根源について考えたとき、権力者とはどうあるべきかという問いが表裏となって思い浮かぶ。

表現の技法の革新性ではなく、いかに理想化された未来を描けるかに価値を置いた社会主義リアリズムという一芸術の潮流に関する解説も興味深い。本質的に誤ちを孕む過去とは、そこでは何の価値も持たない。まさにディストピアの世界である。

読了日:2020年1月20日

 

カーレド ホッセイニ『千の輝く太陽』 (ハヤカワepi文庫)
千の輝く太陽 (ハヤカワepi文庫)

千の輝く太陽 (ハヤカワepi文庫)

 

戦火を繰り返すアフガニスタンで、さらに社会的弱者である二人の女性たち。街に出れば銃撃、家に帰れば夫の暴力。妻は夫の所有物で、社会は守ってくれない。親や子ども、女性の行動を厳しく制限する理不尽な法律のために、逃げ出すことすら叶わない。どちらを向いても身のすくむような環境で、自分の中にある尊いものを諦めなかったマリアムとライラ。筆者はきっと、ここがもっとずっと美しい国だったと信じている。そう思える豊かな情景描写が、二人の感情を自分のように近しく感じさせてくれる。別の国の物語だが、繋がっていると思えてならない。

まだ2月の時点で読んだ本だけれど、今年の読書の中でベストなのでは…と思うくらい強烈な印象が残った。なにもせずにはいられなくて、思わずUNHCRへの寄付を開始した。月々3000円。本当に困っている人のもとへ届いているのかも気になるし、これを機に情報にもっと関心を持つようにしようと思う。少なくとも今現在自分の子どももいないわたしの趣味費用を多少削っても、途上国の子どもの教育に使ってもらえるならいいと思う。

読了日:02月02日

 

エイモア・トールズ『モスクワの伯爵』
モスクワの伯爵

モスクワの伯爵

 

主人公の人柄どおり、紳士的でお洒落にまとまった小説。革命後、高級ホテルに幽閉される元伯爵の物語で、時代背景の設定を忘れそうになるほど浮世離れした優雅な生活を送っている。そのため結末にも説得力はないが、結局伯爵は、自由なのに自らを縛る現代人に生き方のモデルを示すためのメタファーなのだろう。恵まれた境遇に置かれた人間であっても、人生は寂しくて虚しい。そういった感覚を抱いたときには、伯爵のように「自分の境遇の主人となる」生き方に希望を見出せるのかもしれない。あくまでフィクションと思って楽しむのが良さそうだ。

そんなことを思っていたら、巷に蔓延するウイルス騒ぎの影響で、幽閉生活がにわかに現実味を帯びはじめてしまった。しかし実際、自分の意に反して建物から出られない生活を送るはめになったら、同じような境遇に置かれた主人公の話を読みたいと思うかどうかはちょっと疑問である。

読了日:02月02日

 

エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』 (岩波文庫
やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

 

アフリカの神話に基づいた小説。 ページをめくるたびにどこか笑えてくる文章があり、常識の範疇でしか生きられないわたしにはおもしろくてしかたなかった。この文章の感じに既視感をおぼえていたら、多和田葉子さんが解説を書かれていて、腑に落ちる。

物語中では、死者の町が我々と地続きに存在しており、それでいながら死や恐怖を生きた人間から切り離して扱えるようなワンシーンもある、不思議な精神世界。旅路の途中でまるで日本の妖怪のような異形のものとの遭遇を切り抜けていく個々の展開もぶっとんでいるが、リアリズムなどどこ吹く風といった文章のおかげで楽しめてしまう。わたしが読んでいるのは当然翻訳後の日本語なのだが、素朴で常識とは外れた言葉の使い方に頭をくすぐられている感覚。解説ではさらに、テキストの奥深くに分け入っていこうとする文学の試みに感じ入る。わたしはそこまでは読み込めなかったけれど、再読のお楽しみとしたい。

読了日:02月09日

 

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫
フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

 

 初めは寓話のような印象を受けたけれど、読み進めるうち、人生のあらゆる側面を彫りだしたような味わいに惹きこまれる。渇いた土や木の手ざわりのある生活のなかに、自分の命を守るための罪や独立心をひそませている人びと。描きだされる人情や狡猾。薄暗がりで手さぐりをしながら少しずつ目が慣れていくのを待つように、それぞれの物語の全体像に思いを巡らせる時間がたのしい。かすかな不安とほの明るい余韻を感じさせる読後感。

読了日:02月14日

 

藤野 可織『おはなしして子ちゃん』 (講談社文庫)
おはなしして子ちゃん (講談社文庫)

おはなしして子ちゃん (講談社文庫)

 

短編集。なかでもいちばん好きだったのは「世にも奇妙な物語」のような趣のある『ピエタとトランジ』。漫画や小説の探偵もののシリーズを読み、行く先々で事件と出会う主人公こそが疫病神では?と思ったことのある人は多いと思うが、まさにそんな特異体質をもってしまった女子高生の奇妙な友情物語。ちょっぴり計算高い目論みからはじまった友達関係が、唯一無二の尊い愛へと集約されていくラストシーンはミケランジェロの芸術作品のオマージュでもある。最近続編が長編として出たようなので、それも読むのが楽しみ。

読了日:02月20日

 

マリアーナ・エンリケス『わたしたちが火の中で失くしたもの』 
わたしたちが火の中で失くしたもの

わたしたちが火の中で失くしたもの

 

貧困や死が日常のもっとずっと近い場所にある社会のことを想像できるだろうか。 「ホラー・プリンセス」と帯にはあるけれど、この小説に書かれているのは恐怖を煽るための表現というより、怒りや怨み、悲しみといった人の思いにまつわるもののように思える。わたしからすれば度肝を抜かれるようなやり方ばかりなのだが(なにしろ自分自身に火をつけたり、部屋に頭蓋骨を飾ったりするので)。

読了日:02月29日

 

多和田 葉子『雲をつかむ話/ボルドーの義兄』 (講談社文芸文庫)
雲をつかむ話/ボルドーの義兄 (講談社文芸文庫)
 

わたしが読むと文体や文章自体のおもしろさにとらわれてしまいがちな多和田作品だけれど、『雲をつかむ話』は他者の痛みに寄り添おうとするふたりの呼応しあうよろこびが感じられて感動的だった。

文学に向き合っている人は他者の声に耳を傾けようとするあまりに自ら苦悩を呼び寄せてしまうのかもしれない。自らの感じる違和を忠実に再現しようとする著者の文章を読めば、その誠実さはよくわかる。けれどこの『雲をつかむ話』では宙でなにかをつかもうとあがくうちに、そうした書き手自身の苦悩がひとつの到達点を迎えたところまで書き切られている。その点に爽快さをおぼえた。

読了日:02月29日

 

村上 春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編』 (新潮文庫)

舞台を観に行くために読みはじめたのだが、なんと巷に蔓延るウイルス騒ぎのために舞台が中止になってしまった……。

が、二十年近く前に書かれたこの小説に今のわたしが出会えたタイミング自体はぴったりだったように思う。主人公と同じ三十歳で、結婚という名の他者との対峙に困惑する日々だから。物語世界は個人的な心の闇よりさらに深く、戦争の歴史の闇、ひいては人類が地下に押し込めてきたものの闇にまで手を伸ばしていくのだが……。詳細はまた来月。

読了日:02月29日

 


読書メーター
https://bookmeter.com/