2月はあんまり本が読めなかった。自分や子どもが体調を崩していたり(お腹にくる症状でてんやわんや)大阪でも雪が降るくらい寒くなったかと思ったら急にあたたかくなったり、選挙もあったし世界情勢も不穏で夜遅くまでついニュースやネットを追ってしまい、不安になったりする日々だった。(そしてこれを書いている3月も、よりいっそう状況が暗くなるばかりで…)
日々の過ごし方としては腰を落ち着けて本を読むというより、夜な夜な本棚の前をうろついて積んである本をつまみぐいしてるみたいな感じのことが多かった。
読んだ本
『エデンの東』1~2 ジョン・スタインベック(土屋政雄訳)
オリンピックが話題になっていたのを見て、懐かしくなってエデンの東を読み返しておりました。そう、わたしはかつてソチオリンピックでフィギュアスケート選手だった町田樹さんのファンになり、彼のプログラムだった『エデンの東』を読み、海外古典文学の道に分け入ったのです。(今回のオリンピックは全然見れていないが…)
前に読んでから10年以上すぎているし3~4部の印象が強くて第1部の内容をけっこう忘れていたのだけど、アダムとチャールズって結構可愛い感じの兄弟だったんだな。第1部終了時点の彼らが35歳前後で、今の自分とほぼ同年代になった。それもまた、子ども時代は愛に飢えて痛かったチャールズに同情してしまう理由かもしれない。
チャールズの言う「やり残しがある気がする」「何かを半分やり終えたのに、何をやってたんだったか忘れちまったみたいな」という言葉の意味が今はわかる……そう思ってもやり直せるわけでもない。アダムもチャールズも、ある意味生き方も信念も決まってしまっていて、別の生き方はもうできない。これって中年のお悩みそのものなんですよね………。ティーンの頃はとがってグレてたチャールズが「兄貴がいないと寂しいんだ」って繰り返しいうのも、年食って人寂しくなるあるあるで哀愁が漂っている。
父との関係を考えたとき、素直に受け取ればチャールズはカインのことだとは思う。だけど実のところ愛する対象から愛が得られたか、欲するものが得られたか、というのがカインとアベルの物語だとするなら、アダムのほうがカインなのかもしれない。妻にしたキャシーに対してもそうだし、母親の愛もまた、得られなかったアダム。肉体的に暴力を振るうのはチャールズだが、アダムは弟を精神的に見殺しにした、ともいえる。
『エデンの東』を読んだ人全員が好きになるであろうキャラ、リーがめちゃくちゃ良い味なのはもちろんなのだが、女性の人物でもリーみたいな人間がいたらいいのに……ということも今回再読ながら思っている。人間として以前に女という役割をするものとしか見れていない気がして。だからキャシーとかライザみたいな単純な人物造形になるんじゃないか。
キャシーにはキャシーの自我や欲望や懊悩があると思わせてくれたらいいのに。キャシーはあくまで人生に消極的に臨むという行動原理だけがあって悪事を働いてしまうんだよね……。その欲するものが何なのか分からない。邪悪さの源にあるものが。
ジョン・スタインベックの母オリーブが初めての飛行機で何度も急旋回する羽目になった笑い話とかも、話が上手いのはもちろんだけど妙に印象的なエピソードで、これは実話なんだろうなあと思う。
それにしても改めて思うのは土屋政雄さんの翻訳って本当に読みやすい。わたしは最初ミーハーな気持ちで手に取った小説が読みやすかったおかげで、今のように翻訳小説ばかり読むようになった。本当に東に足を向けて寝られません。
『福音派』加藤喜之 著(中公新書)
エデンの東を読みながら、アメリカ人てだれのものでもなかった(ことになっているが、実際は先住民たちの住処と生命を暴力で奪ってだれのものでもないことにした)土地にヨーロッパのあちこちから人がきて線を引いて、思い描く理想の家族像を実現できる「家」をゼロから作り上げたことで出来た集合体なんだなあ…という特異さを改めて思っていた。それでやっぱりアメリカてなんなんやろみたいな気持ちになっていたところ、世界情勢のきな臭さもあり『福音派』が話題書の棚にあったのをみつけて読んだ。
これを読むと宗教と政治の分離って本質的にはかなり難しくて、そもそも近づきやすい性質であるというのが分かる。そもそも宗教が、バラバラのアイデンティティを持つ民衆の心をひとつに結びつけやすいがために国家に利用されてきた装置。だから、いまの社会が民主主義の国家であることを前提にしても、宗教の力で選挙をハックすることを一度目指しはじめたら資本主義的なマーケティングの原理にもとづいて成し遂げるのは、むしろアメリカの得意分野であろう。…ということ自体は日本人でもかなり実感をもって理解できる。
加えて宗教の問題でつねに難しいのは、家族の中で生まれたときから生活のなかの規範のすべてに宗教が存在している場合、穏健な話し合いの中で合理的な落としどころを見つけることが、宗教的倫理観という大義のもとに拒絶されてしまうこともありうるということなんだろうな。
本書は1950年代からのアメリカの政治の流れを福音派という軸でなぞっている。歴史的にはラジオ、テレビ、そしてSNSみたいなその時代ごとの新興メディアが要所要所でイデオロギーの伝達に大きな役割を果たしていて(そもそもかつて宗教改革で印刷物がそうであったところから全ては始まっているのだが…)、宗教・政治・メディアという三位一体の図が頭に浮かぶ。
福音派の主な思想を支えているディスペンテーション主義というのが、現代日本でしゃべったら陰謀論とかヤバいスピリチュアルにハマってる人という感じで白眼視されそうなのに、それほどアメリカで広まっているのか…というのも読み始めたときはかなりびっくりしたのだが、むしろ広まってしまえば、そして権力の中枢に入りこんでしまえば、「世界が終わるときに救われるために…」みたいな思想のリアリティはむしろ形骸化してしまうものなのかもしれないなという印象も抱いた。(本書はそこまでは述べておらずあくまで中立な立場で記載されているため、わたしの個人的な印象です)もちろん敬虔な信仰心から福音派であることをアイデンティティにされている方が一般的にはほとんどなのだろうけれど。でも本来倫理観を規定するための宗教の上層部にスキャンダルが噴出したりするのも、権力と良心が常には両立しないからですよね…。
『ダンシング・ガールズ』マーガレット・アトウッド(岸本佐知子 訳)
アトウッドの初期短編集の復刊。買うか迷っていたら白水社の福袋に入っていたので読めて嬉しかった〜
『ベティ』みたいな、みんなから鬱陶しいとか可哀想とかちょっと見下したような蔑ろにしていいかのような扱いをされながらも、本心ではどう感じてたか決してわからないような、そういう人のことを、そのまま書くだけでなくて、そんな人にもB面みたいなところがあったんじゃないか?って書くところが、わたしはたまらなく好きだった。(この作品、前半の描写と後半のつながりがやや唐突に感じたのだが、別荘地の裏に実は流れの早い川があるみたいな描写もベティの人生や内面のほのめかしなのかもなあ)
いっぽうで、『訓練』の最後みたいに、自分自身も無意識に他人を蔑ろにする自分を正当化していないか?いや、してるでしょ?してるに決まってる。だって誰だってそんなきれいごとだけで生きてないでしょ?ってひんやりした場所に追い詰めて逃げられない気持ちにさせられるところも。こわいのに、アトウッドと一度出会ってしまったら、もう逃げられない。
『掌に眠る舞台』小川洋子
これも短編集。久しぶりに小川洋子作品を読んだかもしれない。文庫待ちしようと思っていたのに表紙のヒグチユウコさんの絵が美しすぎて……
『ダブルフォルトの予言』そもそも小川洋子作品の醍醐味って、身近にもしかしたらあるかもしれない、密やかな非現実的な世界を味わう感覚。この作品にかんしてはその雰囲気は合致してはいるのだけど、「帝劇に全公演通う」という行為の非現実性がわたしのなかではわりと薄いために普段の小川洋子作品にはない読み心地になってしまったのが、なんか逆に面白かった……
『装飾用の役者』今回はこれが一番好きだったかもしれない。演劇をいくら愛していてもそれが独占欲というエゴに変わった瞬間、失われてしまうものがある。
独占欲って官能的な欲求とも相性が良い。装飾用のためだけの役者を雇うってマリーアントワネットのトリアノン宮殿みたいだな~
『無限ヤモリ』ヤモリのモチーフがやや作為的かもしれない、と思ってしまったけれど…。妊娠がテーマとして読むと、かつて子供という他者が女の身体から出てくることへの違和感を書いていた『妊娠カレンダー』と比べて、女性の身体との和解という印象を受ける。10代の頃は考えたこともなかったけど、最近は小説が書かれたときの作者の年齢を意識して読むのって結構大事だなと思うようになってきた。
『バーナード嬢曰く。』8 (施川ユウキ)
連載漫画の新刊を追うことができないわたしが唯一新刊を購入できている漫画。(一話完結方式のおかげだが…)今回既に読んだことある本の話もわりとあり、漫画の中の高校生と読書会してるみたいで楽しい。とゆるゆる読んでいたら131ページ、読むことへの名言で泣きました……
あとさわ子のブレーメンの音楽隊の解釈にも…まさか泣かされるとは……。さわ子と神林とのあいだにじっさいの友情があるからこそ、本の中にある友情を深く読み取れたってことなんだよな。と思うとよりぐっとくる。
『ここはすべての夜明け前』…神林が、好きだけど好み分かれそうだから気軽にすすめにくいな〜ぐらいの感じでおすすめしたら、逆に「これは人生を変える本だ!」とまで感動されて落ち着かなくなるのかわいかった。そう思うと本好きという趣味って特殊ですよね。本を通して人とつながることも可能だしすばらしいことだけど、本質的には読書って個人的な体験だからたまにちょっと温度差があることもあるよねっていう…
そんなこんなで落ち着きのない日々ですが、だからこそフワフワした情報に押し流されないように、本を読む時間を大事にしていきたいな。それではまた。





