耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2021年2月に読んだ本

ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』 (河出文庫
白の闇 (河出文庫)

白の闇 (河出文庫)

 

次々に盲目が伝染していく感染症。社会はパニックに陥り、見えることを前提に設計された文明は停止する。極限状態で人々が尊厳を見失っていく姿に読むのが辛くてたまらなかったが、それなのにどうしてもページをめくる手が止まらない。わたしは現実の辛さをやりすごすために、より辛い出来事を読むことで紛らわそうとしているのだろうか。この小説のポイントは「誰もが見えなくなる」ということのメタファー性だと分かってはいるけれど。ただひとりだけが「見えて」いたとしても、たったひとりの導き手の力では世界を善い方へ導くことすらままならない。解説で、サラマーゴがキリスト教に懐疑的だったと読み、頭の中で辻褄を合わせる。目を隠され、盲目にされた聖人像のイメージは衝撃的。一方で、否応なく生き方の再構築を迫られた人間が、指針となる言葉をくれる導き手を求めて集うようになることも示唆されている。どうしようもなく変わり果ててしまった世界で、自分ならどう生きられるか、という問いがじわじわと思考に侵食してくる。

読了日:02月02日

 

エイモス・チュツオーラ『薬草まじない』 (岩波文庫)
薬草まじない (岩波文庫)

薬草まじない (岩波文庫)

 

独特の言語センスだけでもご飯三杯いけるくらい楽しい。「ジャングルのアブノーマルな蹲踞の姿勢の男」なんて声に出して読みたくなる日本語。訳のセンスもあるのだろうけど。
「第一の心」「第二の心」「記憶力」といったように、語り手は自分の内面を独立した他者のように扱っており、ピンチに陥るとしょっちゅう「心」たちが自分を見捨てたりするあたりは妙なリアリティがある。最終的には裁判という名の反省会が始まるが、結局は自分の「心」の弱さを罰することなどできないのだ。
ストーリーは主人公によって語られる一本道の冒険譚なのだが、主人公に一方的に敵とみなされ倒された者からみれば、これは他者との遭遇にまつわる物語なのかと思わせられるところがある。そういう点では(表紙にあるように)「神話的」とも言えるのかも。神話とは得体の知れない大いなるものとの遭遇の話だという捉え方をしているので。主人公が妻とともに妊娠する下りは、そのまま男性が妻とともに分娩を経験する展開になるのかと思ってちょっとワクワクしたのだけど、彼は全力を尽くしてその展開を回避してしまい残念だった。

読了日:02月08日

 

岡田 温司『西洋美術とレイシズム』 (ちくまプリマー新書)
西洋美術とレイシズム (ちくまプリマー新書)

西洋美術とレイシズム (ちくまプリマー新書)

 

西洋美術は主にヨーロッパの強国においてキリスト教の布教や称揚のために用いられてきた。その中で、マイノリティあるいは侵略の対象であった民族(ユダヤ人、イスラム、黒人など)がどのように描かれてきたかを多数の例から示す。描き手に蔑視や貶めす意図があったというよりは、社会の中に巣食っていた人びとの感覚が絵画や彫刻といった表象の中に形を取ったということだろう。だからこそ表現者は努めて弱者の立場に寄り添うよう意識しなければ、偏見を意図せず露呈し、作品の精神性や普遍性を損なってしまう。この点は現代にも共通して学ぶべきポイントだと思った。

読了日:02月10日


ガエル ファイユ『ちいさな国で』 (ハヤカワepi文庫)
ちいさな国で (ハヤカワepi文庫)

ちいさな国で (ハヤカワepi文庫)

 

ブルンジに育った少年ギャビー。隣国ルワンダから逃れてきた難民の母親と、フランス人の父親を持つ。一章が短く、詩的ながら軽やかな文体で、物語の大半では彼自身のかけがえのない少年時代が語られる。するすると読めてしまいそうなのだが、彼が子どもであることを止めざるをえなくなったのは、健全な成長の結果ではない。人間の身勝手で愚かな支配欲と、悲惨な憎しみと差別の連鎖。大国が支配のために民族間に分断を作り出すという発想は、それ自体が差別的だし、あまりにも醜い。読んでいて受け止めるのに時間がかかった。

社会を構成するのは常に複数の世代であり、世代交代によって負の記憶は薄れ、空気は変わっていく。だとしても、その狭間で多くの青春が失われ、消えない傷を負った事実は無くならない。

読了日:02月19日


アントワーヌ ローラン『赤いモレスキンの女』 (新潮クレスト・ブックス)
赤いモレスキンの女 (新潮クレスト・ブックス)

赤いモレスキンの女 (新潮クレスト・ブックス)

 

本人は不在、持ち物から人となりや姿かたちを想像する、なんて甘美で臆病な愉しみ。持ち物が自分のものである、という実感は、単にそれを選んで購入したかどうかというだけではなく、そのひとつひとつの背景にストーリーがあって、思い入れがあってこそ湧いてくる愛着のことなのかなあ、と思考がよそ道に。

無闇な深入りはしないけれど見ないふりをするわけでもない距離感の隣人関係、洒脱で都会的、それでいて大人のためのファンタジーを叶えてくれる恋の顛末に癒される。

読了日:02月22日


アガサ・クリスティー『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

クリスティが考古学者の夫の発掘調査に同行した際の経験について書いたエッセイ。出発準備からして、購入した旅行鞄の中身を詰め込みすぎてファスナーが閉まらないエピソードに微笑む。現地で雇った使用人や調査仲間たちの生き生きとした人物描写もユーモアたっぷりで楽しい。
でもこれが、大戦前の発掘旅行を戦時中に回顧した記述なのだという事実は一抹の寂しさを感じさせる。すっかり様変わりし、以前のように旅することも、もしかしたら叶わなくなってしまった旅先。文章の上で振り返ることがもしかすると一種の慰めにはなっていたのかもしれない。

読了日:02月28日

 

今月のようす

いよいよ妊娠後期に突入。これまで大したトラブルもなく、検診で注意を受けることもなく過ごしてきたのに、2月は胃腸系のトラブルを続発した挙句、痔になり、おしりに気を使いながら生活する日々。ひどいときは何もやる気が起きず、おしりがどこにも触れないよう横になってひたすらスマホで痔の体験談を検索していた。それでも世の中にはもっと酷い症状の人が山ほどおり、痔の世界の奥深さを知る。

とはいえそんなことは知らない胎児はとても元気で、毎日ひとの腹の中でうねうねしているのはありがたいことです。


読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1869ページ

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