耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

最近のようす(生後だいたい7か月)

出産してから半年があっというまにすぎた。

われわれの最近のようすはといえば、日がな一日床の上でゴロゴロしながら、元気にすごしている。

生後半年を経過したアカチャンは、新生児のときからは考えられないくらいに「体幹」みたいなものができており、ちょっとの時間ならひとりで座っていられるようになった。

自分の足に大いなる関心をもっており、気がつくと毎日ねっしんに両手で自分の足をつまみ、おしりを上げる、ダンゴムシみたいなポーズをとっていて、とてもかわいい。

新生児とちがって目がよく見えるようになってきた分、親がちょっと近くを離れるとすぐに気がついて、ブーブー文句を言ってくる。

0歳児から熱心に教育をしようみたいな心意気は、我々夫婦は持ち合わせておらず、とにかくエンドレスであそんだり歌ったり、ひたすら絵本を読んだりして、疲れてきたら寝かしつけての繰り返しで毎日すごしている。

寝顔をみていると本当にかわいく、愛情があふれだすのを感じる。「この無垢で愛くるしい小さい人間を……、産んだ……。わたしが……?」と、運命のめぐりあわせで天使を産み落としたモンスターのように何度も反芻しているが、もはや出産のくるしみも薄れつつあり、本当に自分が産んだという実感がすでにない。こうして人は陣痛がどれだけ辛かったのかも忘れ、2人めの出産のことを検討したりしてしまうのかもしれない。(※しかしうちは今のところ2人めのことは考えてません。それどころではない)

 

わたしとアカチャンの2人ともが気に入っているアクティビティ第1位は「絵本を読むこと」なので、一緒に絵本をみている時間が圧倒的に多い。といっても、とにかく時間を埋めるためにひたすら同じ絵本を何回も読んでいるため、アカチャンの方からすれば、本が好きというより

「あっ、これはいつものやつですよね?!ということは最後はあの、くだものさんたちが全員で笑顔になってる絵が来るはず……来る…来る…、来たアアアアー!やっぱりねー!!!(ニヤアアア)」

みたいな感じで、別に内容がわかっているわけではなさそうだ。

こちらも毎日同じ絵本を繰り返し繰り返しよんでいるので、ロングラン公演を毎日マチソワする役者みたいな気分になっている。とにかく毎回一生懸命演じるのが肝心だ。

 

こんなに毎日同じ人と遊んでいたら、物心ついた者どうしならある程度気心が知れてくるようなものだが、われわれはまだまだツーカーの仲にはなれていない。

優雅でノンビリした生活ではあるけれど、言葉の通じない赤ちゃんとふたりっきりの濃密な時間がずっと続いているのは、なかなかしんどくなることがある。これは実際に向き合ってみるまでは、話に聞いてはいたものの、ちょっと想像しづらかった感覚なのだけど。

赤ちゃんといえども他人だし、人間といえども言葉の通じない人だ。これで毎日べったり一緒にいるというのは、記憶にある限り初めての体験だし、生命を維持しなくてはいけない緊張感と、なんだかこの体験を幸せなものに仕立て上げなければならないというプレッシャーがあり、すぐに泣き止ませられないとか、何か身体面にちょっとした不安があるというだけでも、心がすり減らされてしまうのだろう。

 

そして日に日に、家事や自分の食事などがどんどん後回しになっている。

といってもわたしの場合、簡単に人に頼りまくる性格のため、赤ちゃんの相手をしなくてはならないことを言い訳にして、ごはんづくりのような複雑な工程の家事は夫にやってもらい、もはやわたしの家事は自分の好きなことだけやることにしている。

洗濯(乾燥は乾燥機がやってくれるのでほとんど干さなくていい)、好きな場所を好きな分だけ掃除(細かいところは綺麗好きな夫が休日にやってくれる)、食器洗いとゴミまとめ(寝かしつけに長くかかった日は夫がやってくれる)。それぐらいしかやっていない。しかも、インテリアなどはそのうち整えようと思いつつ放置状態だし、棚の上に郵便物やら生協のチラシが積み上がっている。

ワンオペ育児に追われながらも丁寧に家事をやり、充実した家庭生活を送っている方には呆れられそうだ。SNSYouTubeなどをみていると、他の育休中の人は明らかにわたしより家事をやっているし、家の中も快適に整えられているため、自分を顧みたときにこんなんでいいのか…とがっかりしそうになる。

でも、わたしはもともとそんなに段取りがよくないし、とにかく料理という作業が苦手なので、さらに最近はじまった離乳食のつくりおきなどを夜な夜なやっていると、結構いっぱいいっぱいになってしまう。

脳内に作り上げた、「デキル母親」みたいなイマジナリー他人から「あなたは甘えてるんですよ」といくら言われようと、わたしはよくやっているよ。と思うことにしている。

理想を思い描くのもよいが、毎日ニコニコして自分と赤ちゃんが生き延びることのほうを、より大事にしよう。

 

こんなかんじで、新米まるだしの親をやっているため、ずっと「自分みたいな者が親でええんか…?」みたいな気持ちが常にある。

赤ちゃんを抱っこして寝かしつけながらも頭の中では自分のアクセサリーを新しく買うこととか、バッグを断捨離したいとかばかり考えているときが結構あり、親になったのにそんなチャラチャラしたこと考えていていいのだろうか?と思う。

こどもを産んだら自分の人生はそれまでとは全くちがうものになってしまう、自分の人生は自分だけのものではなくなり、それまでの自分とは全く切り離されてしまう。みたいな怖さが、妊娠前にはあった。

実際はどんなことでもそうだけど、一夜にして全てが変わるみたいなことは人生にはあんまりなかった。いやもちろん、生活も、自分の意識の方向も、かなり変わったことは確かなのだけど、それも別に無理やり180度転換を成し遂げたというわけではない。

以前と変わらぬわたしの存在もなんとなく自分の内側にはありつつ、でも自分で何もできない新しい家族のメンバーとの共同生活のために、妊娠中から少しずついろんなことが変わっていっている、というかんじだ。

そういう変化はたぶん妊娠していなくても、夫とふたりだけの結婚生活でもある程度はあっただろうし、ずっとひとりだったとしても、やっぱり20代の同じ自分でずっといるというわけではなかっただろうな、と今はなんとなく思っている。

 

もちろんまだ半年だし、赤ちゃんには自我も発言もなく、ベテラン親の方からみれば「人生激変スペシャルのはじまりは、まだまだこれからですよ」と思われるのだろうけど。

とりあえず、そんなめちゃくちゃしんどくなく、毎日赤ちゃんのかわいさを愛でていられるのは、家族みんなが健康で、お互いに助け合って暮らせているおかげだ。

そしてきっと、健康の半分は運でできているので、天に感謝しながらこれからも毎日がんばろう。

 

今週のお題「最近あったちょっといいこと」