韓国フェミニズム小説が日本でブームといえるほどに受容されるようになり、わたしも何冊か読んでいるけど、その背景については詳しくない。でもたとえば、儒教文化が共通しているとか地理的にも人種的にも近いからみたいなことは、逆なのではないか、とこの本を読んで思った。
戦後から今に至るまでの男性優位社会の歴史が、本質的に決定的に違う。なにが違うかというと、それは韓国が侵略される側の国だったということが。
植民地時代に弱体化されていた男性性の復権のため家父長制を国家的に導入したものの、社会基盤が脆弱であったために家父長は実質ひとりで家族を養うことができない。一方で女性もまた激しい性差別にさらされ、単独では生きられないために家族という紐帯はふりほどけないという構造。ここまで誰も幸せにならない社会あるかよ…という感じだが諸悪の根源は植民地主義、そして戦争だよ……
メインテーマはジェンダーの問題だが、現代の章まで読むと、すべては繋がっているという気がしてくる。SNSの負の側面(エコーチェンバーや極端な意見が注目を集めてしまうことで過激な中傷が加速する)、男性の劣等感というのもキーワードだった。新自由主義経済で必然的に格差が広がり、たとえば経済的に困窮して自分の人間としての尊厳が失われたと感じる人にとっては、基本的人権なんて綺麗事じゃないかと攻撃的になり、特定の属性を敵視する傾向に陥るのは構造として理解できる。そのこと自体を擁護しようとしているわけではなくて、社会構造上のさまざまな歪みが複雑に絡み合って軋みを上げているという感じがする。
個人的には男児を育てる女親としてどうふるまえばいいのか考えてしまう。たとえば仮にジェンダー平等が実現した理想的社会が存在したとしたら、そのなかでいずれかの性別がそもそも自分を劣っていると認識する状況に陥りやすいのだとしても、親心としては子どもに自分を肯定できる人間でいてほしいと思ってしまうのだから。現実には向こう数十年はジェンダー不平等な、少なくとも競争社会ではある前提の世界だと考えて、どう教育をしていったらいいのかはずっと悩みながらいるのだと思う。だけど少なくとも、劣等感を理由に他人を叩くことを正義と思うようにはなってほしくない。自分自身の行動と、存在する社会を客体として見られるようになってほしいんだろうな。
「まずは理解」と本書の序文にあるが、最終章まで読むと、問題提起だけをして放り出すわけではない。そういうところに、著者が同時代人として切実に問題と向き合っている人だと感じられてよかった。
お堅めのイメージのあるみすず書房だけど、翻訳もすこぶる分かりやすい。表紙もかわいくて手に取りやすかったな~。
