耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

100分deフェミニズム

NHKで1月2日の夜に放送されていた『100分deフェミニズム』を見た。

 

まずは初めて知ったことがたくさんあった一方で、なんとなくネットを見て取り入れていたフェミニズムの考え方の出典元となる本を知れたことと体系だった解説を聞けたのが収穫だった。

たとえばホモソーシャルの構造自体は男性が富と権力の中心である限りずっとあったものだけれど、家父長制自体は資本主義の台頭とともに都合よく整備されていった、伝統的でもなんでもない社会システムだったんだなあとか。

 

性暴力や望まぬ妊娠をしてしまう問題の話で、上間陽子さんの話を聞いていてたくさん胸に迫る部分があったので、著作を読みたいなあと思う。

「あるものだ」と思って話を聴くということ。治療者だから、治せるという感覚を持たない、被害者の主体性を回復するということ。もうこれだけで通常回の100分使ってじっくり解説すべきだと思うくらい、重要な話だし広く知られるべき話だと思った…。だってこれは被害者の問題じゃなくて、その周りにいる人の話だし、それらを押しつけてきた人の話でもあるから。

代理母の問題については感覚的な忌避感はあったものの、正直少し遠い世界の話のように思ってしまっていた。でも自己決定したから、自己責任だからといって肯定してしまうのは危険だという話はものすごく腑に落ちた。身体のことは何度でも語り直されるもの、と言われていて。

確かに自分自身の若い頃のことを振り返ってみれば、危うい選択をした、と思う経験ってきっと誰にでもあるものだと思う。若い人の心身が傷つく可能性のあることを社会が認めるわけにはいかない。本来なら制度とは人を守る方向に整えなければならないというのに。

社会が(貨幣的な意味で)貧しくなっていることのひずみが、こういう人体を貨幣的な価値に置き換えるような考え方として現れていっているのだろうか。ディストピア小説の世界が現実になる恐怖って戦争とかクーデターをきっかけに社会が変動する恐怖と似ているのかなと思っていたのだが、どちらかといえばこのようにじわじわと人体を搾取する制度が俎上にあがり、もしかすると実現することなんだなと思えてしまった。

 

しかし希望のある話もある。最後に「理想の未来は?」って聞かれた上野千鶴子さんが、知るかだけど理想の未来を知る人を育てていく責任があるのは我々なので、気を抜いたら押し戻されますからねってきっぱり言っていたのがかっこよかった。大学で人を育てる、ということに向き合ってきた人なんだなーと。

 

上野千鶴子パートのホモソとトロフィーワイフの話で、鴻巣由季子さんが『鎌倉殿の13人』の話が出してきたのも面白かったな〜。鴻巣さんは一貫してフィクションをフェミニズム批評する観点からコメントしてる感じだった。三浦義村は最初から完璧にホモソーシャル社会に適合してた人間だから最後に生き残ったし、義時は徐々に適応していったけども結局家父長としてのふるまいに破綻があったために破滅してしまうという…。こういう他人の解釈を聞いて「そうか!」ってなる感覚たのしい。

その三角関係の理論解説の流れで誰かがいいと言ってる女が選ばれるのだみたいな話、個人的には最近読んだ『人間の絆』と『デイジー・ミラー』を思い出していて。人間の絆なんてストーリーの根幹がそもそもホモソーシャル社会で挫折する青年の(ホモソーシャル社会の外側に生きる意味を見出す)話だったんだよな〜そういえば。だからこそあのミルドレッドみたいな、人間的にはどこがいいのか全然わからない、心も通じ合わない、世俗的な女に執着する下りがしつこくしつこくあったりもしたのかなーと。

『デイジー・ミラー』はこの文脈でいうと結末への第一印象「は?」とイライラした感性がそんなにおかしくなかったよなと思えてうれしかった。笑。でも個人的には著者自身はこういう男社会の論理をちょっと皮肉るような、批判的なニュアンスで書いているのかなあとは感じているのでそのあたりは興味がある。新訳で読んだからなのかなー。

 

話がそれた。

でも、こういう新しいものさしを借りてきたことでいろんな角度でフィクションの話ができるようになるのは楽しいなーと思う。

 

番組の話に戻すと、最後、上野千鶴子さんに加藤陽子さんが「理論を、どう実践していけば変えられるのか、私はわからない」と言ってくれたの、本当よく聞いてくださった…!と思った。

結局男性が変わる部分がないとだめなのは本当にそう、だけどまあわたしという個人としては、理論を知ったことで意識的に空気を変えるとかいうアクションができるのも確かだよなあと気を引き締めた。

 

あと「半身で関わる」という名言ね………これみてた社会人は全員刺さったんじゃないかと思う。よきか悪きかにかかわらず。

わたしとしては、上野千鶴子さんほどの人が、どんなキャリアウーマンでも滅私奉公してる人はいない、って言い切ってくれたのにものすごく励まされた。やっぱりわたしも心のどこかで、夫は滅私奉公せざるをえない立場だから、わたしが何かをあきらめて支える側に回らなくちゃいけないんだろうなと思ってたところがあって。(夫氏自身は、そんなこと一つも求めてきてないし、わたしと同じかそれ以上に家庭生活を回している人なのにね。)

だけどこの番組を見て、世の中のめちゃすごキャリアウーマンでさえ半身でやってるのに、わたしの夫が半身でやれないわけがないのでは!?ということを思い。笑

いや、まじめに考えるとこれって夫への信頼の話でもあるんだよな。

男性も家庭に関わりたい人がいるのになーとか、「半身」の楽しさに引き込みたいよね(ニュアンス)みたいな話が出てたのも良かったな。生活も家事も、別に罰じゃないから。

今の所属の男性上司が、うちとほぼ同時期に子どもが生まれたんだけども、生まれる前と後で職場の育児中の人にたいする風当たりが全然違っている。そういうところを見ていると「リアルに関わることで変わる」というのはあると思うな。