耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

細見美術館〈春画展〉感想

私が春画の存在を初めて知ったのは、小学生のときだった。人間の子どもがどうやって母親の腹に入るのかを知るようになり、夕食時などにテレビの動物番組で流れる交尾シーンを見る目が変わり始めた年齢だった。

夏休みで祖父の家に滞在中、暇を持て余した私は祖父の本棚を眺めていた。祖父は美術鑑賞を趣味としており、本棚には重そうな美術全集が並んでいる。本のかたちをしたものを好む子どもだった私は、なんとかその大判の本を取り出そうとしてみたのだけれど、紙のケースに入った美術全集は異様に重く、指が滑って棚から引きだせない。そのとき、全集の間にはさまっていた薄い本に目が引き寄せられたのだった。

最初、社会の授業で習ったような浮世絵の画集なのかと思ったのだが、何ページかめくっていると、どうも様子がおかしい。なぜか、どの絵も男と女が奇妙な体勢で抱き合っているのである。どうしてだろうと思ってよく見てみると、二人の間に奇妙なぶよぶよしたものが必ず描きこまれているのに気が付く。このぶよぶよしたものは何なのか? さらに数ページめくってみる。ぶよぶよしたものの周りに、短い黒い線が覆うようにちまちまと描かれているのを見て、ようやくそれが何なのか理解した。

あの種の衝撃、自分の中の価値観をぐるりと覆されるような瞬間というのは大人になるとなかなか味わうことができない。男女の交合がどのように実施されているのかという疑問がつまびらかになり、好奇心が満たされて何かがすとんと腑に落ちるような感覚。江戸時代も現代も変わらず、人間がいかにして欲望を消費していたのかという悟り。幾分ほこりっぽい本はその瞬間、思わず投げ出したくなるほど穢れたものに感じられた。一方で、夏休みの滞在中、私は指先でつまむようにしながら何度かその本を開くこととなったのである。

あれから十数年経って、京都で春画の展覧会がひらかれているという。いったいあれを展覧会で大々的に見るというのはどういう状況なのだろうか。蒸し暑いなか部屋の扉を閉め切って、だれかの足音が聞こえると急いで本を隠せるような体勢を固定しながら、こそこそと画集を見ていた夏休みの思い出を振り返って首をかしげる

そんなことを思いつつ、ひっそりと一人、岡崎まで出向く。ところが、小さな美術館の入り口まで行って少しおどろいた。ふつうの展覧会と同じくらい、だれかを伴って来ている人が多いのである。気の置けない仲の同年代女性どうしならまだなんとか、と思うものの、カップルや夫婦とおぼしき来場者がわりと多かったのは心底驚きだった。みんな、彼氏とそんなあけすけな話をしているのか……。いや逆に、彼氏とだからあけすけに話せるのか。でも、ベッドで二人だけで話すのと違うんですよ。こじんまりした細見美術館の、混雑した展示室で、「あっ、この人ホウケイや~」「ほんまや~」なんて会話をするのは、やっぱりちょっと抵抗がある。そう思った私はたぶん、人前では上品ぶりたい気取り屋なのだ。

展覧会へ行くのは、むろん第一にその美術に関心があるから、美しいものを見て心を満たしたいからなのだが、実際館内を歩いていると、休日を美術館で過ごす自分がちょっと高尚な趣味を持っていると思われたい、という自意識にも気づかされる。しかし今回に限っては、エロティックな画面を舐め回すように見てみたいという好奇心と、上品な女と思われたい自意識の間で引き裂かれる。

そうした内心の葛藤を抱えつつも、展示されている春画は非常に多様なもので、「どんな顔をして見ればいいのか」というためらいよりも春画に引き込まれる感覚のほうが次第に強くなっていった。

男女の絡みを描いたものでは、接合部の生々しさ、グロテスクさに目を離せなくなるものもあれば、控えめな表現のものもあり、毛の描き方にいたっても、多い人、濃い人、ほんわりとした人、さまざまで面白い。デッサンのきっちりした西洋画ならば有り得ないであろう構図もあって、奇妙なところから首が出ていたり、まるで軟体動物であるかのように男女が身体のひねりを利かせ、一体どんな体位を取っているのか?と文字通り首をかしげながらためつすがめつ見たものもあった。かと思えば、本当に軟体動物との交合を描いてしまった北斎のような人もあり、全く懐の深いジャンルである。

春画といえば江戸時代のいわゆるエロ本、とはいえ、裸どうしでただまぐわう様を描くというよりも、局部以外は露出を抑えた作品が多かった。江戸では湯場も混浴がふつうであり、女の裸も珍しくなかったと聞いたことがあるが、そのためだろうか。着衣の色彩や図柄にも凝ったものは鑑賞する面白みがあり、見ていて飽きない。キャプションによれば、大名家に献上する作品など、上質の絵具や超絶技巧を駆使して制作されていたものもあったらしい。 とくに源氏物語に主題を取って、作中の和歌を添えて描いたものなどは一目みて綺麗!と惹きつけられた。日本美術の技巧についてはよくわからないが、女の身体の線の微妙なカーブなど、繊細な表現も目を引く。

しかし何よりも魅力的なのは、描かれた女の表情だ。恍惚としていたり、思うさま悦楽を追求していたり、解放的で性を楽しんでいるさまには共感するし、パワーを感じる。一方、男性の方は表情をあからさまに変えることなく、一見冷静な目つきで女の顔や身体を見ながら行為に没頭する様子が描かれていたのが印象的で、見る者の同調を促す人物造形の男女差に気付かされる。

性行為を描いたものの他にも、女子のための教本をもじったものや、歌舞伎役者の性器を勝手に想像して描いたビラのようなものなど、現代の感覚からすれば下衆の極みのような絵もガラスケースの中へ平然と展示されているから、内心でツッコミを入れずには見ていられない。その意味では、こそこそ一人で行くよりも気兼ねなく感想をつぶやき合える仲の他人を伴って行く方が、楽しめる展覧会かもしれない。