耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル「破果(パグァ)」

舞台をやると知ったうえで原作を読み、舞台で絶対観たいのはこのシーンだ!と心に決めて劇場に向かったので、そこにかんしてはこれ以上ないという形で観られて満足だった。トウ(浦井健治)という役のすべてがその瞬間をクライマックスに据えて逆算して積み上げられていくストーリーおよび役のつくりかただったと思われ、浦井トウ、わたしが今まで見た浦井さんの中で一番好きなキャラかもしれない。

 

【当記事は台詞や物語の結末等のネタバレを含みます】

破果

破果

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原作を読んだ限りだと爪角(チョガク、演:花總まり)が結局トウのことを思い出してるのかどうかは曖昧にする演じ方もできるんじゃないか、それはそれで沼の入り口が作れるのでは? と思っていて、どっちに転んだとしても楽しみだったのですが、今回の公演は、爪角がトウの執着も歪んだ愛も受け入れた、包み込んでくれたんだ…って心から信じられるシーンになっていて、号泣でした。浦井さんの持ち前のピュアな雰囲気がまた、インナーチャイルドを慰められないまま愛に飢えて境遇に飢えて歪み切ってしまったトウにぴったりで……。殺し屋にたいする天賦の才があるところとかも、アクションの切れ味からして浦井さんしかいなくない!?って見ながら思っていた。

「おまえの人生を通りすぎた子どもの中でお前を見つけたのは俺だけだろう」の激重感情っぷり。憎い、殺したい、お前のせいで俺はこんな目に、憎い、だけど愛して欲しい、俺だけを見てほしい、いつまでも記憶の中の美しいあなたでいてほしい、etcetc……矛盾していながらも同時に成立する感情はどうみても母に対するもので。爪角のほうは愛するものをつくらないはずだったのに、リュウを愛し、無用を愛し、最後にはトウも受け入れた。こう考えると「母性」の話かなあと思いもするのだけど、わたしは彼女の視点で観ていて、爪角にとってはトウが一番対等に向き合えた他人なんじゃないかとふと思ったんですよ。ラストの晴れやかさはそれでかなあと。

やっぱりこれは爪角という女の老いの話。老いて身体も心も弱くなって、すがるものが欲しくて、ひとりでは生きられないことに気づいた爪角。リュウや無用もそうだし、通りすがりのおじいさんにさえ、どんなに他人に思いやりをかけないようにしても、無意識に他人に共感して心を寄せてしまう、それが爪角という人間なんだと。寂しさも孤独ものみこんで生きるために人を殺してきた自分の、間違いなく本質的な一部であるのだと。

リュウの教えや、死に方からも、殺し屋稼業に愛は不要と自分に言い聞かせてきた爪角が、トウの最後の瞬間には、彼が一番欲しがっている言葉をかけてあげられた。そしてほんとうの意味でひとりになれた。だからこれが自分なのだと、はっきり認めることができたんじゃないかな。

 

破果はエリザベートの翻案なのか

Twitterで他の人の感想を検索していて、けっこう思いがけなく面白い感想をみかけて以下のようにつぶやいていたんだけども

改めて考えても、逆エリザベートっていうのは今回の破果の補助線としてわたしはやっぱりあんまりピンとこなくて……(納得はできてないけど感想としてめっちゃ面白いと思う)。いや曲とかシーンとかを個々にみると、明らかに彷彿とさせるというか制作側が意識してるであろう場面が、役者が共通してるからだとか偶々そう見えるとかでないレベルでいくつもあったんですよね。だからこそ確かになあと思ってしまう部分もあって。そもそも韓国にせよ日本にせよ、エリザベートをまったく知らずに今回の破果ミュージカルを観る人って客層としてはかなりレアなのではという気がするし……

仮に逆エリザだとすると、死に場所を探して愛を求めてさまよっているシシィがトウ、爪角がトートっていうことになるのかな? でもやっぱりわたしからみれば、これはやっぱり「爪角が自分のことを認める物語」で。エリザベートを意識してるとしても、逆なのは役のポジションではなくて最終的な結末。つまり「シシィが格闘の末、トートを刺して勝利した」なら分かる気がする。まあそう思うのはわたしが花總さんのファンだからかもしれないのですが……

 

「?」だったところ

ところで一番謎だったのは「ユン室長、そのキャラでええのか?」ということでした。そもそもユン室長の存在を切るか、もうちょっと小さくしてもいいと思った。原作にも殺し屋企業の上司はいるにはいるんだけども、ユン室長みたいに爪角に憧れてるみたいな設定はなかったはず。しかも舞台版でこの設定を追加したところで、最後の爪角とトウのシーンに出てくるほどの関係性はそこまで積み上げてきてなかったやん?と思ってしまった。

ストーリー上の都合としては、たぶんチョガクの引退後の穏やかな生活を許すことができないから(トウのような感情面の理由ではなくビジネス上の理由から)最後に出てきて死ななければいけなかったんだろうけど、それにしたって殺し屋っていうビジネスの辻褄合わせのためだけのキャラなら、最初からいなくて良かったんじゃないか。殺し屋がビジネスであるっていう説明のためだけに出てきて最後に辻褄合わせのためだけに消されて、終始脚本の都合のためだけの人物でこれといった感情の応酬がないまま終わるのは、せっかく一人役者さんを当てているのにもったいないのでは。

 

あとこれは完全に好みの問題なんですが、リュウと若い爪角の恋愛回想シーンが結構あったので、それならリュウはもっと若い俳優さんにしてもよかったんじゃないかなぁとか。これも役者さんが悪いとかじゃなくて、若い爪角との年齢差がありすぎて、むしろ逆にリュウの雰囲気の紳士的な感じだったりお父さんっぽさを感じてしまい、若い爪角目線の「本当は惹かれてはいけない人なのにと思いながら惹かれてしまう、それ以外に人生に光のない若い女の哀しみ」の生々しい激情があまり感じられず…。いやリュウみたいな人が父親代わりとしてセックスなしで自分を育ててくれて最終的には仕事のパートナーとして信頼してくれるなら普通に最高に幸せでは?と思ってしまった。これはわたしがもはや性欲で男性を見る感覚を失ってるからなのかもしれないし、「父親っぽい人」に恋愛的な意味で惹かれる女性の感情というのが全然分からない種の人間だからなのかもしれないが……。

リュウといえばもうひとつ、トウが初めて人を殺したときに「才能がある」って言ったあとのところ。シリアスな雰囲気でそのまま殺し屋稼業に手を染めていく描写になるのかと思いきや、突然ショーアップされた感じになり、ミス・サイゴンの「アメリカン・ドリーム」みたいな、明るく吹っ切れた感じで爪角を元気づける(?)シーンに変貌してかなり謎だったんだけど、あれはなんだったのだろうか……? 今回韓国版から日本へミュージカルを輸入するにあたって演出はけっこう変えていいということになっていたとパンフレットにあったけど、さすがに曲がある場面は全体のバランスがおかしくても削れなかったんだろうか。日本のミュージカルってけっこうみんな真剣に見るお客さんが多いので、こういう話なら変に明るくするショーっぽいシーンを入れなくても、シリアスに振り切っても皆ついてくるんじゃないだろうか。