耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

アンチファンになったとき

昨日、カニクリームコロッケを食べた。

時刻は午後5時過ぎ。12月の陽も暮れた駅前広場で、全国各地の特産品の屋台が並ぶ催事が、そろそろ店じまいをしようとしているところへ行き当たった。
宇都宮餃子、北海道のいももち、タン塩…。空腹を抱えて駅前をさまよっていた私は、地味だけれど真心を感じるのぼりや看板の文字と、何よりも心惹かれる芳香に思わず足を止めた。

実は6時から友人(仮にMとする)と夕食をともにする約束をしている。待ち合わせまで一時間を切ったこのタイミングで何かを口に入れるのはどう考えても誤りだ。しかし私は前回その友人Mと食事をしたときのことを思い出した。

Mは、グルメである。しかし食には金をかけたがらない。

私は正直、食へのこだわりはそこまでない。寒い日にはあたたかいものを食べられればそれで満足なのである。おいしいものを探すことよりも出されたものを美味しく感じることに労力を注ぎたい。そういう考えである。
しかしMは違う。予算内でおいしくて自分で家では作れないようなものを食べたい。
もしかすると、こうした志向の違いは、家庭でどれだけ料理にこだわって自炊しているかという習慣の違いかもしれない。

Mとは10年以上にもなる付き合いだが、大人になって学校以外の場所で彼女と食事をするようになって気がついたのは、入るお店が決まらないということであった。

これが男女の仲なら、どちらかがパシッと食べたいものを決めてしまえばいいのだが、女性同士の間でコンセンサスをとるというのは若干めんどうくさく、たとえどちらかの意思であったとしても建前上、「ふたりの総意」という形にしなければならない。まあ、そうでない関係性もあるとは思うのだが、私の周囲の人間関係ではそういうことが多い。

だからお互いに相手の食べたいものを尋ね、パーッと飲んで憂さを晴らしたい気分なのか、ヘルシーなものを食べたい時期なのか等と相手の気分を推し量っては店のジャンルを決め、どんな話をしたいのかなどを察して、今日の気分に適した雰囲気の店を候補に挙げる。そして実際に店構えを覗きに行き、何がしかの要因で少しでも気に食わなければ(店員が不愛想、こんでいる、空きすぎている、ちょっとだけ予算オーバー、うるさすぎる、静かすぎる、等々)また別の店を求めてさまようことになる。

そういうことをしているので、事前にお店を予約していくのはなかなかリスキーでもあるし、諸々の条件をクリアして一度入ったことがあっても、彼女に味がイマイチだったと記憶されてしまえば二度と使えない(しかも、味のわからない私はそういう店でも「ふつうにウマかった」と覚えていたりするので、Mの評価は彼女自身に確認するまでよくわからないのである)。
そんなわけで、Mと食事をするときはだいたい、店を決めるまでに30分近くさまよっている。

ここでようやく話は駅前の屋台に戻るのだが、そういうわけで、彼女との待ち合わせ時間ちょうどに空腹の極致状態で登場するのはかなり危険だ。空腹時にはイライラしやすくなるので、彼女のわがままに付き合いきれずケンカに発展してしまう可能性もある。10代の頃から同様のプチ・諍いは何度も繰り返してきたのでできれば避けたい。
待ち合わせ時間に一時間近くあるこの時点で、屋台から目が離せなくなるほどの空腹になっているのだから、Mと会って店を決めるまで腹はもたないであろう。そう考えたとき、私の目に「コロッケ全品100円」の文字が飛び込んできた。

見ると、すでにコロッケ屋の前には人だかりができており、持ち帰って夕食にするのであろう人々が片っ端からコロッケを指差しては、プラスチックのトレー何ケース分も買い込んでいる。気がついたときには私もその後ろに並んで財布の口に手をかけていた。

無難な芋のコロッケか、かぼちゃコロッケか、野菜コロッケか……悩んだ末に私が選んだのはホタテクリームコロッケであった。さくっ。香ばしい衣をかみしめた瞬間に芳醇な海の味が口いっぱいに広がるのを想像すると、今にもよだれがたれそうだ。
「ホタテクリームコロッケください」
「はいよっ、何個?」
うきうきと注文した私に問い返してきたコロッケ屋のおっちゃんは、しかし"カニクリームコロッケ"と札のついたエリアにあるコロッケを、トングでつかんでいる。
「あっ、ちがうちがう、ホタテです。ホタテクリーム」
「何個?」
「1個……」
私の背後にも人だかりができている。ファミリー層の多いこの駅前広場で、コロッケを買うのはお家で待つ家族のためという人が圧倒的に多いはずだ。折しも世間はクリスマスを間近にし、街を歩く人々もどことなく浮ついた雰囲気。そんな街で、私は駅前広場の片隅で一人で食べるためのコロッケを買おうとしている。
おっちゃんは私の声が聞こえていないようで、トングの先がまだカニクリームコロッケをはさんでいたが、どうしてか私はもう、訂正する声を上げることができなかった。
「はいどうぞ。次の方―」
「ありがとう」
百円玉を受け取ったおっちゃんは既に、私の後ろにいたギャルママに笑顔を向けていた。


ともあれ私はおやつのコロッケを手に入れたのだ。
気が弱いせいで思いがけず希望とは違う結果となったが、この際もうよい。ホタテもカニも同じ100円だ。値下げ前の価格はホタテの方が10円高かったけど、カニクリームだろうとホタテクリームだろうと一緒だ。ほんとは一緒じゃないけど一緒だ。

ところが、悲劇はこの後に起こったのだった。

歩き出しながら待ち切れずにコロッケをかじった後、思いのほか口のまわりにクリームがいっぱいついてしまった。
やべっ、ティッシュもってないよ。
言い訳をさせてもらうと、私は街でティッシュを配っていたら多少大回りをしてでももらいにいくタイプである。たまに手を差し出しているのにも関わらずもらえないことがあるが、そのたびに下手くそなアルバイトの機会損失を嘆く。win-winという言葉があるが、需要も供給も満たされないこうした悲劇はlose-loseといってもよいだろう。それぐらいティッシュ配りのティッシュは私にとって重要な供給だ。

しかし最近では、家と会社の往復という生活を送っており、ティッシュは持ち歩くよりも家と会社にストックしておく方が便利な存在となっているのだ。なぜなら飲食店にはだいたいナフキンがあるし、お茶をこぼしたりお菓子をこぼしたり口の周りが汚れて拭くものがなくて困るのは家か会社と決まっているからだ。当然のごとく今日もティッシュは持ち歩いていない。私は仕方なく指で口の周りを軽くぬぐってごまかした。後でトイレに寄って口と手を濯げばよい。

ところが、ベンチに腰かけて本格的にコロッケを食べ始めると次から次へとカニクリームが口の横からこぼれ出て来る。なんと困ったことだ。コロッケをかじると衣だけが口の中へ入り、カニクリームはなぜか押し出されて、かじっていない方の穴から飛び出してくる。

カニクリームコロッケは一人でかじって食べるものではなかったのだ。私はほとんど衣だけのコロッケをかみしめ、こぼれだしたクリームを手で受け止めながら、苦い気持ちで思った。

カニクリームコロッケは、それを買って帰る暖かい家がある人のためのものだ。家族みんなで火のついた暖炉を囲み、ロブスターと一緒に綺麗なお皿にのせて、ナイフとフォークでいただくものであったのだ。マッチ売りの少女のごとき思いにとらわれながら、しょんぼりとコロッケと食べ終わった。クリームはほとんど食べた気がしなかった。

便所へ行って手を洗おうと立ち上がったとき、ふと下を見ると、巻いていたマフラーに自分でこぼしたカニクリームがべっとりとついていた。鞄を不自然に胸の前に掲げてこぼしたクリームを隠しながら、私はもう二度とクリームコロッケを衝動買いなどしないと誓った。