芥川賞候補作とのことで。
同じ部屋の中で直接顔をつき合わせて話しても全然分かり合えない、むしろ鬱陶しささえ感じる他者と、もしかすると時間や空間を超える方が理解に至ろうとする努力が容易なのかもしれない、と思える小説。このテーマが個人的にはめちゃくちゃ好みでした。
英会話教師の外国人教師ブランドンと年配の生徒カワムラさんの感情的交流は、時間的にすれちがっている。同じ時間と空間を共有してる間は、むしろ互いに分かり合えず、煙たがってさえいるようなのに。
カワムラさんという、ちょっと尊大な態度で、言ってみれば誰にでも好感を持たれるタイプではなさそうな英会話教室の生徒さんがいるのだが、彼が英文課題のノートに書く文章がなぜか毎回味わい深い名文なのだ。たとえ同じ空間にいても全てをわかちあうわけではない、ということを繰り返し書いている。
それは「個人であること」の喜びであり、「孤独であること」の悲しみである。空間を共有していても「個」であるしかないわたしたちが、時間を超えてもしかしたら何か繋がるかもしれない、それが文学の力なのである、という希望を書こうとしてるってことなのかな。そう思うとやっぱりめっちゃ好きな小説だ。
名古屋にいるときのブランドンの、日本語の文章なのになぜかアメリカから心が離れていない寄るべない感じの文章の違和も面白かった。これも空間を超える文章の力と言えるのかも。人がどこに根を下ろすか、それはただそのスペースにいる人がその人の生活で埋めるというだけのこと。アポロ11号の船室も名古屋も大阪もテネシーもきっと同じ。こういう感覚はわたしも日常のなかで思うことがあって、結局どこに住むかってそこにだれがいるのかってことにすぎないんじゃないかと思ってる。
それでもこの時代にアメリカ人であるということを背負うということは、アメリカがやっている暴力を背負うということでもある……という葛藤もブランドンの章ではあったと思うのだが、このあたりはあまり答えが出てないような印象だったような。
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