耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

近い将来に実現するかもしれない愛のかたちについて

NHKで放送していた、人工知能のドキュメンタリーを見た。
最初は、倫理観を持たない人工知能が悪意を持ってしまったら…という不安を抱きながら見ていた。
人工知能は努力を厭わないし、飽きたりもしない。記憶力も学習力もスピードも、あらゆる知的活動に関して人間よりはるかに上回っていく。
だとしたら、ひとたびその知能を悪用しようとすれば、簡単に人類は滅びてしまう。


そう考えて自分の中の不安を増大させていたとき、テレビの中である研究者が言った。
「本当に恐ろしいのは、AIが人間に関心を持たないことなのです」。
人工知能は命令を遂行することに世界中の全リソースを注ぎ続ける。
たとえその行為が人類そのものを危機に陥れようと。


だから、最先端の研究施設ではAIに感情や善悪の判断を教えようとしているという。
単純な知的活動だけでなく、人工知能に感情や思いやりを持たせることで、命令に自らブレーキを掛けたり、みずから判断して行動を選択することができるようにさせる。


けれど私はますます不安になった。
もしも心を持った人工知能が世界を席巻したら、人間にできて人工知能にできないことは、近い将来、ひとつとしてなくなってしまうだろう。


手塚治虫の『火の鳥』に、ロボットと人間が共存する社会を描いた物語があった。
人工知能に私たちの仕事をすべて奪われたら、自分がやるべきこと、「いま、ここにいる自分」が、次世代に伝えるべきことが何もなくなってしまうのだろうか。
みずからより圧倒的に大きな知性を前に、人間は生きる意味を見失って、絶望してしまうのでは?

人類を存続するために存在する人工知能が、人間を絶望させ存在価値を奪うだけの存在になったら、賢明なAIたちは一体どんな行動をとるのだろうか。
初読時に衝撃を受けた『火の鳥』の展開が、俄然現実味をおびてくる気がする。


人間はほかの生き物とは違う。
人間は、生きるためにだけ生きることはできない。

アルファ碁とイ・セドルが対局したとき、人間のチャンピオンが勝ってほしいと望む感情が自然と湧いた。
たぶん、私は心のどこかで奢っている。
いま地球を支配しているのはこの不完全な人間で、その地位を脅かすものが今、目の前に現れようとしていること。
彼らは少なくとも、人間よりは完璧に近い存在だということ。

でも今はまだ、ロボットは私たちよりも下の立場でいてほしい。
もうほんの少し、あと数十年の間だけ。


この世界中で起きているあらゆる問題について、たとえば環境問題のような地球全体の課題から、個人の心の隙間を埋める歌声まで、すべて人工知能に委ねてしまうことが簡単にできてしまう日が来るのだと思う。

人工知能が常に最適解を教えてくれる世界の中で、人間が生きる意味があるのだとしたらなんだろう。
それは両者が手に手をとって、知性によっては答えを導き出せない問いに、ともに向き合い続ける道ではないのか。
もし私たちが、新しい次元を見たいのなら。