耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

部屋の片隅でおびえながら考えること

朝起きたら虫になっていた。そのような絶望と比べれば屁でもないと思われるでしょうが、わたしは確かに見たのです。キッチンの牛乳パックの裏側から、あの黒いやつが出てくるのを。それはとても大きかった。全長はわたしの親指ほども長く、太さは指二本分。まるまると太り、体はてかてかとしていました。もちろん、まな板がわりの牛乳パックの裏から出てきたということは、我々の生ごみを食べて元気にやっているのに違いありません。それは結構でしょう。私たちのおこぼれを乞食のようにあさって生きていることに対して、彼らを責めるつもりはありません。
しかしです。わたしがこれほどまでにつらい思いを抱えているのは、彼らがどこからやってきたのか考えてしまうからなのです。おそらくは流しのしたの下水から。あるいは何かの拍子に戸口を通り抜けて。彼らは親指姫の二倍もの存在感を放ちながら、なんの断りもなくマイハウスに侵入しのうのうと生きているのです。しかも、よりによって調理台の上に乗ってうろついているとは。自分がどこからきたのか自覚してはいないのでしょうか。足の裏にどれだけの菌がついていることか。居候として遠慮がちにいるだけならばまだしも、入浴もしていない足で調理台の上を土足で歩くとは。ちょっと考えられない狼藉です。こちらは顔も見たくないものを、100歩譲って一つ屋根の下に住まわさせているのです。遠慮して隅にいるのが普通の神経というものではないでしょうか。いえ、彼らに普通の神経を期待したのが間違いだった。もうチャンスはありません。きっと近日彼らは罠に掛けられることでしょう。巧妙で残酷な罠です。
そう、彼らは期待と歓喜の中で罠に足を踏み入れるでしょう。ようやくこの家の先住民たちに自分の存在が認められた、これは彼らの歓迎の証なのだ…そんなふうに考えるかもしれません。お笑いです。だれがあなたたちなど歓迎するものですか。思い上がりが甚だしい。しかし私たちのそのような冷笑も知らず、彼らは甘い蜜を吸うのです。少しずつ、その汚らわしい足が、粘りつくような罠の中に捕らわれていくことも気づかずに…。
やがて彼らの思考はゆっくりと弛緩していき、最後には何も分からなくなって、少しずつ息が小さくなっていく。ある意味幸せな最期であり、彼らにはもったいないくらいです。あれほどまでに全身を満たしていた生への執着を、すっかり溶かして消えてしまった状態で死を迎えられるのですから。

さて、ここまで妄想したところでわたしはまたキッチンに向かわねばなりません。暑くて寝苦しい夜、興奮してすっかりのどが渇いてしまいました。キッチンの明かりをつければ、まだ彼は調理台の上にいるでしょうか。あるいは床に降りているでしょうか。あるいは冷蔵庫の陰に?なんにせよ、わたしの目につかないどこかに隠れていてくれるのなら見逃しましょう。血眼になって何が何でも殺害しようとするほどわたしは慈悲のない女ではありません。ひっそりと、誰にも姿を見せずに暮らそうというのであれば、一つ屋根の下の共存もわたしは厭いません。真に彼らを敵視している方々からすれば、考えられないことではありましょうが。
そうはいっても彼らはわたしたちの論理が通じる相手ではありません。油断すれば殺し屋のごとく気配もなく現れる。何気無く戸棚を開けた時、目が合ってからではもう遅いのです。常に彼らは意外な場所に立っています。一度として同じ場所で出現したことはありません。だから常に警戒してかからなければ。とにかく、無事に帰ったらまた続きを書きます。