耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

真田丸第24話「滅亡」

ご飯に汁を少しずつかけて食べる北条氏政のように、世間様から数週間遅れで録画した真田丸をちびちびと見ているのだけれど、ついに感想を書かずにはいられない気分になったので書きます。



真田丸第24話「滅亡」

方々はみんな主従揃って、なんだかんだ楽しげに去っていった後にひとり残された江雪斎。切なかった。もう彼にとっては文句を言う主人すらいなくなってしまうのだと思うと。主を失い、高く飛翔し鷹の鳴く声、あの演出はずるい…。とはいえ、幸雪斎も鷹も、生き延びて自由な空へ逃げるのだな、と思えたことはかすかな救い。

しかしそこからの、氏政がご飯に一気に汁を掛けて食べるシーンでは不覚にも泣いてしまった。これ、汁かけ飯のエピソードがしっかり視聴者の心にインパクトを残しているからこそ効いてくるシーンだよなあと思う。最期ばかりは潔く。少しずつ少しずつ、じわりじわりと啜ることもまた、命あっての愉楽なのだものな。



その少し前、籠城している小田原へ信繁がはじめに来たときの、氏政の凄まじいまでの表情は、ご飯食べながら録画を見ていたこちらの食欲まで無くした。
汗でただれ落ちた無残な化粧。きっと鏡を見ても自分の姿がまともに見えていないのだろうと、語らずしてほのめかす。血走った目に光はなくて、亡霊のように凝り固まった頬の肉。
けれど伊達が秀吉に下ったと聞いてはじめて揺らいだ表情から、少しずつ人間味が戻る過程が見えていった気がして。たぶん書状を読む前が一番追い詰められていたのでは。諦める手もあるのだ、と気づいた瞬間から、何かがぷつりと切れたみたいに、敗北への道を転がっていった。頑固というより、氏政にはそれ以外の道が見えていなかった。誇りを捨てて負けるのなら、命を絶つという以外の道が。



思わずずんだ餅が食べたくなっちゃう豊臣側の宴のシーン、家康の江戸への転封(でいいのかな?)はその時点の短期局面を見れば確かに左遷だし惨めなんだろうけど、その後の歴史を知っているからこそ、つくづく家康の器の大きさが推して知られようというもの。家康が死を決意した氏政を考え直させようと言った「恥は一時でござる」は、本当にこの家康という人をよく表した台詞。地元の土地を取り上げられて、一面すすきのはらの江戸なんかに飛ばされちゃっても、腐らずに着々とまた出直したんだから。偉大だなあ~と感心してたらこれはこれで胸が熱くなってまた泣きそうになってしまった。





7/7に帝国劇場へ行ってからというもの毎日ミュージカル『エリザベート』のことばかり考えているのだけど、この家康を演じている内野聖陽さんがあのトートを演じていたという事実に役者という人種の数奇さを感じずにはいられません。