耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2020年3月に読んだ本

今月のようす

見返せば今月は、選んだ本になんとなく統一のテーマがあるように感じる。自分のことだけにおもしろい。別に意識したわけではないのだが。

結婚して共同生活をはじめてから一年が経過したこともある。他人の意思を尊重しながら互いに心地よく過ごすこと、その繰り返しである日常について、少しずつだけれど考えながら毎日を送るようになってきている。そんなの大人なら当然だと思われるかもしれない。でも、もともと自分の興味のあることにしか興味のないわたしにしては成長なのだ。

平日の仕事は相変わらず殺気立っていて、ウイルスの影響は直接的に関係してはいないものの、やはり緊張感の絶えない日々。観劇の予定がことごとくなくなって、日常が息苦しいときほど、読書への逃避がはかどる傾向にあった。

 

村上 春樹『ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編』 (新潮文庫)『ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編』 (新潮文庫)

ずっと存在を知っていたのに読まないでいたこの本。もっと若かったときではなく、他人との共同生活に取り組んでいるまさに今、このタイミングで出会えたことを喜ばしく感じる。他人と同じ空間で生活するということ。それは、もっと大きなものの構成員として自分が存在しているという感覚につながっていく。

向き合わねばという気持ちと、向き合うのが怖い気持ちの間で揺れる。現実のなかには沈潜する闇がある。目を向ければ生きることすら怖くなってしまう地下の暗がりには、物語の力を借りれば降りていける。不思議と昼間の世界の重荷を癒してくれるような行為だ。

読了日:03月10日 著者:村上 春樹

 

若桑 みどり『イメージを読む』 (ちくま学芸文庫
イメージを読む (ちくま学芸文庫)

イメージを読む (ちくま学芸文庫)

 

学生時代に美術史の本を読んでいたときには、美術へのアプローチの方法論に気を取られてしまっていたし、どちらかといえば「いまの自分がどう見るか」を重要視していたように思う。でも今改めて本書を読んでみると、「いまとは全く異なる常識を持った当時の人にはこのイメージがどう見えていたか、どう見られようとしていたか」の興味深さに思い至る。自分がどう見るかではなく、イメージが社会一般にどのように受け止められるのか。

それはわたし自身がいくらか歳を重ねて、時間とともに社会の価値観が変遷していく様子を肌身に感じたためかもしれない。見る側の常識や価値基準によってイメージの意味も変わるから。

あるいは非言語的イメージで伝えること・伝えられることの奥深さに気がついたからかもしれない。もっとたくさんの美術を観たい、もっと詳しく調べたい、と思えてくる本。

読了日:03月12日

 

彩瀬 まる『暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出』 (新潮文庫)

被害も苦しみもなく、無力さや後ろめたさを再確認するだけなのに、当事者ではない自分が震災を語ったり、語るものを読む意味はあるのか。

意味はある、と思うようになったのは、結局は自分が社会の一員でもあるから。筆者が「私たちの社会は成熟していない」と言い切る社会の。

苦しいときには知って欲しいし、見捨てないでほしい。苦しみを押し付けないでほしい。それが人の当然の感情のように思う。成熟というのは、他人の苦しみに心を添わせる余裕のあることをいうのだろう。

自分が、恐怖や無知ゆえの思い込みで他人を傷つけることが、怖い。

読了日:03月15日

 

J・M・クッツェー『夷狄を待ちながら』 (集英社文庫)
夷狄を待ちながら (集英社文庫)

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

 

平穏な生活に突然劇的な変化をもたらす支配欲、権力欲、性欲の暴力性を思う。力はいずれ衰えるものであり、どんなに強大な力であっても、より強くより大きな力を前にすれば、後退するしか道はない。弱者には身を守る術はなく、力による争いの愚かさを見つめることしかできない。

荒寥とした絶望と、悟りの解放感とに包まれる不思議な小説だった。

読了日:03月19日

 

ク・ビョンモ『四隣人の食卓』 (韓国女性文学シリーズ7)
四隣人の食卓 (韓国女性文学シリーズ7)

四隣人の食卓 (韓国女性文学シリーズ7)

 

少子化対策のため、格安家賃で都心から離れた山中の共同住宅に入居した四つの家族。三人の子どもをもうけること、夫婦共働きではないことなどが入居条件だが、その審査基準はいい加減で、個別の事情を斟酌する余裕のなさが伺える。

個人の働き方の選択や理由は様々なのに、公的機関のみならず家庭の外にいる他人たちもまた、各々が好き勝手に思い浮かべる家庭の姿から外れた日常の姿に、想像力が及ばない。マンションの一室や車の中といった閉鎖空間の中で思いが通じ合わない息苦しさ。

違和感を覚えるほどに滔々と語られる内面描写は、助けを求めて絞り出される声のよう。目を逸らしたいのにページをめくる手が止まらないのは、明日は我が身と思えるほどの生々しさをそこに感じてしまうから。

読了日:03月20日

 

アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫

遠方に嫁いだ娘が病に伏し、家事を手伝うため遠路を出向いたジョーン。三人の子どもたちは既にみな親元を離れ、妻として母親としての自分の人生に満たされた思いを抱いていた。ところが帰路のトルコで列車が足止めを食い、ひとり暇を持てあますなかで、彼女は初めて自分の人生を見つめなおす。

本質を直視することをおそれ、世間一般の「あるべき役割」を自分の人生とすり替える。何もかもを明からさまに照らしだす砂漠の光のもとで、ジョーンは自分の人生の決定的なあやまちと、その結果陥った耐えがたい孤独を悟る、だが……。

人生は表面上おだやかで幸福に「やりすごす」ことができる……何も知らないふりをしていれば。このような残酷な事実を突きつけておきながら、物語は既に終わりつつある彼らの人生に救いを与えることすらしない。

アガサ・クリスティーが別名義で出版した小説として知られているが、心理サスペンスの趣もあり、最後のページに至るまで飽きさせない。

終盤、ロシア人の公爵夫人サーシャが登場する章は必要性が謎だが、1944年という時期に出版された作品であることを考えれば、ジョーンの在り方が英国人一般への批判であるとも受け取れる。

読了日:03月23日

 

中野 京子『欲望の名画』 (文春新書)
欲望の名画 (文春新書)

欲望の名画 (文春新書)

 

表紙に惹かれて手に取る。元は文藝春秋の連載で、西洋絵画の中に描きこまれた「欲」をテーマにしたコラムが1篇あたり3ページずつまとめられており、隙間時間に少しずつ読んだ。

中でも興味を引かれたのはブリューゲル『子どもの遊び』、ボス『守銭奴の死』のような、どこか不気味ながら何故かユーモラスで、細部の描き込みが目を引く作品。端々にまで描写の眼が行き届いた著者の文章を追えば、一緒に鑑賞しているかのような楽しさを見出せる。

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ピーテル・ブリューゲル《子どもの遊び》ウィーン美術史美術館、1560年

ありとあらゆる「遊び」に興じる人々の様子が描き込まれており、見飽きない。

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ヒエロニムス・ボス《守銭奴の死》ワシントン、ナショナル・ギャラリー、1494年以降

死神が訪れてなお金の入った袋を受け取ろうとする守銭奴。財産を漁る小悪党のようなこびとや、天上からの光を見るように促す天使の姿、守銭奴の生前を彷彿とさせる甲冑など、詳細の豆知識もこの本の醍醐味である。

読了日:03月27日

 

キム エラン『走れ、オヤジ殿』 (韓国文学のオクリモノ) 
走れ、オヤジ殿 (韓国文学のオクリモノ)

走れ、オヤジ殿 (韓国文学のオクリモノ)

 

『外は夏』が有名になったキム・エラン氏だけれど、デビュー短編集のこちらの方がユーモア成分はやや高め。なさけなくも人間くさい「オヤジ殿」たちの姿にいつのまにかいとおしさを覚える。誰かの後ろにある事情を思いやることを真心と呼び、ほんとうは真心を伝えたいのにそうできない姿を写しとる姿勢は、一貫しているようだ。

特に好きなのは『彼女には眠れない理由がある』。

不眠の最大の理由は自分の性格にある、と彼女は思っていた。誰にとっても良い人でありたかったし、知的であると同時に謙虚で、思慮深くてクールで、仕事もできるが服のセンスも良い人間でありたかったからだ。だが彼女は大してクールでも、知的でもなかった。いつも拒絶を恐れ、誤解にたじろいでいた。

どうしてこんなに、わたしの悩みを正確に知っているのかと思う。孤立しているのに画一化していく日常生活。ただ笑いや、なさけなさや、恐怖といった生々しい感情が通り抜ける瞬間だけ、だれでもない自分がここにいると感じられるのだ。

読了日:03月28日

 


読書メーター

読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2811ページ

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