耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

「TENET」を観たときのあいまいな感想

『TENET』を観てきました。

感想はあまり整理できていない…というか、内容をほぼ理解できないまま書いているものの、内容に触れる記述があるため未見の方はご注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

率直に言うとめちゃめちゃ面白くて3時間気づいたら経っていた。しかし冒頭シーンの意味がわかるためには中盤シーン以降のルール説明を理解せねばならないのとか、細部を理解するための情景描写や説明が高速で行われるため、観る側に高度な情報処理能力と記憶力が求められるのはなかなか不親切ではある。「エントロピーがなんやて?」とクエスチョンマークを頭の上に浮かばせながらもストーリーについていくために必死で見てたらドカーンとジェット機が建物に激突したりして映像の美しさに気を取られる、みたいなことをやっていたらあっという間に終わってたという感じ。そういう意味では登場人物の気持ちにしみじみ思いを馳せたりそういう余裕は(わたしには)全くなかった。

 

未来の結論ありきの逆算からそれまでの行動を設計するという、本来的には創造者の特権であるはずの行為を被創造者であるフィクションの登場人物自身に行わせるというメタ認知的発想は面白い。主人公が時間を逆行して行動を変更した時点で無数に発生するはずの別の未来はどこかに存在しており、人間社会が終焉を迎える世界線もどこかに存在しているのか…?ということを考えるとまたよくわからなくなってくるのだけど…(パラドックスのことはまだあまり分かっていないというようなことをニールもどこかで言っていましたかね)。

でも逆行を手に入れたところで万能ではなく、それがひとりの力ではなく他者との協力が多いほど成功しやすいシステムになっているところは「ほんとうの人生」の法則に似ているかもしれない。敵と味方がそれぞれ同じ手段を持っている以上、協力する人間が未来の自分が逆行して戻ってきたときの自分の行動を目撃して教えてくれることが成功のヒントになるわけだから。

時間軸を超えて他者や未来の自分と意思疎通を図るという手段にはワクワクするし。その事象が起こった時点では意味がわからなかった他者の行動がじつは未来からきた自分のなんらかのメッセージだったということに、その事象を起こさなければならないと悟った時点で気づく、みたいなのってある意味記憶の中の自分自身との対話ともいえて、『インターステラー』にも似たような設定があった気がするけど個人的にはそういう思想が好き。

この話のロマンチック・ポイントってトリックを利用することによって死者と何回でも永遠に会い続けることができることなのかなあと思う。

 

とりあえず一回みるだけであらすじをとらえることは可能なのだろうけど(しかしわたしはニールがどうやって死に至ったのか、観終わってから夫に説明してもらうまでいまいちピンときてなかったので終わってクレープ食べて話しながら急に理解してウルウルするということになったのだが……)、夫などは「誰かインセプションみたいにシーンごとに詳細解説したブログとか書いてないのかなあ」と言っていたが、個人的にはどこシーンのどの人が順行で逆行で、みたいなことを理解したいか?といわれると「そこまでではない」と思ってしまった。それがやりたくて通う人もいるのでしょうが、その設計内容の細部を知ること自体にはあまり興味がわかないというか。しかし複数回観て細部を理解した自分になったときに初めて立ち現れる感動というのがあるのかもしれず、それは複数回観て細部を理解した自分になってみなければわからない。